今回の帰省のメインは
祖母の13回忌法要でした。
こちらのお寺の和尚さんは
とても勉強熱心な方で、
いつもためになる説法をしてくださいます。
今回、心に残った話です。
「物が先か、心が先か。」
ある日のこと、
納骨堂に入って行く檀家さんが見えて
お参りを済ませたら本堂にも寄られるだろう
と思っていたのがなかなか出て来られない。
どうしたのかな、と思い納骨堂を覗くと
納骨堂の中の花瓶のお花の水をかえて、
腐った菊の茎を手折って
綺麗に洗って活け直しておられた。
しかも大した花の量を全部。
菊の花の茎はものすごく臭いんですよ。
手についたら、匂いが洗ってもなかなか落ちない。
それを、何のためらいもなくされてたんですね。
「申し訳ありません、
私共がする仕事を‥」
と申し上げましたら、
「いえいえ、花のことは
私の仕事ですから。」
とその方は仰いました。
たぶん、私が気づかなかったら
何も言わず帰られてたかもしれませんね。
物が先か、心が先か。
この例は、心が先、ということです。
最後に和尚さんは、
◯◯さんですけどね、と小さく呟きました(笑)。
この花の水を替えていらした方は、
私の叔父でした。
蘭の花のお仕事をしていて、
よく私の自宅に活けている花も
叔父の会社のものです
![[みんな:01]](https://emoji.ameba.jp/img/user/na/namida-egao/1496.gif)
お参りに行く度に、叔父は大量に
お寺にお花を寄付していますが、
花を差し上げる、物が先、ではなく、
影ではこんなこともしていたんだな~
と深く感銘を受けて聞いていました。
これは私の解釈ですが、
誰かにプレゼントを差し上げるにしても
「これは、高価な物だから
喜ばれるに違いない。」
と思って選ぶのではなく、
「誰誰さんは、△△がお好きだから、
それに役にたつものを差し上げよう。」
と考えて選ぶのが心が先。
心と物が一致した時が
お相手に喜ばれるプレゼントになるんだろうな。
そう思いました。
プレゼントだけではなく、
全ての事について、
「物が先か、心が先か。」
を忘れずにいたいものです。
iPhoneからの投稿
