あの日のこと 9/5(水) その② | mayoの徒然日記

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はじめまして。
mayoです。

2012年9月7日に愛するパパが7年間の闘病の末に天国へ旅立ちました。
さとう式リンパケアに出会い、誰でも楽な身体を手に入れられることを1人でも多くの方にお届けしたいと思い日々精進してます^ - ^

9/5(水)のことの後半です。

ちょっと辛い内容なので、

お読みになれない方はスルーしてくださいね。



パパの痛みがとにかくひどくなり、

娘っこが寝た後、ベッドにも横になれなくなり

座るのも立つのも辛くなりました。


立ったまま私にもたれかかり、

ぎゅっとして、

「もう、寝ることもできなくなった。。。」

とつぶやくパパにただただ、

背中をさすり、


「ふーって息はいて。

深呼吸、つらいかもだけど、

ゆっくり呼吸しよう。」

と言う私でした。


「このままだと、痛くて眠れないから、

睡眠導入剤一錠飲んでみる?」

と聞いたら、頷きました。


飲んだ後もしばらくは、座って起きていたので

むくんだ足をマッサージしていました。


「ママ、ありがとう。。。パパ、幸せだ。

パパほど幸せな人間いないよ。」


「ママも、幸せだよ~。manaもね。」


「うん、そうだね、

これからパパ、元気になっていくんだよね。」


「そうだよ!だから、気持ちしっかり持ってね。」


「うん・・・」


しばらく会話をして、座ったままパパがコクリコクリと

しだしたので、寝てみようか、と促しました。


パパは、硬い腫瘍があるみぞおち辺りだけではなく

お腹全体が痛くなっていて、

また、腎臓の機能が弱っていたせいもあるのか

上を向いて寝ると、30分もしないうちに

丹田のあたりが猛烈に痛くなりました。

それに耐え切れずに

寝返りを打って横向きに丸くなって寝るのが

この頃の習慣でした。


でも、この日は同じ体制が10分ともたず、

「痛い痛い、もうだめだーー。

体制変えたい!ママーーー。」

と呼ばれました。


10分が5分になり、5分ごとに体制を変える、


それに、一人では寝返りも打てなくなりました。


まず、私がパパの体を抱きかかえるように

座った体制まで持っていき、

クッションの位置を変え、抱き枕を体の下に置き、

体の位置をずらす。

抱き支えた状態のまま、ゆっくりベッドに体を

戻してあげる、の繰り返しでした。

ベッドのリクライニングでは微妙な位置を変えることは

できず、角度を変えるだけでした。


ベッドに体を置いた途端に痛い痛い、と言うことも

何度もあり、正直どうしてあげたらいいのか

私もわからなくなってきていました。


そうするうちに、パパが、

「トイレに行きたい。連れて行って。」

と言うのです。


「おしっこなら、尿瓶にしていいんだよ。」

と言うと、そうじゃない、肛門のほうから出るんだと。


パパは、人工肛門にしているので、

お尻のほうから出ることはないだろう、と言われてましたが

稀にストマと肛門と両方から排便がある方もいるそうです。


「そっか、じゃあ行ってみようか。」


二人三脚状態で、パパの足はむくんでいたし

もう股関節もひざも、しっかり体を支えられない状態でした。

かといってストマのパウチもあるし、おんぶもできず、

トイレがものすごく遠く感じましたが、

パパは頑張って歩いてくれました。

えらかったなーと今も感心してしまいます。


便座に座るのもつらい様子でしたが、

座ったら、すぐに肛門から水便のようなものが

出ました。

拭いてみても透明なので、不思議でした。

食べていなかったからかな、と思いました。

でも、ストマとこっちと両方元気なのは、

なんとなく体が動いてくれてるから、

いいことなんだと自分に言い聞かせていました。


今になって思えば、体が天国にいけるように

綺麗な体になる準備をしていたのかもしれません。

パウチにもどんどん排出されていき、

これから、足のむくみもとれていったからです。



パパは、寝返りを繰り返しながら、

ようやく眠れたかのようでした。

それが何時だったのかわかりません。

でも、オプソを夜中に飲んでいないので、

座薬が効いていたのと眠剤が効いたので

少しだけ眠れたのかな。



私は時計も見ないで、隣で眠ってしまっていました。