地震発生時、家族はバラバラだった
妻はマンションの廊下に(娘の帰りが遅いので待っていた)
娘は学校の終了の挨拶中
自分は秋田へ向かう新幹線でトンネルを通過中・・・
その後、妻と娘は近くの中学校の避難所へ
自分は19時間後に救出され
秋田駅のアルヴェ(避難所)へ
19時間、トンネルの中だったため
お互い連絡がとれず
妻の周辺(隣近所)でも
会社でも
大騒ぎになっていたよう・・・

その後、自分はお客さまが手配してくれたホテルへ避難
合流できたのは14日の夜
秋田→酒田→山形→仙台のルートで入る
仙台駅ではラッキーなことに並ばずにタクシーを掴まえられた
街並みは暗い・・・
途中、長町辺りから信号もついていないゴーストタウンとなる
不気味な、見慣れたはずの見慣れない街が続く
自宅マンションも当然真っ暗
感動の再会は
当事者よりも周囲からの安堵の声が大きく
なんだか拍子抜け(映画のシーンのようにはなりません

避難所は少人数のまとまりのある避難所で
みんな分け合い、気遣いあっていた
妻が体調を壊したときも
民生委員をはじめ、近所の看護士さんなどが
助けてくれて、病院まで送ってくれた
避難所を出れたのは17日
電気が付く家に戻れたのはうれしかった
ただ、そこからは、後片付け、引越しの準備、買出しと
追われることが多くなる
仕事関係者、友人・知人への安否確認も重なる
昨日、ようやくお風呂にも入れた
でも、鉄道もガスも当面復旧しそうにない
お客さまへの移動を公共の交通機関に頼る自分たちの
仕事のメドはたっていない
そして、自分の引越しのメドもたっていない
やれやれ・・・
でも
みんなの支援を本当に支えにして
頑張らなくては!
でも、新潟へ行ったら
少し休ませてね
