4月から始まった、
国際法勉強会講師も残りあと3回。

教授にやってみろと言われた時、
不安でいっぱいだった。

私なんかにできるのか。
後輩の方が、よっぽど良い講師になるんじゃないか。

4月に始まってみると、
楽しいながらも大変で、
自分の修論よりも準備に時間をかけた。

でも、やっぱり
もっとうまくできるんじゃないか、
ちゃんと伝わってるか、
毎回終わる度に、一人反省会をしてた
(たまに犠牲になる人がいたけど笑)。

悩むこともしばしばだったけど、
それもあと3回。

最後に私は、後輩になにかを残したいと思う。

小さなことで良い。

後輩の背中を押せるなにかを残したい。

私に、なにが残せるんだろうか。
決意なんて、
結果がついてこなければ意味がない

ならば、結果がでていない
今、宣言することは意味がない

でも意味ないことするのもまた人間らしい

今年も残り2ヶ月
後悔しないように走りたい

嫌な未来を想像してしまう弱い自分が出てくる隙がないくらい
がむしゃらになりたい

大丈夫、私ならできる

何回でも自分にそう言い聞かせよう

一つ一つやっていくしかないのだから
どうして自ら死を選ぶ人がいるのだろう

私は、自分が死ぬ夢を見たとき、
自分でも想像できなかったほどの
「死にたくない、死にたくない!」
という気持ちに襲われた。

意識が遠のいて
周りの音がだんだん聞こえなくなってきて
自分の心の声が大きくなる

だんだん視界がぼやけて
最後は真っ暗になり、
自分の心の声だけの世界。

最後には、それさえも消える。
「死にたくない、死にたくない、死に…」

その直前に夢から覚めた。

それは、
まさしく死への恐怖と
生への強い欲望、執着だった。

夢でさえ
こんな気持ちになるのなら、
現実ではどうなるのだろう。

私は、何に怯えていたのだろうか。

あのような恐怖を越える死という選択は、
どうやって生じるのだろう。

全てを終わりにしたいと思ったことのある人は、
多いかもしれない。

でも最後の
一線を越える人と越えない人は何が違ったのか。

今こそもっと
死を直視して何かを学ぶべきときなのではないだろうか。

宮崎駿の
「現代は死から目をそらしている
交通事故の死者の数を見せるより
事故時の遺体の写真を見せる方が
はるかに訴えるものがある」
という言葉が思い出される