4歳前後のことだと思うがおぼろげな記憶がある。

母と一緒にお出かけした。どこへ行ったのかはわからないのだけれども建物の中に砂場や遊具のある公園のような場所だった。

そこで初めて会った優しそうなお姉さんとお話をしながら一緒に遊んだ。

その後は母と一緒に動物園へ行って孔雀を見たのを覚えている、それと小さな遊園地にも行ったような・・・


それとはまた別の日・・・

母と一緒に出かけた、今度は病院のようなところだった。

中年の白衣を着た男の人がいてその人の前に座って

”お名前は?”

”何歳?”

”お友達の名前を教えて?”

”お友達とは何をして遊ぶの?”

そんな質問に答えた記憶がある。



息子の障害がわかった頃母にこの話をしたところ

”おそらく3歳児検診で言葉の遅れを指摘され専門機関で検査を受けるように言われて検査へ行った時のことだと思う。”

と言われた。


どうやらお姉さんと一緒に遊んだ時行った場所は吉祥寺だったようで(当時私は東京に住んでいました)そうすると動物園と遊園地は井の頭公園かな?


それと、先日父方の一回り年上の従兄弟と話をしていた際、父の実家でも父からの手紙で私に言葉の遅れがあることがわかりちょっとした騒ぎになったことがあったことを知った。


で、検査の結果出された結論は


”この子の場合(言葉の発育が遅いのは)自閉症などの障害ではなく性格である”


おそらく、当時(昭和49年~50年頃)は自閉症=カナータイプという認識であったのだろう。

現在のように”広汎性発達障害”や”アスペルガー”などの発達障害と言う認識、研究が進んでいて世間に認知されていたら・・・・もしかしたら私にも何らかの診断が出ていたのではないかと思う。


そう考えるとうちの息子、今の時代に生まれてきて良かったね(‐^▽^‐)、あの頃に生まれてきたらもの今よりもずっと生きづらい世の中であっただろうし、苦労することもずっと多かっただろうね・・・・


そういえば、母がこんな事を言っていたっけ・・・

小学校1,2年生の時の担任のS先生があんたの事をこんな風に言っていたよ。(S先生は当時40代のベテランのちょっときついところもあったけれどサバサバした女性の先生でした。3年生になった時他校へ異動されてしまい寂しかったことを覚えています。S先生には色々とご迷惑をかけたり心配をおかけすることも多く後で聞いたところ母もよく手紙等を出していたそうです)

”今の子供って本当に口から生まれたような(よく喋る)子が多いんですよ・・・・そんな中で真那歩ちゃんみたいな子がいるとホッとするんですよね。ただ、真那歩ちゃんみたいなタイプは損をすることも多いでしょうけど・・・・”


この言葉を聞いて、要領が悪くて、おとなしく目立たない、けれどある意味手のかかる児童のことをそのように思っていただけたことを大変嬉しく思いました(高校まで教師には嫌われたり、何を考えているのかわからない気味の悪い奴だと疎まれることが多かったもので・・・)S先生のような所謂ちょっと外れた子どもを暖かく長い目で見てくださる学校関係者が増えてくれる(というかそれが当たり前になってくれる)ことを現在の教育現場に望みます。発達障害は今後ますます重大な課題となっていくはず・・・彼らを生かすも殺すも周囲の環境、理解に負うところが大きいのですから。

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