NEW-SEUM(82)京都四条①
・・・せっかくの機会ですから、四条界隈を散策してみましょう。
★仲源寺/https://rakuyo33.jp/chugenji/
605-0074京都市東山区四条通大和大路東入祇園町南側585/075-561-1273
治安2年(1022)に定朝が四条橋の東北に地蔵尊を祀ったのに始まるといわれる。安貞2年(1228)の洪水の際、雨が止むように祈願を行い、後堀川天皇の勅願寺ともなった。本尊の地蔵尊も雨止地蔵と名付けられたという。雨止地蔵は後に転訛して目疾(めやみ)地蔵となり、眼病に霊験があるとして、江戸期には名地蔵の一つにも数えられた。また「洛陽三十三所観音霊場」第十六番札所として、千手観音座像を祀っている(重要文化財)。
★京都市立立誠小学校/立誠ガーデン ヒューリック京都
604-8023京都市中京区蛸薬師通河原町東入備前島町310-2
https://www.hulic.co.jp/business/rent/hotel/272
京都市中京区蛸薬師通にあった公立小学校。学制創設以前の1869年に開校したいわゆる番組小学校のひとつであり、1927年に完成した鉄筋コンクリート造校舎が現在★立誠ガーデン ヒューリック京都として現存している。この京都市内に現存する★最古の鉄筋コンクリート造校舎は元・立誠小学校と呼ばれ、1993年3月の閉校後にもさまざまなイベントに使用されている。『論語』の一節にある「立誠而居敬」から命名したとされ、「人に対して親切にして欺かないこと」を意味する。1885年にも一棟を増築し、1903年には隣接する私有地を買収して校地拡張と校舎改築を行った。正門は河原町通に面しており、講堂、雨天体操場、教室棟などの施設があった。旧校地時代の運動場はとても狭く、土地にゆとりのあった高瀬川河畔への移転が計画されたが、移転計画は京都市に認可されなかった。高瀬川河畔の埋立地はすでに大谷竹次郎(松竹創業者の一人)が買収していたため、立誠校は隣接する誓願寺墓地の買収を計画して新校舎の建設を目指したが、買収費用が高額となることで住民は難を示し、再び移転計画が浮上した。候補地の備前島町には醤油商近江屋井口家の土地、明石博高邸の跡地に造られた料亭共楽館などがあった。移転賛成派と移転反対派の対立が激化し、移転問題は困難を極めたことで、大日本国粋会が賛成派と反対派の仲裁に入ったが、学校側の強情な姿勢に呆れて手を引いてしまった。それでも移転問題は旧校地から約200m離れた備前島町への移転遂行で決着を見せた[11]。1926年9月には地鎮祭を終えて着工され、12月には用地買収が完了した。京都市営繕課によって鉄筋コンクリート造3階建・ロマネスク様式の新校舎が設計され、1928年1月21日に竣工した[12]。用地取得費は43万3000円、建設費は38万5380円、総工費は81万5592円であり、当時としては異例とも言えるほど高額な総工費は、住民からの寄付金、家屋税、起債で賄われた。
■ザ・ゲートホテル京都高瀬川
604-8023京都市中京区蛸薬師通河原町東入備前島町310-2/075-256-8955
https://www.gate-hotel.jp/kyoto/
2020年7月21日にオープンしたは立誠小学校の旧校舎と、新棟からなる複合施設です。広々とした芝生が印象的で新築棟と旧校舎のそれぞれに、ホテルとテナントが入っています。1階には8店舗のSHOPが入り、京都初出店のお店が4つも!ここにしかない新ブランドもあります。工事期間中にも期間限定でオープンしていた、ブックディレクター”BACH”氏がセレクトした図書が並ぶ★「立誠図書館」も本格始動。ガーデンの至るところに小さな図書館が配置されています。そして2階以上は★「ザ・ゲートホテル京都高瀬川」になっています。こちらのホテルブランドも関西初です。
●立誠図書館は本館と小さな「かどっこ図書館」からなります
https://www.bunmachi.org/
かどっこ図書館 ≪コミュニティー≫★日本映画原点の地としての映画関連本が充実し、★角倉了以が開削した高瀬川や新選組、市電に関する本を集めています。また≪立誠小学校DNA≫コーナーには貴重な郷土資料もあります。
