「鐘楼」一層目の「土間」を「遺跡発掘調査現場」に見立てて構想を練ってきたのですが・・・
「硫黄島の遺骨収容が進まないのは、★国民の関心が高まらないからです。国民の関心が高まらないのは、メディアが報じないからです。だから、多くの記者に『皆さん、硫黄島に行きましょう』と呼びかけてきた。でも、本当に行ったのは酒井さんだけですよ」(毎日新聞学芸部:栗原さん)
東京都心からはるか1250キロ離れた南海の硫黄島。ここには戦後75年(2025年は80年目)を経た今も、日本兵1万人の遺骨が地下に眠っている。この夏、遺骨収集の派遣団に加わり、2週間にわたって島に滞在した。本土防衛の盾となって壮絶な死を遂げた将兵たちの望郷の思いを背に遺骨を捜した。埼玉県の航空自衛隊入間基地から輸送機で2時間半。7月末の硫黄島は日差しが強い。滑走路に降り立つと、かすかに硫黄の臭いがする。この下にも遺骨が眠っているのだろうか。そう思うと一瞬足が止まった。硫黄島は「いおうとう」である。元々、島民はそう呼んでいたが、大戦中に米軍が「Iwo jima(いおうじま)」と呼んだこともあり、戦後は行政もこれに倣った。2007年になって旧島民の要請を受けた国土地理院が「いおうとう」に変更。ただ、前年公開の米映画の邦題が★「硫黄島からの手紙」だったから、今も「いおうじま」と呼ぶ人が少なくない。
https://www.warnerbros.co.jp/home_entertainment/rnjdhay11hfk/
国内外の遺骨収集は、過去には遺族や戦友が自主的に行ったり、政府の公募で実施されたりしたこともあった。16年度からは厚生労働省指定の一般社団法人「日本戦没者遺骨収集推進協会」が各団体の協力を得て行っている。20年度は、東南アジアや南太平洋などの収集は新型コロナウイルスの影響でストップしている。硫黄島は例年同様に2週間ずつ4回計画され、初回は7月末から日本遺族会や硫黄島協会などのボランティアら約20人が参加した。硫黄島の戦いでは、軍属の島民を含む約2万人が戦死し、半数の約1万人の遺骨が残されたまま・・・この事実について何らかの方法で展示に組み込みたい!いや、ねばならないと思っている。