2025浄厳院への道(42) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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遺跡発掘調査と★「ムシ」の関係について・・・
★ブタ食べた? 藤原京便所跡から国内最古級の寄生虫卵/金原正明教授(奈良教育大)
飛鳥時代にhttps://www.city.akita.lg.jp/kanko/kanrenshisetsu/1003616/1002307.htmlブタは普段から食べられていたらしい。奈良県立橿原考古学研究所(橿考研)が★藤原京(694~710年)にあった便所の遺構を発掘すると、豚肉を食べると感染する寄生虫の卵が見つかった。卵は豚肉食の科学的な証拠だといい、国内最古級の発見例という。渡来人が常食した可能性があるとみている。橿考研は2018年度、奈良県桜井市の藤原京跡の発掘調査を行い、藤原京の中枢部にあたる藤原宮跡の北東で便所遺構を検出した。橿考研共同研究員の奈良教育大・金原正明教授(環境考古学)と、一般社団法人文化財科学研究センター代表理事で妻の正子さんが土壌を分析した。金原教授らによると、土壌から発見されたのは、豚肉を食べて感染する寄生虫(★有鉤条虫(ゆうこうじょうちゅう))の卵とみられる。サナダムシの一種で卵殻の状態で5個検出された。橿考研が00年度に行った藤原京の調査では、飼育された可能性があるイノシシかブタの骨が見つかっていたが、有鉤条虫の卵は確認されなかったという。同様の寄生虫の卵は、「古代の迎賓館」と呼ばれる鴻臚館(こうろかん)跡(福岡市)や秋田城跡(秋田市)の便所遺構からも見つかっている。
https://www.city.akita.lg.jp/kanko/kanrenshisetsu/1003616/1002307.html
ともに奈良時代のものとみられ、飛鳥時代の藤原京で見つかった卵よりも後の時代になる。また、弥生時代の遺跡からブタとみられる骨が見つかった事例もあるが、寄生虫の卵の発見は豚肉食のより直接的な証拠となるという。金原教授は生に近い状態で豚肉を食べ、寄生虫の卵が排泄(はいせつ)されたとみている。日常的に使われた便所跡で卵が見つかったことから、常食したと考えられるとする。日本最初の本格的な都城とされる藤原京が造営される少し前の7世紀後半、朝鮮半島では百済や高句麗が相次いで滅んだ。多くの人々が日本列島に渡ってきたと考えられている。金原教授らは、豚食文化のあるこうした人々が藤原京でブタを食べていた可能性があると考えている。
★虫の痕跡から見える縄文のくらし/小畑弘己教授(熊本大学)
遺跡から発掘された土器に残る虫の痕跡を研究しています。縄文土器は縄文時代のタイムカプセルと言われるほど、発掘された土器からは様々な虫の痕跡があることが判ってきました。縄文人の家に★コクゾウムシが住みついていたことや、縄文人が大豆など豆類を栽培していたことは思いもよらぬことでした。縄文土器に残された虫の痕跡からおよそ5000年以上前の縄文時代の暮らしぶりが垣間見えてきたのです。ニュースで縄文時代の女性が遺伝子の情報の解析で、顔まで、その女性のしみまででていました。遺伝子の研究の進歩は急速に進んでいます。土器がつくり始めたのが1万6000年ぐらい前と言われるので、縄文時代は1万3000年位続いた時代だといわれています。稲作は中国から伝わってくる作物ですが、おそらく弥生時代の初めごろ、縄文時代の終わりごろ伝わったことは間違いないと思います。植物を育てる、農耕と言う意味では縄文人が植物の栽培をしていたらしいということは、土器の中に痕跡が残っていると言う事から判ってきました。コクゾウムシは最近では見かけなくなりましたが、数十年前には身近にいた米を食べる虫でした。大きさは3~4mmで長い像のような口を持っている。縄文時代の遺跡からコクゾウムシが最近たくさん見つかっています。
https://www.um.u-tokyo.ac.jp/UMUTopenlab/library/c_9.html
https://dokiwohoru.jp/frmNewsDetail.aspx?id=3
https://iyai-project.jp/result/result3/result3-3/
https://www.jomon-no-mori.jp/digitalkago10/