★紫式部も愛した近江八景の名月
★石山寺・秋月祭
520-0861大津市石山寺1丁目1-1/077-537-0013
https://www.ishiyamadera.or.jp/
★月見亭
https://www.ishiyamadera.or.jp/guide/event/shugetsusai
平安時代後期の保元年間(1156~1158年)に後白河天皇石山寺・月見亭が行幸の際建立したのが始まりとされ、後年になり何度も修繕されています。現在の建物は江戸時代前期の貞保4年(1687)に建てられたもので、寄棟、茅葺、四方に下屋庇を廻し、外壁は吹き放し、舞台風に高欄が廻り梁を張り出しそれらを支えて、基礎部は鐘楼などに見られる袴腰になっています。
平安時代、紫式部が月を愛でながら源氏物語の構想を練った場所であり、また歴代の天皇が行幸し眼下の瀬田川を照らし浮かぶ月を眺めた「月見亭」がある寺です。そんな石山寺では毎年十五夜に「秋月祭」が行われています。先ほどまで雲の厚いベールの下に隠れいていた月が、鐘楼の上に浮かび上がり、少し顔を出してくれました。皆さん、この瞬間を逃さないとカメラを一斉に構えます。刻々と変わる月の表情に翻弄される我ら・・・魔性の月、紫式部もここから中秋の名月を愛でたであろう、石山寺の「月見亭」が。その屋根の上には主役がしっかり出番を待っていたかのように登ってくれていました。明治11年(1878)には明治天皇が明治20年(1887)には昭憲皇太后が、明治43年(1910)には大正天皇が大正7年(1918)には昭和天皇が大正11年(1922)には皇太后陛下など皇室の方々が数多く行幸され、月見亭より雄大な景観を眺められています。近江八景(石山秋月・勢多(瀬田)夕照・粟津晴嵐・矢橋帰帆・三井晩鐘・唐崎夜雨・堅田落雁・比良暮雪)の「石山の秋月」は瀬田川の清流を見下ろすこの地から眺めた風景と云われ、松尾芭蕉(江戸時代前期の俳人)もこの地で「石山の 石にたばしる あられかな」、「あけぼのは まだむらさきに ほととぎす」の句を残しています。
★歳時菓「きぬかつぎ」/たねや
本社523-8533★近江八幡市北之庄町615-1/0748-33-6666
1872七代目当主 山本久吉、京都亀末にて修業の後「種家末廣」の屋号で、旧八幡町池田町の地に、菓子業の初代として創業。後に、屋号を「種家」と改名
https://taneya.jp/
十五夜★1日限定でお届けする歳時菓「きぬかつぎ」を秋の月とともにお楽しみください。
「きぬかつぎ」とは、里芋を皮のままゆでるか蒸して、仕上げに皮をちょっとだけくるりとむく料理のことをさします。名前の由来をたどると、人の前で顔を晒すのは恥ずかしいことという意識を持った平安時代の高貴な女性の衣類にたどり着きます。女性が外出するとき、顔を隠すためにすっぽりとかぶる布、「衣被ぎ(きぬかつぎ)」から名付けられたようです。たしかに里芋の皮をむいた状態は、白い顔が衣から少し見えている姿と似ています。薄い衣をまとう姿から「絹(きぬ)かつぎ」と呼ばれることもあるそうです。由来を聞くと、なんだか田舎っぽいと感じることもある里芋が、一気に高貴な食べ物へイメージが変わります。
・・・「月よりだんご」!「だんごよりダンゴムシ」?