2025浄厳院への道(41) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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日本において、月は古くから庭園と関係がありました。月見の宴が行われたこと、月を見るための場所や施設が園内に造られたこと、月を意識して配置や意匠が決められたことなどです。★月は人々の自然観や宇宙観ともかかわりつつ、庭園の利用、意匠、美意識に影響してきたと言えるでしょう。
★桂離宮「月波楼」名前の通り、観月の茶室として建てられました。屋根裏は船底のように組まれ、茶屋そのものを舟に見立て、舟上から月を眺めている気分に浸れる。
https://kyoto-gosho.kunaicho.go.jp/building/2A91
https://zoukei.net/kyoto/katsura8.htm
敷地内には「月波楼」や「月見台」など、月に関連するものが多く存在しているが、これらは室内や庭園から月見を楽しむためにつくられたもの。もともと月見の名所として知られていたこの地に離宮が造営されたことからも、★月見が皇族や公家にとっていかに重要な行事であったかがわかる。
★「銀閣寺」境内には向月台と銀沙灘と呼ばれる砂盛りがあります。これらの砂盛りは月待山に上る月を観賞する為に作られたという説と月の光を反射させて本堂を照らす役割があるという2つの説があります。向月台、銀沙灘共に「月」に関係するものであることは間違いのないようで、ここから金閣寺=太陽、銀閣寺=月というイメージが生まれたようです。
2009年、銀閣寺修復作業の過程で発見された昔の宮大工さんが板の裏に書いたもの。古文書では、銀閣寺は白い建物だったとあります。その白い壁の部分を調べてみると、ガラス質の白土が塗られていたことがわかりました。さらに白土の中には、なんとミョウバンが混ぜられていた。ミョウバンは料理でも使う透明な結晶です。ミョウバンを混入した白土を塗った壁状のものを試作してみると光に反射してキラキラ光るのです。★月の光に映え輝く白い壁が、銀閣寺の名の由縁かもしれません。
銀閣寺を建立したのは、足利家八代将軍義政。彼は政治では無能の将軍と言われた人だそうですが、文化の面では茶の湯やいけばなのなどを好み、後に東山文化と呼ばれたひと時代を築いた方だそうです。京都の寺社は、山の風景を上手く取り込んであるところが多いのですが、銀閣寺も義政が「月待山」と名づけた山を望むことが出来ます。山にそんな名前をつけるほど、義政は★月を愛でた人なのだそうです。照明の街灯のない時代、月明かりがなければ夜は漆黒の闇だったでしょう。闇を照らすのは煌々たる月明かりと星達。月は、私達が今考える以上にビジュアルなものだったのでしょう。銀閣寺が建立された年の、しかも9月10月の月の軌道をコンピューターで描いてみせたのです。京都の寺社を、月の軌道から調査している研究者がおられます。そしてその検証によれば、銀閣寺はまさに月待山から月が昇るのを見る位置にあるのです。義政はまず下の部屋で月が山から昇ってくるのを楽しみます。やがて月が高い位置になると、建物のひさしに邪魔されて見ることができません。
すると2階に上がるのです。2階からは庭の池が見渡せます。その池に映った月を今度は愛でるのです。池の中ほどには丸い月の形の岩があり、池に映った月の光はその岩の月と重なるのです。夜もふけると義政は渡り廊下に出ます。現存してはいませんが、渡り廊下が銀閣にくっついて建てられていた痕跡があります。渡り廊下に座り、天空の月と庭に映った月、それに月の光に煌々と輝く銀閣を楽しんだと言うのです。