創作・制作のヒントやアイデアを求めて東奔西走、これまでの「集大成」として構成することに至る。鐘楼→土間→遺跡発掘調査現場→枯山水→日本庭園へと駒を進めてきた。まだまだ序盤である!
★重森三玲記念館「天籟庵」
716-1241岡山県加賀郡吉備中央町吉川3930-8/吉備中央町吉川公民館0866-56-7020
https://www.town.kibichuo.lg.jp/site/kanko/36.html
1896岡山に生まれた重森三玲、21歳頃に画家を志し上京するも才能を認められず挫折。芸術の研究家へと転向し、日本画やいけばな、茶道の研究に没頭する。1934年(昭和9)京阪神地方に甚大な被害をもたらした室戸台風によって、京都の寺社・庭園もまた壊滅的なダメージを受けますが、建物とちがって設計図等の資料がほとんど残されていない庭園は、修復の糸口すらつかめず、暗礁に乗り上げます。このことが転機となり、三玲は日本庭園の研究と独自の測量調査を開始。3年間で300にもおよぶ庭を調査したといいます。精力的な測量調査、日本庭園の歴史研究を続けるうち、明治以降、庭園の伝統が正しく継承されていないことに気付いた三玲は、危機感と使命感をもち、自ら庭園の創作に関わることを決意します。そうした活動のなかで、三玲の心を奪ったのが★「枯山水」という様式。室町時代からの伝統をもつ日本庭園の技法で、池や遣水などの水を使わずに海や山の風景を表現したものです。波打つような水面、波紋の広がりを思わせる再現は、じっさいの庭を前にすると鑑賞者の動きに合わせて風景の流れが変化するのを体感できます。昭和15年に徳島を調査し、★阿波国分寺庭園と出合いによって重森三玲の大きなターニングポイントとなりました。
★第15番札所/薬王山金色院國分寺
779-3126徳島県徳島市国府町矢野718-1/088-642-0525
https://88shikokuhenro.jp/15kokubunji/
★「龍安寺」
616-8001京都市右京区龍安寺御陵下町13/075-463-2216
http://www.ryoanji.jp/smph/index.html
幅30メートル、奥行き10メートルの小さな庭が、今なお観光客に★「禅」の精神を示す寺。比叡からの無数の白砂の中に、5、2、3、2、3と15個の石が配置された庭は、簡素さの極致を表現したものとして、古くから多くの人々に親しまれてきた。石の数である15という数字は、十五夜★満月にあるように、一つの完成の姿を表しているという。だが、この庭ではどこから見ても、そのすべてを数えることはできない。見えない石を心眼によって見抜くのが、禅の★境地でもある。白砂の中の石は、白雲に浮ぶ山の頂や海に浮ぶ島々を表現したものといわれるが、最も代表的な解釈は「虎の母子が川を渡るさま」を表したというものである。