★「イサムノグチ」が好きで、その彼が教えを乞うたのが★「重森美鈴」だったと知り、以来「日本庭園」をこよなく愛するようになりました。
http://www.est.hi-ho.ne.jp/shigemori/
★1956年(昭和31)重森三玲のもとをイサムノグチが訪ねる。それはちょうど★パリユネスコの庭を手がけるためであった。石を扱う者どうしはすぐさま★共鳴しあい、イサムノグチは三玲のカリスマ性ある世界に引き込まれていった。1956年、初めて庵治石の産地である香川県の牟礼町を訪れたノグチは、1969年からは五剣山と屋島の間にあるこの地にアトリエと住居を構え、以降20年余りの間、NYと往き来しながら石の作家・和泉正敏をパートナーに制作を続けた。
★イサム・ノグチ庭園美術館
761-0121香川県高松市牟礼町牟礼3519/087-870-1500
http://www.isamunoguchi.or.jp/
★『枯山水』という言葉が初めて文章として使われたのは★『作庭記』(前栽秘抄)です。日本最古(世界最古)の作庭に関する秘伝書で、★平安時代に書かれたとされます。通説では関白藤原頼通の庶子、橘俊綱(1028〜1094)が、作庭経験に基づいて書いたのだろうとされています。日本庭園は『自然の景色を要約し、居ながらにして深山幽谷を経験させる働きを持っている』と言われます。源氏物語にも寝殿造の邸宅の庭園が、自然界の小宇宙をどれだけみごとに表現していたかについて書かれています。作庭記の中で枯山水は、池もなく遣水(やりみず)もなき所に石をたつることあり、これを枯山水となつく、枯山水の様は片山のきし或は野筋なとを作りいててそれにつきて石をたつるなり。
https://www.nakatani-seminar.org/kozin/niwa/sakuteiki/sakuteiki.html