2025浄厳院への道(13) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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安永4年(1775)の伊勢一身田専修寺の建立に関する資料も見つけました。
★真宗高田派本山「専修寺」
514-0114三重県津市一身田町2819/059-232-4171
http://www.senjuji.or.jp/
★「如来堂ができるまで(平成3年4月10日発行)」
http://www.senjuji.or.jp/sisetsu/nd.php
御影堂が巨大な空間の建築物であるのに対して、如来堂は質的に高度な建築物とも評されております。この造営については、★『如来堂御建立録』(高木家旧蔵)や修理工事によって発見された墨書銘などの史料などによってその経過を知ることができます。それら書物によると、発願は享保4年(1719)、着工は翌々6年で、資金難から工事が渋滞し、ようやく元文5年(1740)から地築にかかっています。しかし、地盤が軟弱なために寛保3年(1743)8月まで満三ヵ年を要しました。東南隅の礎石にある刻銘は、このとき勘六という老人が人柱に立った記念と言われております。その真偽を確かめる史料は現存しておりませんが、その柱付近の地盤が最も軟弱であったことは、先年のボーリング調査によって確認されております。上棟は延享元年(1744)3月24日、落成遷仏は寛延元年(1748)7月18日、棟梁は★近江八幡の高木但馬、脇棟梁は白塚の長谷川十右衛門と浜田の村田喜太郎と伝えられております。この如来堂ですが、昭和58年(1983)から七年半の歳月と総工費十四億八千万円をかけて大修理工事が実施され、平成2年(1990)3月に修繕工事が完成しました。
★【高田本山専修寺展】―歴史と美術―1991年5月10日(金)~6月16日(日)於:三重県立美術館
https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/art-museum/55860038931.htm
『如来堂御建立録』(以下『御建立録』と略す)によると、享保6年(1721)11月15日に釿始が行われた。棟梁工匠は★近江国八幡の高木日向が当たり、下棟梁として伊勢白塚の長谷川藤左衛門、浜田の村田喜太郎が加わった(延享元年の上棟の際には、★高木日向は高木但馬に、長谷川藤左衛門は重右衛門に替わっている。『御建立録』・「こけら板墨書」)。参加した大工等には出面・当直等が整然と体勢が定められていたことが発見資料からしのばれる(「如来堂身舎背面野地板」・No.58-J、「裳階東内室裏板」・No.58-Kなど)。
https://hiroba-magazine.com/hirobakun/hirobakuntoiku-171226/
2017年11月に★三重県で初めて国宝(建造物)に指定された津市の「高田本山専修寺(せんじゅじ)」にある御影堂(みえいどう)と★如来堂(にょらいどう)の2棟。“高度な建築技術と装飾技術の価値”が認められた。
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/174532