【俳優:泉田洋志(本名:今清水英一)】美似の世界―日本のミニチュアコレクション
http://nipponeiga.com/shintoho/person/actor/a/izumidahiroshi.php
大正13年4月4日、東京市本所区向島に今清水孝吉、すず夫妻の長男として誕生。昭和8年4月本所区小梅町高野道場(柔道)に入門。昭和12年3月東京都本所区小梅町牛島尋常小学校卒業。昭和15年7月講道館へ入門、9月講道館柔道初段。昭和18年3月東京都足立区立中学校卒業。4月早稲田大学専門部法律学科入学。昭和19年10月陸軍特別甲種幹部候補生として仙台予備士官学校に陸軍伍長として入校。昭和20年9月復員。早稲田大学法律科に復学。昭和21年2月早稲田大学法律科卒業。5月東宝撮影所演技課に入社。昭和22年2月新東宝撮影所独立と同時に新東宝に転社。昭和28年5月藤井千枝子と結婚。昭和30年芸名を泉田洋志と改名。昭和36年フリー演技者としてTV映画「もうれつ先生」、(フジTV)「黒いパトカー」、(大映TV)、「公安36号」などにも出演。昭和39年4月丹波哲郎氏の紹介にて、「さむらいプロ」に所属。昭和45年12月千葉県八千代市にて珈琲専門店サンモールを開店。昭和61年5月船橋・西武美術館で★「江戸美似展」開催。11月習志野保健所より珈琲専門店サンモール表彰される。
http://kaiyodohobbyland.jp/land/
★館長のブログより
海洋堂の倉庫には、厖大な今清水英一の「美似コレクション」が眠っています。むかし「美似コレクション」を「美似の日本」というタイトルで、コレクターの今清水さんが高島屋などで展示しました。当時の「パンフレット」が残されていて、「つくる」というテーマで展示演出されていました。中でも「失われていく道具類」というケースの中には、最少1.8センチのノミから、10数センチの鋸まで、むかしの職人が使用していた道具類が、ミニチュアで再現されているのです。ミニチュア作品を担当した昭和の職人たちは、すでに故人となられていますので、貴重な資料であり、江戸時代を識るよすがといえましょう。また別のケースには、「包丁」だけでも300数丁あります。ミニ包丁ではありますが、すべて包丁鍛冶につくらせたという逸品です。今清水さんご自身が映画俳優でしたので、道具類を蒐集するのには、うるさかったと聞いています。縁あって、海洋堂に譲渡して頂きましてから、大掛りな展示はしていなかったのですが、これからは「美似と江戸」を機会に、各地の博物館、百貨店などの展示会を開催して参りたいと考えています。この際江戸期の道具類を観て下さい。
・・・このホビーランドが完成して、「美似コレクション」を常設でみられることは本当に素晴らしい。
《参考》「ものづくりタウンかどま」より
「好き」を究めた精巧な技術力で業界を牽引し、世界の博物館「誰にも真似できないこと」をやる
フィギュアに生命を吹き込む海洋堂の、これまでとこれからや美術館にも進出するトップランナーの造形集団
海洋堂でものを作っている人間は、専門的な学校で学んだ人は一人もいません。松村くんという世界一動物造形がうまい子は、水産大学でクジラや鳥を追いかけて様々な自然史系の仕事を続ける中で、ひょんなことからうちにたどり着いたといいます。海洋堂のすべての製品には、動物であろうがウルトラマンであろうが、造形を作った、原型を作った人の名前が刻まれています。同じウルトラマンを作るとしても、十人いれば十人違ったウルトラマンになるんです。宮崎駿と赤塚不二夫と手塚治虫では、同じキャラクターを書いたとしてもタッチは変わりますよね。それと同じことです。
海洋堂の社員たちのものづくりはどれも素晴らしいと自信を持っているからこそ、食玩を含むすべてに作者の名前を入れている。これはどこのメーカーやものづくりの会社もやっていないことだと思いますし、「真似できるもんならやってみぃ!」という自信にもつながっている海洋堂の自慢です。
本来、フィギュアの形を作る人間のことは★「原型師」という言い方をすることが多いのですが、海洋堂では基本的に★「造形師」と呼んでいます。社員ひとりひとりのことを、ただ原型を作る担当の者というだけではなく、その人の個性や作風やこだわりといった部分まで含んだ「造形」を創作する一人の「作者」だと捉えているからです。
・・・私自身、「造形作家」を名乗っているわけですが、本当アタマがさがります。
・・・なかなか「企画展示室」にたどりつけません。あと少しです。