・・・「ラファエル前派(象徴主義)」「キュービズム(立体派)」に続いて、
《フォービスム》( Fauvisme野獣派)
象徴主義の画家で、当時エコール・デ・ボザール(官立美術学校)の教授をしていた★ギュスターヴ・モローがフォービスムの画家達の指導者であった。彼が弟子達に主張したのは、★形式の枠組みの外で物事を考え、その考えに従うことであった。主な弟子達は、この運動の中心人物であるアンリ・マティス、アンドレ・ドラン達であった。ルネサンス以降の伝統である★写実主義とは決別し、目に映る色彩ではなく、心が感じる色彩を表現した。1905年、パリで開催された展覧会サロン・ドートンヌに出品された一群の作品の、原色を多用した強烈な色彩と、激しいタッチを見た批評家ルイ・ボークセルが★「あたかも野獣(フォーヴ、fauves)の檻の中にいるようだ」と評したことから命名された。フォービスムはキュビズムのように理知的ではなく、感覚を重視し、色彩はデッサンや構図に従属するものではなく、芸術家の★主観的な感覚を表現するための道具として、自由に使われるべきであるとする。世紀末芸術に見られる陰鬱な暗い作風とは対照的に、明るい強烈な色彩でのびのびとした雰囲気を創造した。フォービスムに影響を与えた画家として、明るく強烈な印象の色彩を使用するポール・ゴーギャンやフィンセント・ファン・ゴッホ、点描のジョルジュ・スーラやポール・シニャックに代表される新印象派の画家達、またポール・セザンヌ等が挙げられる。前衛芸術のなかでも★フォービスムの運動は短命であり、1904から1908年の数年間のムーブメントで、展示は3回だけだった。
マティスは、「フォービズムが全てではないが、全ての基礎だ」という言葉を、苦しい時期の後に残しています。彼の信念は調和のとれた明るい色彩で描かれた構図が最も重要、というもので1906年~10年はそうした理念を前面に押し出した傑作をいくつも描き上げました。運動が収束した後、画家たちはそれぞれの道を歩み始めて行き、マティス自身も、色彩の激しさよりも調和を求める画風へと変化していった。
・・・短いムーブメントまさしく「野獣」であり、そして「変貌」する。
【アンリ・マティスHenri Matisse】(1869~1954)Wikiより
フランスの画家。フォービスム(野獣派)のリーダー的存在であり、野獣派の活動が短期間で終わった後も20世紀を代表する芸術家の一人として活動を続けた。自然をこよなく愛し★「色彩の魔術師」と謳われ、緑あふれる世界を描き続けた画家であった。彫刻および版画も手がけている。線の単純化、色彩の純化を追求した結果、★切り絵に到達する。マティスにとってはさみは鉛筆以上に素画に適した道具だったのである。★
『ジャズ』シリーズなど切り絵の作品を多数残している。緑好きが高じて一風変わったアトリエを作った。テーブルの上に所狭しと並べられた多様な花。身の丈を越す巨大な観葉植物など、まるで植物園のようであった。さらに大好きな鳥を多い時には300羽も飼っていたと云われている。草花が満ち溢れ、鳥たちが憩うアトリエから数々の傑作を生み出した。巨匠が晩年辿りついた癒しに満ちた世界。名画誕生の舞台となった緑いっぱいのアトリエであった。そして★体力がなくなっていったマティスは油絵から切り紙絵へと変更する。アシスタントに色紙を作ってもらい、はさみで切り抜いて作品を作り上げていった。体調の変化で作品にも変化が現れ、自然から受ける感覚、感触をダイレクトに現すようなことができるようになっていった。形を見るというより、花や植物から感じる安らぎを心の目で見ると、★はさみを使うという身体的な動きを通して機能化して表現、生命そのものの記号になるように求めていったのである。
マティスの作風から、彼自身も穏やかな人だったのだろうと想像しますが「マティスは苦悩の人でした。彼の絵から平穏さを感じるとすれば、マティスにとって制作こそが癒やしだったからなのです」。「私が夢見るのは(中略)肉体の疲れを癒やしてくれる、★座り心地のいい肘掛け椅子のような芸術です」と言ったマティス。アトリエを観葉植物で埋めつくし、熱帯の鳥や白い鳩を放し、歌声を聴きながら制作していた画家。「マティスがニースに居を定めたのは、ここが文化的なコスモポリタンな町だったことも重要です。1919年に映画スタジオ『ラ・ヴィクトリーヌ』ができ、世界中の映画人が往来し、各国の知識階級も住んでいました。だからこそ、この時代、ニース界隈には多くの画家が集まっていたのです」南フランスで老いたルノワールと絵画論を交わし、★ピカソとよきライバル関係を保ち、★ボナールと友情を温めたマティス。親しかったコクトーは画家として唯一マティスの葬儀に列席した人である。
・・・「座り心地のいい肘掛け椅子のような芸術です」とするならば、生活の中に浸透し、日常を彩り身にまとえるアートでありたいと強く思います。「玉手箱プロジェクト」から生まれた「アート・スリッポン」は、まさしくその願いを具現化する取り組みです。マチスへのオマージュとして「マチスリッポン」も描いています。
・・・実際の「マチスリッポン」を堺・山之口商店街でご覧ください。帽子もありますよ。ご希望の方は、ギャラリー「いろはに」まで。