《難波宮内裏東方遺跡》
地下約1.5mのところから、後期難波宮の建物や回廊、大化元年の難波遷都以前の飛鳥時代の建物や倉庫が、多数発見されたそうです。
《アネックスパル法円坂》
540-0006大阪市中央区法円坂1丁目1-35/06-6943-5021
●「重慶市文史研究館/新春虎の絵展 (2022年1月5日~2月17日)」
《街角ミュージアム6》
https://www.occpa.or.jp/ikou/machikado_M/machikado_M06.html
難波宮大極殿跡の少し東、難波宮域の真上の旧大阪市立中央青年センタ-にあり、敷地内の駐車場には難波宮東方官衙跡の柱列が現地に表示されています。★1階のフロアには難波宮期の土器、重圏文軒瓦のほか、豊臣期大坂城の金箔瓦など付近の発掘調査で見つかった出土品を展示しています。
・・・まっすぐ東に進むと「森之宮」駅、もう少し歩きたいので「歴史の道」を南下します。
《歴史の散歩道(森之宮勝山線)》
https://www.city.osaka.lg.jp/tennoji/page/0000501815.html
・・・なんとも不思議な建物や彫像があり、調べてもわからない。
《越中井(えっちゅうい)》
https://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000009669.html
この付近は細川越中守忠興(ただおき)の邸跡で、越中井はその邸内にあったものといわれている。慶長5年(1600)関ケ原戦の直前、忠興が家康に従い上杉攻めに出陣中、石田三成は在坂諸大名の妻子を人質にしようとしたが、忠興夫人玉子(洗礼名ガラシャ)はこれに従わず、家臣に胸を突かせて37歳の生涯を閉じた。近くの★カトリック教会には、ガラシャ夫人像とキリシタン大名の高山右近(たかやまうこん)像がある。
《青刻昆布発祥の地》
https://osaka-chushin.jp/spot/35322
越中井の南、玉造越中公園の西側に「青刻昆布発祥の地」の石碑がある。江戸時代中期、北海道より北前船で日本海と瀬戸内海を通って、良質の昆布が大坂に集まり、昆布加工業が栄えた。上町台地あたりは昆布取り扱い業が多く、この公園のある場所も青刻昆布製造業を営んでいたことから、平成13年(2001)、この地に石碑が建立された。
《カトリック玉造教会》
540-0004大阪市中央区玉造2-24-22/06-6941-2332
http://www.tamatsukuri-catholic.com/
1894年、この玉造の地に聖アグネス聖堂が建てられ、マリー神父が初代主任司祭となって玉造教会が誕生しました。その聖堂は戦災によって焼失しましたが、その後、仮聖堂を経て、ザビエル来日400年記念の年に建設された聖フランシスコ・ザビエル聖堂に引き継がれ、1963年3月に、現司教座聖堂「聖マリア大聖堂」へと生まれ変わりました。その大聖堂の西北には、細川越中守の屋敷跡と伝えられている「越中井」が残されており、細川ガラシア夫人を記念して辞世の句碑が建っています。現在の聖マリア大聖堂は、鉄骨鉄筋コンクリート建て、建坪2450平方メートル、軒高20メートル、青銅板葺きの大伽藍です。正面の大壁画と左右にある壁画は、芸術院会員★故堂本印象画伯の筆によるものです。大小およそ100個の窓は、通風窓をのぞき、ベニス工房★羽淵紅州の作によるステンドグラスで、イエス・キリストの生誕と洗礼、聖母マリアの生涯、そして小聖堂には日本人に福音を伝える聖フランシスコ・ザビエルが描き出されています。大聖堂内陣中央にある大十字架、2F楽廊にある聖母と聖ヨハネ像、大聖堂の壁面に掲げられている十字架の道行の14場面、小聖堂の聖アグネスと聖フランシスコ・ザビエルの像は、オーストリアの彫刻家★ルンガルチェ氏の木彫です。大聖堂前広場の両端にある福者高山右近と細川ガラシア夫人の石像は、カトリック信徒の彫刻家★阿部政義氏の力作です。大聖堂のパイプオルガンは、2400本ものパイプを有するものです。
・・・無理をせず、そろそろ帰ることにしましょう。めざすは「玉造」駅です。