・・・なんと3回目のワクチン接種のおかげ?で、久しぶりに大阪市内に出かけました。
《大阪府大規模接種のご案内》
大阪府庁新別館南館・北館接種センター/06-6442-6070
540-0008大阪市中央区大手前3丁目1-43
・・・ワクチン接種後なので、無理しない程度に人ごみを避けて運動不足解消のための散歩。
《大阪重粒子線センター》
540-0008大阪市中央区大手前3丁目3-8/06-6947-3210
https://www.osaka-himak.or.jp/
コンパクトサイズの重粒子線治療装置、高い治療精度の高速スキャニング照射など、日本が世界に誇る技術により、精度のよい重粒子線治療を行っています。また、安心・安全の基本方針に基づき、ユニバーサルデザインを採用した施設で、患者様に優しいがん治療の提供をめざしてまいります。
《NEWS》大阪城に使われず放置…「残念石」のいま石碑や壁に/2017.8.29朝日新聞より
「残念石」。約400年前、大坂城の石垣の材料にと切り出されたものの、何らかの理由で使われなかった石をそう呼ぶ。そんな石たちがオブジェとなり、石碑となって再利用され、活路を開いている。大阪城の西側に今年3月にオープンした「大阪国際がんセンター」の玄関前に、花崗岩(かこうがん)のオブジェが飾られている。工事前の調査で発掘され、岡藩(豊後)の中川家のものとみられる刻印やくさびを打ち込んだ跡があった。発掘を担当した府文化財センターの担当者は「補修用として保管されていた石が捨てられた可能性が考えられる」と話す。1583年に豊臣秀吉が築城を始めた大坂城は1615年、大坂夏の陣で攻め落とされた後、地中深くに埋められた。徳川家はその後、各地の大名を動員して城の再建に取り組み、巨石を運び込んだ。その途中で放置されたのが、現在残念石といわれている。がんセンターの山崎洋・広報企画リーダーは「四百年も地中で眠っていた石。それだけで歴史のロマンを感じます」。今秋、がんセンターの隣に完成する予定の★重粒子線がん治療施設の敷地でも同様の石が見つかった。施設はオブジェとして活用する。
《Halftecture OR》設計:遠藤秀平
http://www.hetgallery.com/halftecture-osaka-castle.html
《ラジオ塔》
https://www.osakacastlepark.jp/articles/detail.html?id=223
日本におけるラジオ放送の黎明期、ラジオの普及を目的に各地の公園や広場などに設置された大衆向けラジオ聴取施設をラジオ塔という。大阪城公園のラジオ塔は昭和13年(1938)の設置で、大阪市内では天王寺公園(昭和5年、全国初)・住吉公園(昭和8年)に続く。コンクリート製で、屋根は灯籠に似た宝形造、胴部は角柱形である。スピーカー収納部の窓は四角でなく矢羽形となっているところが特徴で、鉄格子もV字である。ラジオ塔は全国に広まったが、第二次世界大戦後は小型ラジオが普及し、やがて歴史的な役割を終えた。
《生国魂神社お旅所跡》
https://osaka-castle.net/osakajo/ikukunitamajinjya-otabishoato.html
生国魂神社の歴史を文献資料でたどると、「日本書紀」孝徳天皇即位前紀(645年)に「生国魂神社の樹をきりたまふ」とあるのが初出になります。これは難波宮造営のためだと考えられています。また、「天文日記」(1436年〜1454年)の記載からも大坂(石山)本願寺に接して生国魂神社のあったことがわかります。難波宮や大坂本願寺は、この大阪城の近くにあったことがわかっており、生国魂神社が古くよりこのあたりに祀られていたことがわかります。その後、豊臣秀吉は大坂城の築城に際して、天王寺区生玉町の現在地に移築させました。豊臣大坂城の大手門は、生玉門と呼ばれていたそうです。この「お旅所」は1932年(昭和7年)に新築され、夏祭りの渡御祭に用いられました。
《教育塔》
https://www.osakacastlepark.jp/articles/detail.html?id=222
昭和9年(1934)9月21日に日本列島を襲った室戸台風は、午前8時ごろに暴風や高潮が大阪を襲い、未曽有の被害をもたらした。特に児童生徒の多くが学校内で犠牲となり、またこれを救おうと奮闘した教職員も命を落とし、社会に深い悲しみを与えた。これを機に同11年、不慮の災害や事故によって亡くなった教育関係者や児童生徒の霊をなぐさめるために設けられた施設が教育塔である。外観は崇高な教育精神をあらわし、正面にはめこまれた2枚のレリーフ画は、子どもたちに対する教育者の情熱あふれる姿勢とひたむきな愛情をあらわす。塔の建築には教育塔建設費に17万5千円、式典費、準備費等で合計32万円ほどがかかりました。公募により、塔の設計は島川精さん、塔の正面のレリーフは長谷川義起さんが選ばれました。
・・・スイセン、ほっとします。