コスモス | すくらんぶるアートヴィレッジ

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★羽曳野市の「秋の風物詩」/羽曳野市役所2021.10.5

https://www.facebook.com/city.habikino/posts/1655270868005804

~応神天皇陵古墳外濠外堤のコスモス~

暑さが少しまだ感じられますが、朝夕はすっかり秋めいてきました。世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」の構成資産である、応神天皇陵古墳の外濠外堤のコスモスが、徐々にですが、きれいに咲いています(今年は花の咲き具合が少し遅いのかもしれません…)。今はまだ満開には至っていませんが、10月中旬以降にはきれいに咲き誇るのではないか、と思います。そこで、毎年好評をいただいています「コスモスの花の摘み取り」を以下のとおり行います。

日時:令和3年10月23日(土)10:00~12:00 ※雨天中止

場所:応神天皇陵古墳外濠外堤(誉田5丁目)近鉄古市駅から北に徒歩約20分

当日は、汚れてもいい服装と靴(長靴がいいかも)でお越しください。摘み取るときのハサミは各自でご用意ください。花を包むための新聞紙等はこちらで準備します。なお、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、必ずマスク着用をお願いします。また、お越しの際は、公共交通機関のご利用をお願いします。ぜひ、お越しください‼︎~世界遺産課~

・・・応神天皇陵と太子町コスモス畑は、近くを通りかかったらコスモスの咲き具合を観察しています、これからが盛りでする。

 

《参考》9月14日は「コスモスの日」/坪井花苑より

https://tsuboikaen.co.jp/

9月14日は、ホワイトデーから半年後にあたる日。そこで、プレゼントにコスモスを添えて交換し、愛を確かめ合う記念日として「コスモスの日」が生まれたのです。

学名:Cosmos bipinnatus/科名:キク科/原産地:メキシコ/和名:秋桜/英名:Cosmos

コスモスの花言葉は「乙女の真心」「調和」「謙虚」など。また、花の色によってもさまざまな花言葉があります。赤のコスモス:「愛情」ピンクのコスモス:「純潔」白のコスモス:「優美」黄のコスモス:「野生の美しさ 」★黒のコスモス:「恋の終わり」

「コスモス(cosmos)」という花の名前の由来は、ギリシャ語で★「秩序」や「調和」を意味する「kosmos」。

規則正しく花びらが並ぶ様子から、この名前が付けられました。また、英語で宇宙のことを「cosmos」とも言います。秩序によって調和を保っている宇宙のことを、哲学者★ピタゴラスが「cosmos」と呼び始めたのだそうです。

★「チョコレートコスモス」

https://lovegreen.net/library/flower/p91520/

その名の通り、ほのかにチョコレートに似た香りを放つコスモスです。茶色がかった赤い花もチョコレートを連想させます。植物には様々な香りのタイプがありますが、チョコレートに似た匂いはとても珍しいもの。チョコの原料であるカカオの花ですら香りません。コスモスは明治期から日本に入ってきましたが、チョコレートコスモスはやや遅れて大正時代に伝わりました。やや育てにくいので、コスモスのように遊休地にまかれて広がることもありませんでした。そのため園芸市場ではコスモスと別扱いになっています。短日植物なので、夜でもこうこうと明るい場所に置くと花をつけにくくなってしまいます。チョコレートコスモスは、原種の他、園芸種として数品種あり、品種によって、開花時期や栽培適温が違います。

・・・最近は「ハナ」だけでなく「ムシ」を発見しないと、気がすまなくなっているワタシです。ははは

・・・さて花ではありませんがショックなニュースが、

 

★「幻の鳥」ハシジロキツツキ、米国が絶滅と認定/2021.10.8ナショナル ジオグラフィック

かつて米国やキューバの森に生息していたハシジロキツツキ。「神のみぞ知る鳥」と呼ばれ、十数年前には米国で大論争を引き起こした幻の鳥だが、このほどついに絶滅との判断が下された。この鳥が米国内で確実に目撃されたのは、1944年のルイジアナ州の事例が最後。以降、確実な目撃情報がないまま数十年が経過し、ほとんどの鳥類学者はこの鳥が絶滅したと考えてきた。9月29日、米国魚類野生生物局は、ハシジロキツツキを含む22種の動物と1種の植物を絶滅したとみなし、絶滅危惧種法の対象リストから削除する意向を発表した。今回リストから外れた生物には、オハイオ州の小川だけに生息していた小さな魚や、ハワイの熱帯雨林の鳥なども含まれている。いずれも生物多様性の重大な喪失にちがいないが、これまで最も大きな注目を集めてきた種は、まぎれもなくハシジロキツツキだ。

 

《ハシジロキツツキ(嘴白啄木鳥)》

学名:Campephilus principalis)、キツツキ目キツツキ科に分類される鳥。全長50センチメートル。キツツキ科の鳥の中では、メキシコ西部に生息する近縁種のテイオウキツツキ(英語版)(C. imperialis) に次いで2番目に大型の種である。頭部は赤色で、嘴は肌色。顔から背中、翼の上半分、尾羽にかけては黒褐色で、翼の下半分は灰色。顔の横から背中の左右にかけて、白い帯が入る。アニメーションキャラクター、ウッディー★ウッドペッカーのモデルとされている。

1944年以降、まともな目撃情報がなかったにもかかわらず、熱烈なバードウォッチャーたちはこの鳥がまだいるとの希望を捨てることなく、テキサス州からフロリダ州まで、南部の低地をひたすら探してきた。目撃情報は頻繁に寄せられていたが、どれも確定的なものではなかった(エボシクマゲラというよく似た鳥がいるため、探索は困難を極めた)。大きな転機が訪れたのは2005年のこと。アーカンソー州の国立野生生物保護区が報告した7件の目撃情報と、ある不鮮明な4秒間の目撃映像に基づき、権威ある米コーネル大学鳥類学研究所の研究者チームが、ハシジロキツツキは絶滅していないという見解を科学的事実として認めたのだ。この驚くべき再発見は、すぐに「今世紀を代表する自然保護の物語」と呼ばれるようになった。知らせを聞いて、多くの人が涙を流した。この奇跡のような出来事を、人類による破壊から回復できるという希望の物語として受け止めたのだ。

とはいえ、この発表の当初から、懐疑的な意見は少なくなかった。ハシジロキツツキが生息するには、大きな木(特に大きな枯れ木)が豊富にある広大な原生林が必要であることを、歴史的な記録は示している。ところが、アーカンソー州で最初に目撃があったのは、マクドナルドやガソリンスタンド、モーテルなどがひしめく高速道路のジャンクションからほんの5キロほどの、周囲を農地に囲まれた小さな湿地沿いの、比較的狭い森の中だった。そもそも、ハシジロキツツキはそれまで60年間どこにいたのだろうか?なぜ、この鳥の確実な目撃情報や写真、映像は一度も出てこなかったのか?復活を信じる人々の中から、信じるに値する答えが出てくることはなかった。

2005年、ナショナル ジオグラフィック誌の編集者から私(著者のメル・ホワイト氏)の元にメールが届いた。私の自宅から約100キロのところで「失われた種」が見つかったことを喜んでいるかとの問いに、私はこう答えた。「なあ。ここにハシジロキツツキはいないよ。全て大きな間違いだ」ハシジロキツツキ狂騒曲真っ只中でのこの発言は、編集者を驚かせた。間もなく、私はナショナル ジオグラフィック誌にハシジロキツツキについての記事を書くことになった。

私は、アーカンソー州在住の長年の鳥類愛好家であり、ハシジロキツツキを捜索するチームの一員でもあった。2004年には、リトルロックで開催された秘密の会議に招待された。そこでは、コーネル大学やネイチャー・コンサーバンシーなどの代表者が、ハシジロキツツキを探す計画や、目撃情報が発表された際に避けられない世間からの注目、熱狂的なバードウォッチャーが殺到した場合の対応策などを検討していた。ナショナル ジオグラフィック誌の仕事が決まると、科学者、政府関係者、ボランティアの捜索者、鳥類同定の専門家など、議論の両サイドにいる何十人もの人にインタビューを行った。ハシジロキツツキの生存について、最初から懐疑的だった私だが、証拠とされるものについて話を聞いた後は、無神論者のごとく全く信じなくなった。

 生存を信じている人と懐疑論者の対立は激化していった。米国で最も尊敬されている野鳥観察者の一人、ケン・カウフマン氏は、ハシジロキツツキが映っているとされる例の4秒間の映像を見て、上向きの角度で飛び去るエボシクマゲラに見えると判断した。カウフマン氏は最高に良い人なのだが、この自らの判断によって、懐疑論者になるとはどういうことを意味するのかを、すぐさま知ることとなった。「猛烈に怒鳴られましたよ。この喜びに満ちた出来事に疑問を抱くなんてと」。当時、彼は私にそう語った。

やはり鳥類同定の権威で、カウフマン氏と同じく鳥類のフィールドガイドを執筆しているデビッド・シブリー氏は、最初は興味を持ったものの、すぐに「証拠を見直すと、いかに証拠が少ないかがわかった」という。彼も最終的にはハシジロキツツキの発見に対する疑念を公表したが、「人生に一度あるかないかの『いい話』が事実ではないかもしれないと、どう伝えたらいいのか、難しかったです。うまいやり方はないですね」と私に語った。

多くの人が、この対立ゆえに友人を失った。科学雑誌や自然誌での言葉の争いは険悪なものになっていた。高名な学者たちがスキャンダル誌のようなトーンで互いに記事を執筆する。いったんある立場を採った人というのは、それを再考する謙虚さを持ち合わせていないことが多いものだ。

ナショナル ジオグラフィック誌は、自然写真家のエースであるジョエル・サートレイ氏に、ハシジロキツツキの記事のための写真を依頼した。当然かもしれないが、彼はハシジロキツツキの信奉者だった。サートレイ氏はアーカンソーの沼地で何週間も根気強く撮影を続けた。1枚の、完璧な写真があればいいのだ。その写真さえあれば、ハシジロキツツキが今でも樹齢1000年のヌマスギの間を飛び回り、葉巻大の幼虫を食べているのだときっぱりと証明できる。私は彼の献身的な努力に尊敬の念を抱いたが、信念には共感できなかった。編集部は、ハシジロキツツキの記事をできるだけ早く、ネタが新鮮なうちに掲載したいと考えていた。サートレイ氏は次の営巣期まで仕事ができるように1年延期してほしいと申し出たが、結局は編集部の意見が通り、記事は捜索の様子とその舞台をとらえた写真とともに掲載された。しかし、ハシジロキツツキそのものについては、ハーバード大学で保管されている60以上の標本が並ぶ写真が載っただけだった。

最大の懐疑論者は、捜索の舞台となった土地を管理するホワイト・リバー国立野生生物保護区の一部のスタッフだった。彼らは、何十年にもわたって低地を探索してきた経験豊かなアウトドアの専門家だ。それなのに、外部の専門家から、自分たちの森に生息する非常に大きくて騒々しい鳥を見つけられなかったと言われたのだ。怒るのも無理はない。しかし、魚類野生生物局が再発見を正式に支持し、公式発表の祝賀の場にも参加した以上、彼らもその見解に従わざるを得なかった。そして、16年後の現在、いまだにハシジロキツツキを見た人はいない。ついには魚類野生生物局が、ハシジロキツツキは絶滅したと公式に認めた。ドードーやティラノサウルスと同じように、彼らはもういない。それどころか、同局のプレスリリースでは、最後に目撃されたのは1944年のこととなっている。2004年から2005年にかけてのアーカンソー州東部での目撃情報は間違いだったと、魚類野生生物局が認めたことになる。これで、多くの人が、一連の騒動は実に無駄な空騒ぎだったと主張し始めることだろう。

しかし、無駄ではなかったのだ。ハシジロキツツキの絶滅は私たちに何かを教えてくれるかもしれない。今回のプレスリリースでは、「減少が取り返しのつかないことになる前に」種を保存することの重要性についても述べられている。単一の種に焦点を当てるのではなく、生態系全体を保護するということだ。1つの魚種を守るために1つの川を保護するのは非効率的で、小規模な環境破壊の影響を受けやすい。しかし、その川を取り巻く大きな生態系を守ることで、魚だけでなく他の多くの種の生息地も守ることができる。

今回、絶滅が宣言された23種には、それぞれに存続のための条件があり、どこかの時点で連鎖が途絶えてしまったのだと言える。木材会社が工場を稼働させるスピードに合わせて米国南部の原生林が伐採されていた20世紀初頭、ハシジロキツツキの行く末は恐らくすでに絶望的だった。19世紀末から20世紀初頭にかけての米国の発展の中で、ハシジロキツツキが存続できる広さの原野を保護することは不可能だっただろう。しかし、環境意識の高まりと自然保護活動のおかげで、ルイジアナ州のアチャファラヤ盆地やフロリダ州のビッグ・サイプレス湿地など、現代にも野生の土地は存在する。そうした場所には、アメリカクロクマやピューマ、ハクトウワシ、ワニなど、数え切れないほどの種が生息している。ただし、ハシジロキツツキがいなくなったことで森に空いた穴が埋まることは、永遠にない。

★「ウッディー・ウッドペッカー(Woody Woodpecker)」/Wikiより

ウォルター・ランツ・プロダクションが制作し、1940年から1972年にユニバーサル・スタジオが配給した短編映画に登場した漫画のキツツキを模したキャラクターである。1930年代後半にワーナー・ブラザース・カートゥーン・スタジオ(英語版)でバッグス・バニーとダフィー・ダックというスクリューボールキャラクターの基礎を築いたウォルター・ランツと画家のベン・ハーダウェイ(英語版)によって1940年に制作された。キャラクターデザインは、派手なデザインの非常識な性格のキツツキから、チャック・ジョーンズによるバッグス・バニーの流れを汲む、より洗練されたルックスと性格のキャラクターへと進化させていった。ウッディーの声は元々メル・ブランクが担当していたが、短編ではダニー・ウェブ、ケント・ロジャース(英語版)、ベン・ハーダウェイ(英語版)、グレース・スタッフォード(英語版)が引き継いでいる。ウッディーのアニメは、『ウッディー・ウッドペッカー・ショー』でテレビで初放送された。ランツは、同世代の他のアニメーターに比べ長くアニメーション制作しており、ウッディ・ウッドペッカーは1972年にランツがスタジオを閉鎖するまで、定番のキャラクターとなっていた。ウッディーはハリウッド・ウォーク・オブ・フェームのハリウッド大通り7000番地にある映画スターを持っている。また、1988年の映画『ロジャー・ラビット』では、他の有名な漫画キャラクターたちと一緒にカメオ出演している。ウォルト・ディズニー・カンパニーのミッキーマウスやワーナー・ブラザースのバッグス・バニーのように、ウッディーはユニバーサル・スタジオの公式マスコットとなった。ウッディーとその仲間たちは、世界中のユニバーサル・パークス&リゾーツや、スペインのサロウにあるポートアベンチュラ・ワールド(英語版)のポートアベンチュラ・パーク(英語版)のアイコンでもある。

・・・これからはウッドペッカーを見るたびに、大切なことを思い出すに違いない。