不変(付箋)5 | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・毎年、いただくのは「白龍」と決めているのですが、今回はじめて「白髪」を食してみることにしました。

●「白龍」

山本独自の伝統技法によりつくりあげ、更に食味を増すためにじっくりと熟成させた★古物です。10g当りの線状は約130本とかなり細い素麺ですが、コシ等旨味を充分に追求した製品で、ご贈答用として、また各地の料亭等でも高級そうめんとして重宝されています。そうめんは、冬から春にかけて製造され、梅雨時期を1回経た新物、2回経た古物(ひねもの)、 3回経た古古物(こひねもの)(大古物)に分けられます。古物は新物のそうめんに比べてコシが強く、 茹でのびしにくいという特徴がありますが、古ければ古いほどいいかというと、必ずしもそうではなく一番の食べ頃は製造から2~3年といわれてます。

●「白髪」

そうめんは細い物ほど高級品とされておりますが、白髪は10g当りの線状が約300本と「超極細品」で、腕の良い素麺師でなければ造れない希少価値の高いそうめんです。白髪は2010年より、8年連続モンドセレクション最高金賞を受賞しています。さらに、最高金賞または金賞を、3年連続受賞した商品に与えられる「国際優秀品質賞(インターナショル・ハイクオリティー・トロフィー)」という名誉ある賞まで受賞。三輪山本は1717年創業で、農民に広く素麺製造を奨励することからスタートしました。製造業・問屋業を行う中で、五代目の1900年前後には高級素麺製造に力を入れ、東京に進出。東京『日本橋三越』の贈答用取り扱いで、食品第1号となり、その後、百貨店への本格進出も開始しました。そして1928年には、『宮内省御用』の栄誉を賜っています。戦前には、軍需用保存食としての麺製造専従時期があり、終戦後には農林省指定工場となりましたが、その後一般市販に復しています。『三輪そうめん山本』は、創業300年を迎えたのを節目に、『株式会社三輪山本』に改名しました。

 

・・・こんなにも食感が違うとは、正直驚きました。食べ比べて実感、これからは両方注文したいと思います。しばらく休業されるということですが、再開を楽しみに待っています、ごちそうさまでした。さて、この後は、

《三輪明神「大神神社」》

633-8538奈良県桜井市三輪1422/0744-42-6633

http://oomiwa.or.jp/

ご祭神の大物主大神がお山に鎮まるために、古来本殿は設けずに拝殿の奥にある三ツ鳥居を通し三輪山を拝するという原初の神祀りの様を伝える我が国最古の神社です。伝承が『古事記』や『日本書紀』の神話に記されています。『古事記』によれば、大物主大神が出雲の大国主神の前に現れ、国造りを成就させる為に「吾をば倭の青垣、東の山の上にいつきまつれ」と三輪山に祀まつられることを望んだとあります。また、『日本書記』でも同様の伝承が語られ、二神の問答で大物主大神は大国主神の「幸魂・奇魂」であると名乗られたとあります。そして『古事記』同様に三輪山に鎮まることを望まれました。この伝承では大物主大神は大国主神の別の御魂として顕現され、三輪山に鎮しずまられたということです。この様に記紀の神話に創祀の伝承が明瞭に記されていることは貴重なことで、当社が神代に始まった古社中の古社と認識されており、ご祭神の神格が如何に高かったかを物語っていると言えます。

・・・私の実家(平野)は菓子店をしていた関係から、毎年の初詣は「みわさん」でした。そういう意味でも、特別な場所ではあります。

・・・「そーめん」を食べてハイさよならというわけにはいかないのは当然で、「感謝」(合掌)こそ我が国の「不変」でありたいものです。柴田貴子さんは、毎年「大絵馬」を奉納されている田原本町にお住まいの画家です。

日本美術家連盟会員、美術文化協会初出展(1964)、関西寺術文化賞(1969)、安井賞出品、大三輪神社大絵馬制作(2003~)、野崎観音板絵墨彩(2007~)等。

 

・・・「神体山」にはいつか登りたいと、「ご神水」をいただき「付箋」をしっかり貼って帰阪しました。