・・・ビー玉で作って「ビー玉虫」なら、スズで作ったら「スズ虫」になるわけです。ちょうど手ごろな鈴を発見しましたので、さっそく作ってみました。
《スズムシ》(鈴虫、金鐘児、Homoeogryllus japonicus)/Wikiより
バッタ目コオロギ科の昆虫。大型の日本産コオロギ科昆虫である。古くは「マツムシ」と呼ばれるなど、双方に混同があった。英語ではBell cricketという。虫を聴く文化は日本や中国などで継承されてきた文化である。欧米人は虫の鳴き声を★雑音として聞くか、鳴いていることすら気付かない場合が多いとされ、その要因は人種的な違いではなく幼少期の話し言葉の環境によるとする説がある。医学者の角田忠信によると、人間は一般には左脳が言語、右脳が言語以外の雑音の処理を行っているが、9歳までの時期を日本語で育つと母音の音の物理的構造に似た人の感情音や自然界のさまざまな音を左脳で処理するようになり、日本人は例外的に虫の声をはじめ★自然界の音を言葉と同様に左脳で聞いているとする研究を発表している。また、小泉八雲は、虫を愛するのは日本人とギリシャ人のみだと述べている。ただし、虫を聴く文化は中国などでもみられ、ヨーロッパなどにも、虫の鳴き声を歌になぞらえた詩や歌があることから、それだけですべてを説明するのは無理で、★自然環境や四季の変化がその要因になっているともいわれている。鳴き声が★細かく鈴を振るようだというので鈴虫と言うが、かつてはこれを★松林をわたる風と聞いたらしい。逆にマツムシの「チンチロリン」という鳴き声を鈴の音と聞いていたようである。他の鳴く虫にも言えることだが、★周波数が高すぎるために一部の録音機材では録音できず、電話(携帯電話含む)では鳴き声を伝えられない。文部省唱歌の「蟲のこゑ」では、「あれマツムシが鳴いているチンチロ チンチロ チンチロリン」に対して「あれスズムシも鳴きだした リンリン リンリン リーンリン」とあるように、標準的な★聞きなしとしては「リーン、リーン」などである。
※聞きなし(聞き做し、ききなし)
動物、主に鳥の鳴き声を★人間の言葉に当てはめて聞くことである。ウグイスの鳴き声を「法華経」と聞くように、意味のある言葉を当てはめることを指すことが多い。これによって動物の鳴き声が覚えやすくなる。
《鈴》Wikiより
音を出す道具のひとつ。土器や金属、陶器などでできた中空の外身の中に小さな玉が入っており、全体を振り動かすことで音を出すもの。似たものに鐘があるが、鐘は人間が舌や撞木を動かして音を生じさせるものである。鐘の場合、舌や撞木は人間が触れることができ、紐やワイヤーで鐘の外身あるいは鐘の置かれた建造物と繋がれている。鈴の場合は鐘とは異なり、中の玉は外身にくるまれており人間が触れることはできず外身ともどことも繋がれてはいない。★英語では鐘も鈴も「bell」と呼ぶ。鈴は、縄文時代にクルミなどの木の実やマメを振ると外殻や鞘の中で種子が動いて鳴ることに着想を得て作られた道具ともいわれる。マメや木の実の種子が殻や鞘とはくっついておらず何処にもつながれていないのに外殻とともに成長するというのは、人間にとって、この上なく★神秘的であった。
・・・この機会に「スズ」について、いろいろ調べてみたいと思います。
《参考》古墳時代の鈴の音/京都国立博物館より
https://www.kyohaku.go.jp/jp/dictio/kouko/97kofun.html
馬具にかかわる鈴が多いことに気づくでしょう。日本で5世紀ごろに始まる乗馬の習慣と鈴の普及には関係があることがわかります。遠くからシャンシャンと鈴音を響かせながらやってくる騎馬人物を想像してください。古墳時代の人びとにはその鈴音はそれまで聞いたこともないものでした。いったいそれはすばらしい音に聞こえたのでしょうか?それとも恐ろしい音に感じたのでしょうか?
●「土の鈴・形と音色」 /日本玩具博物館
日本の発音道具(音具)の中で、最も種類も数も多いのが「鈴」だといわれています。神社の祭儀に用いられる鈴や守り鈴、家畜につける守護鈴、全国各地で古くから作られている郷土玩具の土鈴、根付やキーホルダーなど、私たちの生活場面を思い返すと、実に様々な鈴が身の回りに存在していることに気付きます。こうした鈴の色々を愛し、特に旅先の土産として買い求め、手元に数々の鈴をコレクションして楽しむ人たちも少なくありません。日本の鈴の歴史をさかのぼると、縄文時代の土鈴に行きつきます。縄文中期の釈迦堂遺跡(山梨県)からは、内部に2~5個の土玉が入った小さな土鈴が発見されました。音色はすずやかな響きをもちます。儀礼の中で打ち鳴らされる土鈴の音色は、人々の心を込めた奏上に神々が応える慶びの声であるとも考えられています。江戸時代安永6(1777)年の『倭訓栞』によれば、鈴は、★その音が「すずしい」のでその名が付けられたとあり、その鈴を打ち鳴らせば、除魔の呪力があるとして、古くから祭具に使用されてきたと記されています。古墳時代には、墳墓の副葬品や埴輪にも見出され、通信具としても用いられたことがわかっています。
●駅鈴蓋置/茶道具
http://verdure.tyanoyu.net/hutaoki_ekirei.html
円形の中央を丸く抜いた環状(ドーナツ形)を横に割った形で、間に玉を入れた蓋置です。 駅鈴は、駅路(えきろ)ともいい、律令制で官命によって旅行する者に中央官庁と地方国衙(こくが)から下付した鈴のことで、駅馬の供与を受ける資格を証明し、駅使はこの鈴を鳴らして旅行したといい、この駅路鈴から転じて馬につける環状の鈴のこともいいます。 駅鈴蓋置は、主に槍の鞘建水に用います。『茶道筌蹄』に「禅鞠 坐禅に頭にのせる具也、形丸し、平なるは駅鈴なり」とあります。
●参拝の際に鳴らす鈴について/神社本庁より
https://www.jinjahoncho.or.jp/omairi/osahou/suzu
多くの神社には、拝殿の中央、ちょうど賽銭箱の真上あたりに、銅や真鍮製の大きな鈴が吊られており、この鈴に添えて麻縄や、紅白・五色の布などを垂らして、参拝者はこれを振り動かして鈴を鳴らし、お参りをします。社頭に設けられた鈴は、その清々しい音色で参拝者を敬虔な気持ちにするとともに参拝者を祓い清め、神霊の発動を願うものと考えられています。
《神楽鈴》
神楽舞(かぐらまい)を舞うときに巫女が手に持って鳴らす「巫女鈴」(神楽鈴)というものがある。中心となる棒に取っ手とその上部に3段に分けて、小さな鈴を15(=3+5+7)個付けた「七五三鈴」等が使われる。これは★「鈴なり」の言葉の語源ともなった。出雲大社では「瑞鈴」という鈴を用いる。これは毎年8月に行う「みたまむすびの霊行」にて、氏子や教信徒らが本殿瑞垣内神域を「おにわふみ」を行う時に抱く神聖な鈴である。
《NEWS》2020.1.10西日本新聞より
「鈴」神社で鳴らす意味は?櫛田神社・博多歴史館で企画展
多くの方が新年の参拝を済ませたでしょうが、神社の参拝儀礼につきものなのが鈴。神鈴(しんれい)を鳴らして「二礼二拍手一礼」の作法を行うのが一般的だが、鈴を鳴らす意味は何なのか?そんな疑問を解き明かす「鈴の世界」展が福岡市博多区上川端町の櫛田神社・博多歴史館で開かれている。3月1日まで。鈴の歴史は古く、縄文時代には土鈴(どれい)、弥生時代の銅鐸(どうたく)が祭礼に用いられた。同神社は、鈴の謎に迫る貴重な史料を江戸末期開設の図書館「櫛田文庫」に所蔵。博多町人が学んだ古文書が数多く収められている。企画展では古文書を年代順に並べ、鈴の歴史を紹介している。720年成立の日本書紀には顕宗天皇の時代、来客が来た際に鐸(鐘の一種)を鳴らして天皇の取り次ぎに合図するようにしていたとの記述がある。りんとした音は権力者の威厳を示すものだったのか。肝心の参拝儀礼としての鈴はどうだろう。国学者の本居宣長は、古記録などを収録した随筆集「玉勝間」に伊勢神宮の参拝方法を記した。拝礼や柏手(かしわで)を繰り返す作法が書かれているが★鈴は鳴らしていない。現代でも守られている。櫛田神社の阿部憲之介宮司によると、伊勢神宮など昔の官幣(かんぺい)大社(歴代天皇や皇族らを祭った国の神社)は鈴を鳴らさない社が多いという。ただ、江戸初期の神道辞典「神道名目類聚抄(しんとうみょうもくるいじゅうしょう)」を見ると、現在と同じ神鈴を鳴らす参拝儀礼があったことが分かる。神社の格式、地域、時代によって作法は異なっていたようで、阿部宮司は「鈴の音は参拝者をすがすがしい気持ちにさせてくれる。おはらいの意味がある」と強調した。企画展には医師で鈴コレクターの故井島良雄さん(福岡市中央区)が世界中から集めた鈴約100点も展示されている。長崎県平戸市で見つかったヤギ用の鐘鈴「カウベル」は、中央に十字架らしい浮き彫りが施され、隠れキリシタンが隠し持っていたとみられる。一緒に並ぶスイス製の鈴とうり二つで、長い時代を重ねて浸透してきた鈴には奥深い世界が広がっている。櫛田神社=092(291)2951。
《日本土鈴館》
501-5124岐阜県郡上市白鳥町大島(国道156号線沿)/0575-82-5090
http://www.nihondorei.com/index.html
玩具(がんぐ)としての土鈴が登場するのは、江戸時代初期★京都の伏見(ふしみ)の土焼きの一つとしてつくられたのが最初とされる。伏見焼の土鈴は、伏見稲荷(いなり)の土産(みやげ)物として売られてきた。土鈴を10個ずつ藁(わら)でくくって★鈴成りに見立て、果樹の枝につるして豊穣(ほうじょう)を祈ったり、または井戸につるして虫除けのまじないとした。そのほか、美江寺観音(みえじかんのん)(岐阜県)の養蚕の良好を祈る蚕(かいこ)鈴、福島羽黒山神社(福島県)の開運縁起の土鈴猿に仕立てた「まさる」、英彦山(ひこさん)(福岡県)の害虫除けのガラガラ鈴、御岳金桜(みたけかなざくら)神社(山梨県)の虫切りのまじないとされる虫切り鈴などがあげられる。
《宣長の鈴》
http://www.inetmie.or.jp/~nishi-3/suzu.htm
松阪は鈴に縁の深い土地である。国学者本居宣長は鈴を愛して住居を鈴屋と号した。また鈴屋学、鈴屋門は学界では有名である。これ以外に、まだ町も無かった遠い上代の頃から、駅路鈴止(馬に付いている鈴の音を止めた所)の地で有った。つまり松阪は伊勢神宮、斎宮等の神宮と京都を結ぶアクセスロード上にあり、神領の外堺即ち神の世界へのブレークポイントであった。一方当時の交通手段は「馬」を乗り継いだが、官史が諸国に向かう時は朝廷から駅鈴と伝符を賜り、途上鈴を鳴らして官吏で有ることを示し、駅家(うまや)では鈴と伝符を示し次の馬を徴用した。だが松阪は神の遠堺とされ、駅鈴の音を止め、身を清め、静々と神の領域に侵入した。また同行者(案内人等)に侵入は許されず、神宮より迎えに来た者と交代した。ちなみに現在の駅部田町(まえのへたちょう)は駅の部田(うまやのへた)が変じたもので、よいほモール商店街の歩道にも馬問屋跡の標識が有る。
http://www.norinagakinenkan.com/norinaga/kaisetsu/suzu3.html
書斎に掛けられた柱掛鈴ですが、宣長さん遺愛の鈴として、「柱掛鈴」以外に、「駅鈴」とか「十字鈴」がよく知られています。ほかに、「茄子型古鈴」、「養老鈴」、「鬼面鈴」、「鉄鈴」、「八面型古鈴」もあり、本居家に伝わったそれら7つの鈴を「七種鈴」と呼びます。 この中で、宣長さんとの係わりがはっきりしているのは「駅鈴」と「十字鈴」、「鉄鈴」の3つです。
・・・今は行けないけれど、松阪にも行ってみたいなあ。