・・・「晴耕雨読」。「雨」の表現については、その頃取り組んでいた「猫饅頭(石の猫)」、「木工用ボンド」を盛り上げて眼を作っていましたので、それを応用しました。「読」は、部屋の片づけで不要となった子どもたちの絵本を活用しました。最初に出会う絵本類はとてもしっかりした厚紙が用いられており、処分するにはあまりにももったいない。もちろん印刷面をはがし、和紙(能楽謡本)を貼り付けました。
・・・しかし、ここまでの作業では、あまりにも「そのまんま」感は否めない。ということで、様々な小細工を施すにしました。
・・・東日本大震災10年を迎えて、作品裏面に「記憶・記録」を刻み込む。
・・・ちょうど「大阪中之島美術館」記念プロジェクトとして「コレクションへのラブレター」募集がありました。私が選んだ作品がジャコメッティの「鼻」、そのイメージを盛り込んで本作の「分身」を「ザ・スリム」切断端材で作りました。
★アルベルト・ジャコメッティ (1901–1966)《鼻》
1947年 ブロンズ・針金・ロープ・鋼 81.3×71.1×36.8cm
樹木のような、ゴツゴツざらっと目に映る肌合い。干からびて縮んだかのような頭。銃把のような“持ち手”は、細く崩れ垂れ下がる首と肩なのでしょうか。視力検査の記号のように大きく“空いた”口、そして、“檻”のようにわざわざ囲って作った空間を突き抜けて、長く、長くのびる鼻。何か不気味。でも何か可笑しい。刺々しい、でも大らか ―― 20世紀においてもっとも重要な彫刻家のひとりと評されるアルベルト・ジャコメッティによる本作品《鼻》は、彼の生涯にわたって続くことになるトライ・アンド・エラー、探求と創造のプロセスのなかで、ひとつの大きな転機を標す作品です。画家ジョヴァンニ・ジャコメッティの長男として、スイスのイタリア国境近くに生を受けたアルベルトは、幼少のころからデッサンに夢中でした。13歳で最初の彫刻をつくり、学校で、さらには旅先でも、絵に、彫刻にと取り組みます。21歳でパリに出ると、オーギュスト・ロダンの後継者とも称されるアントワーヌ・ブールデルのもとで彫刻とデッサンを学び、ブールデル自身が創立メンバーに名を連ねる美術展「サロン・デ・チュイルリー」に出品を重ねました。そして20代の終わり。前衛芸術家の間で注目を浴びるようになると、アンドレ・ブルトンやサルバドール・ダリらシュルレアリストからのラブコールに応え、彼らの活動に加わります。しかし、33歳のときに訪れた父親の死をきっかけに、シュルレアリスムと距離を取ると、翌年には裏切り者のレッテルを貼られ、シュルレアリストをクビになりました。ジャコメッティ34歳。かつて捨てた「モデル」のところに戻っていきます。残念ながらこのお話は、打ちひしがれた昔の恋人を迎える美しいモデルというロマンスではありません。ジャコメッティは、かつて文字通り、「モデル」を捨てたのです。目の前の対象を「見えるままに」描き、かたちにする ―― これはジャコメッティにとって、とても難しいことでした。踵とか鼻とかの部分から出発すると全体に到達できないという絶望のなか、彼は「モデル」を捨て、キクラデス文明やアフリカ部族の彫刻の形態を媒介に、記憶を頼りに、「現実についての自らのビジョン」に近いオブジェを制作します。それがシュルレアリスムと共鳴し、評価を勝ちえました。でもそれは“逃げ”だったのかもしれません。自分が本当に求める行き先を見つけるには、もう一度入口まで戻る必要がある。その入口が「モデル」であり、ジャコメッティは再びモデルを前に、自らの目が結ぶビジョンを創ることを引き受けます。見ることは創ること、と。「見えるままに」表現することを求めるジャコメッティの旅は、成功に向かって一直線に延びる道ではありませんでした。モデルと記憶の間、部分と全体の間、存在と消滅の間を行ったり来たりしながら、さまざまな制作に取り組みます。その作品は、ときにどんどん小さくなり、ときにどんどん長細くなりました。《鼻》が制作されたのは、戦後の1947年。当時ジャコメッティは、部分がきちんと規定されたひとつの全体をつくることができなかったと言っています。それでも腕や脚をきちんと定めたかったが、全体のためにひとつの部分しかつくることができなかった。そんな状況下で生まれたのがこの作品です。ジャコメッティはこの作品をシュルレアリスト時代に用いた金属枠に吊り下げました。頭部がモノのようにぶら下がり、鼻は枠が切り取る空間を超えて外へと延びていくように。隣人の死に接したことが、この作品に影響を与えたともいわれています。「[…]頭は後ろにのけぞり、口は開いていた。どんな死骸もこれほど無に等しいものに思われたことはなかった。[…]私は、Tが到るところにいる、全くの無に等しいあのあわれな寝台の上の死骸の中以外の到るところにTがいる、という漠然とした印象をもった。Tはもはや限界をもっていなかった。*1」《鼻》が生まれる1年前、ジャコメッティがこの隣人の死について記した言葉です。そこに身体はあるのに人はもういない。生ける者を突如として物体に変えてしまう死と、その死がもたらす身体の檻を超えた自由は、恐ろしくも、人間の目と意識をつかんで離さない力をもつ現実でしょう。翌1948年、ニューヨークでのジャコメッティの個展カタログに、ジャン=ポール・サルトルが寄せた序文にこんな一節があります。「彼(ジャコメッティ)はいうのである。『私はこれが終わったら、文章を書いたり、絵を描いたりして、幸福な時を楽しみたい』と。だが死ぬまで終わることはないだろう。*2」予言のように響くこの言葉。ジャコメッティはその後も終わりなきプロセスを生きることになります。「まったくダメだ」とつぶやきながら。(主任学芸員 植木啓子)
・・・とにもかくにも、眼がはなせないんです。
悲しくなったり、寂しくなったり、
どこかへ飛んで行ってしまうのじゃないかと。
不安になるんです。でも、
何をどうしていいのやら、無力感さえ感じてしまいます。
どうかこのまま、そのまま静かに。
そっと、見守っていますから。