《参考》読書する少女たち: 美少女絵画集/著:渋谷獏/Kindle版
★「本を読む女性」像について(その1・2)文:江本菜穂子
(名古屋造形大学造形学部造形学科特任教授)
ここに一枚の写真がある。〈ユリシーズを読むマリリン〉1952(図1)と題名が付けられている。マリリンとは、ご存じアメリカが誇る20世紀のセックスシンボル、マリリン・モンローである。この作品は何をねらって写されたのか。モンローという女性と『ユリシーズ』という本との意外性をねらってのことなのか。彼女は『ユリシーズ』を本当に読んでいたの?ふりをしているの?という質問も当然多く寄せられたという。(注1)当然、彼女がポピュラーな雑誌をめくっていたら、この写真は作品として発表されていなかったかもしれないし、こんな質問もなかったと思われる。こうした話題とは別に、ねらいはモンローを知的にイメージアップさせることだったのか。いずれにしても、「モンロー」と「本」というイメージのギャップがこうした質問を思い起こさせることは間違いない。いきなり、モンローの写真から話題を導入したが、西洋の美術作品の中で、「本を読む女性」像というモティーフは昔から繰り返し登場している。例えば、室内で静かに本を読む女性、フラゴナールの〈読書する若い女性〉1776(図2)や窓辺で本を読む女性の姿を描いたルノワールの〈読書する女〉1875-76(図3)などの作品を思い浮かべることは難しくはない。どちらの作品も静的な美しさが作品に感じられる名作である。しかし、考えてみると女性が一般的な教育を受けられるようになった時代が到来したのは実はそんなに昔のことではなく、女性が本を自由に手にすることができるようになったのも、そんなに古いことではない。「読書する男性」像をモティーフにした美術作品の方が当然のことながら、女性の場合よりも圧倒的に多い。それにも拘らず、女性が本を読む姿の方が記憶に残る作品が多いのはなぜか。画家たちは彼女たちの姿をどのようにとらえたのか。それぞれの時代の中で彼女たちが本を読んでいる場面は何を語っているのか。前述のモンローの『ユリシーズ』の例ではないが、作品の中の彼女たちは何を読んでいるのか等など、女性が読書する姿もしくは、時として手紙などを読む姿を通して、さまざまな観点が浮かび上がってくる。さらには、本の形、サイズからはじまり、どのような場所で読むのか等、描かれた一枚一枚が語りかけてくるものはたくさんある。本稿ではこうした点にスポットをあてながら、まず「本」の登場からはじまり、時代とともに変化する「本を読む女性」像を探ってみようと思う。
何気なく手にしている「本」がはたしていつごろから出現したのか。ヨーロッパにおいて最初の書物は、エジプト古王国時代に出現したパピルス紙の巻子本であった。月村辰夫「書物の形と読書の姿」(注2)とロジェ・シャルティエ/グリエルモ・カヴァッロ『読むことの歴史』(注3)を参考にしながら、最初にここではその形を追うことから始めたい。古代エジプト★〈書記坐像〉は、第5王朝(図4)に造られたルーヴル美術館所蔵の有名な彫刻で、男があぐらをかいた脚の上に巻物をのせている。この彫刻が教えてくれるように、最初の「本」の形は巻子本の形態であった。さらにこの(書記坐像)の形が古代エジプト王国だけではなく、古代ギリシア・ローマにおける文字を書き写す姿勢であり、その結果が形として、巻子本の高さを限定させた。つまり巻子本の高さは、太股の長さに対応して25センチが上限になる。この像が巻子本の大きさを後世に伝えてくれるだけではなく、エジプトでの文字を書く場所は、つまりあぐらの上であることを私たちに教えてくれている。但し、古代エジプトの時代の書記坐像は男性像のみであり、女性像はない。古代ギリシア・ローマでは、口語言語が書記言語よりも優位であったという。あくまでも生の声を重要視した。それどころか「社会の上層に暮らす人間は、文章を綴るという書記言語の活動をさげすんでいたようにも見える。」(注4)能力のある奴隷を使ってその仕事をさせ、自分は文字を書く仕事から解放されるのである。文字を書くことはしたがって奴隷の仕事だったのである。エジプトの〈書記坐像〉のような、いわば現代の高級官僚の役職のような例とは異なって、身分が高い人ほど文字を書くということはなかった時代なのである(但し書けなかったのではなく、彼らは書かなかったのであるが)。ドミティウス・アヘーノバルブスの祭壇の浮彫彫刻BC100頃はその様子を物語っている。(図5)この彫刻ではおそらく奴隷が命令を受けて書き取っている様子が彫られており、当時の文字を書く姿や様子を垣間見ることができる。古代ギリシア・ローマ時代の彫像や壁画には、男性だけではなく、女性が本を読んでいる姿を多く見つけることができる。しかし、この時代、社会における女性の位置は高いものではなく、女性の日常行動に対する規制は厳しかった。教育環境は、家庭における教育(7歳まで一家庭婦人、乳母など)とその後20歳までの学校での集団教育が確立されていた。ローマ人社会では伝統的に家長の権限が強く、息子の教育に責任を持つというのが建前であった。読み書きに関していえば、こうした基礎教育は女性や奴隷に対しても広く行われた。「7歳までの教育はもっぱら女性に委ねられていた。ヘレニズム時代全体を通して初等教育の学校は普及し、リベラル・アーツ(文法、論理学。修辞学)と上級四科(算術、音楽、幾何、天文学)が広く学ばれた」という。(注5)女性が文字を読んでいた例として、浮彫彫刻を探してみると〈侍女〉BC.420(図6)をあげることができる。ここでは女性が手に本(巻子本)を持っている姿が彫られている。女性が手に本を持つ姿はこの例だけではなく、前述したように、この時代には比較的容易に見つけることができる。ギリシアでは、書物の存在は稀であったが、読み書き能力はかなり広範に普及していた。公私の碑文を読む習慣は都市の下層階級の間にも普及していたのである。古代ローマでは、ポンペイの壁画にその例を探ることができる。〈パン屋の夫婦〉60-70(図7)と呼ばれているフレスコ画である。ここには夫婦が仲良く肖像画の形で描かれており、妻は折り畳み式書字版(蝋盤)と鉄筆を、夫はパピルスの巻物を持っている。ちなみに鉄筆は片方はとがっており、もう片方は平らで文字が消せるようになっていた。この壁画は、彼らパン屋の夫婦(テレンティウス・ネオとその妻)が何らかの形で文字を書き、読むことができたという確証でもある。この夫婦のように一般の人物であってもこの時代では文字を書いたり、読んだりできる教育は進んでおり、〈パン屋の夫婦〉の像は間違いなく当時の多くの庶民の姿であろう。この夫婦は、仕事がら帳簿をつける必要だった為か、誇らしげに筆記用具と巻物を手にして肖像画におさまっており、読み書きの能力が肖像画にしてもらうほど高かったと思われる。さらに、ポンペイの壁画には〈若い女性の肖像〉という美しいフレスコが残っている。彼女も手に鉄筆を持って、頬にそれをちょっと押し当てた仕草で描かれている。一般女性も読み書きがかなり進んでいたことが、これらの像から伺うことができる。識字と筆記の能力が発達していたとしても、それは単に記述して保存することの意味の場合が多く、ここでは「本」の内容まで問うことはできない。ところで、これらポンペイの壁画の肖像画として描かれたフレスコは、正面向きで半身像として描かれている。手に持つ筆記用具と巻物は、彼らがその★能力を持っていたということを示す重要なモティーフなのであるが、★「字を読む」「字を書く」という具体的な行為そのものを見せているわけではない。あくまでも正面向きの人物像というものに力点が置かれている肖像画である。口に筆記用具をちょっとあてる仕草は当時流行したポーズであり、逆に流行したことからも一般に読み書きが流布していたことが確認できる。その一方、ポンペイの壁画には行為として、「本を読んでいる」女性の美しい姿の像も残されている。〈本を読む女性〉1c.(図8)の像は若い優美な姿の女性が手に巻物を持って立っている。彼女のかすかなS字曲線を描く立ち姿と右手で読み続けている巻物を支える仕草と左手との間に垂れ下がったパピルス紙の曲線がつくるリズムが残った色彩の見事さの他にこの像の美しさを作り上げている。ここで彼女が立って巻物を読んでいるのは、恐らく黙読ではなく、音読しているからであろう。「本を読む」という行為はこの時代あくまでも★音読が主だったからである。最初「書物」は記憶するものとして★保存の意味を担っていた。「書物」つまり「本」が発明されたのも、「本文を定めて記憶を呼び覚まし、実際のところ本文を保存するためであると、古代ギリシアでは意識されていた。」(注6)★その後、保存目的とした書物と、読まれることを目的とした書物の境界線が次第にひかれるようになっていく。ギリシアの壺絵には教科書用の書物を示す場面から、本当の読書の場面へと移行する様子が描かれている。最初は男性しか現れていないが、次第に女性読者の姿も見られるようになる。「こうした読者の絵は孤立した形では描かれておらず、会話や宴を表すコンテクストの中に描かれている」(注7)つまり、★読書は社交の機会であり、まったく個人的なものではなかったことが考えられる。概観したように古代ギリシア・ローマ時代において、巻物を読む姿の図像や彫像は多く見出せても、★書く行為に至っては奴隷の仕事であるが故に、あまり表現する対象にはならなかったようで、「文字を書く」姿は数としては多く残ってはいない。女性も奴隷も読み書きはある程度できており、古代には「文字を書く」という行為ばかりでなく、実際は、その★「文字を読む」という作業も奴隷に任せていたと言われている。(注8)そして、4世紀後半になっても、音読が支配的であったのは、古代の奴隷制社会という基盤が強固だったからであろうと月村は指摘している。つまり、★男性は階級や地位が高ければ高いほど、文字の読み書きは自分でしなかったということになる。その理由から、★読み書きが女性や奴隷によりいっそう歓迎されたのは驚くに当たらないことなのである。この時代に女性の本を読む姿が容易に見つけられるのはこうした理由もあってのことであろう。奴隷制の崩壊とキリスト教の出現により、読み書きの教育と本の形が変化することになる。奴隷制の崩壊は、自分の力で文字(書物)を読まなくてはならない事態を引き起こした。このことが、★次に黙読という形をうみだす。「自分のために読む(ないしは読み上げる)のであれば、エネルギーの消費の点でより合理的な黙読に移行するのは必然であった」。(注9)そして、同時に★書物形態に変化が起こる。冊子本の登場である。2世紀以後次第に巻子本(巻物)にとってかわり、冊子本が完全に支配的となるのは5世紀初めである。この形は主としてキリスト教関係の書物として使われるようになる。「巻子本は奴隷労働、程度の差はあれきわめて高価な職人工房、エジプトから輸入されたパピルスという素材と結びついていた。」(注10)このように冊子本が巻子本にとって代わるにはさまざまな要因が働いていた。エジプト以外は通常羊皮紙が用いられたが、これはいたるところで手に入れることができ、皮は丈夫なので裏にも書け、冊子形式にすることができ、読書の際の扱いが容易になった。★書物形態の変化と読書習慣の変化はほぼ同時に起きたと言えるのである。
・・・これ以上の引用は長くなるので遠慮するが、とても興味深い論文なのでぜひ続きをお読みいただきたい。
《参考》山口県立山口図書館/資料展示「絵の中にみる読書する女性たち」
平成28年10月1日(土)~11月29日(火)
https://library.pref.yamaguchi.lg.jp/siryoutenji/201610
平成28年10月27日(木曜日)から11月9日(水曜日)は第70回読書週間です。第1回読書週間は、戦後間もない昭和22年(1947年)11月17日から23日までの1週間、日本図書館協会の主催により開催されました。私たちが普段何気なく楽しんでいる読書も、少し歴史をさかのぼってみると、今とは違ったありようがうかがえます。今回はヨーロッパと日本を中心に、その場所、その時代の読書風景を、「絵の中にみる読書する女性たち」として展示紹介します。
場所:山口県立山口図書館 2F展示コーナー
《読書する女》
作者:ジャン・オノレ・フラゴナール、制作年:1776年頃、所蔵:ワシントン・ナショナル・ギャラリー
展示資料:『カンヴァス世界の大画家 20』(井上 靖∥編集委員 高階秀爾∥編集委員,中央公論社,1983年)
18世紀フランスのロココ美術を代表する画家、フラゴナールの作品です。モデルは不明とされていますが、読書をテーマとした作品として広く知られています。彼女の着ているドレスの黄と、効果的に使用されている赤の色調の暖かさで人間の温もりを表現しており、自然な光の中で「本を読む」という日常的な情景を描いています。その後に起こったフランス革命からナポレオン帝政に伴い、ロココ美術は退廃的とされて衰退し、フラゴナールも晩年は不遇でしたが、彼の死後に美術評論家のゴンクール兄弟がフラゴナール論を執筆したことで、再評価されました。
《読書する少女》
作者:ピエール=オーギュスト・ルノワール、制作年:1874年、所蔵:オルセー美術館
展示資料:『現代世界の美術 2 アート・ギャラリー』(中山公男[ほか]編集委員,集英社,1985年)
19世紀のヨーロッパでは、新聞や雑誌、娯楽小説が流行し、一般の労働者、女性や子どもが読書をする光景は珍しいものではなくなりました。特に女性の読書風景は当時の多くの画家に好まれたようで、読書に親しむ女性たちの姿がさまざまに描かれています。ルノワールの作品にも読書をテーマにした作品がいくつかあり、「読書する少女」のほか、画家のクロード・モネやその夫人をモデルにした作品、読書する女性を背後から描いた作品などもあります。
《読書》
作者:黒田清輝、制作年:1890~91年、所蔵:東京国立美術館
展示資料:『原色日本の美術27 近代の洋画』(小学館,1978年)
1891年のフランス芸術家協会のサロンに出品され、日本人としては3人目の入選作品となった、黒田清輝の初期代表作です。この絵は当時制作の拠点としていた、パリ近郊のグレー・シュル・ロワン村のホテルの一室において、村の農家の娘、マリア・ビヨーをモデルにして制作されました。黒田清輝は当初、戸外での作品を手がけていましたが、連日の雨により、室内での作品制作をすることになりました。そこで室内の題材として選ばれたのが、この読書図です。作品が描かれた19世紀以降、読書は女性の趣味のひとつとなり、女性読者を対象とした小説や実用書などが、多く流通するようになっていました。
・・・画像と文は直接対応してませんので、どの絵か?探してみてくださいね。