・・・「新潟」から「糸魚川」まで移動、約2.5~3時間かかりますから、もう一泊するのが理想的ですね。
《フォッサマグナミュージアム》
941-0056新潟県糸魚川市大字一ノ宮1313/025-553-1880
フォッサマグナ(Fossa Magna)はラテン語で、「大きな溝」という意味です。古い時代の岩石(おもに中生代・古生代、「薄い茶色」)でできた 、ほぼ南北方向の溝の中に、新しい時代の岩石(新生代、「緑色」)がつまっています。この溝は、上空から見下ろしてわかるような、地形的な溝ではなく、山々をつくっている地層や岩石を知ってはじめてわかる「地質学的な溝」です。この「地質学的な溝」を、ナウマン博士は「フォッサマグナ」と呼びました。ナウマン博士は、フォッサマグナの西縁を糸魚川-静岡構造線、東縁を直江津-平塚線と考えました。このようにフォッサマグナは 三次元の地質構造(二次元の広がりを呼ぶ場合もある;フォッサマグナ地域など)をさすものです。したがって、糸魚川-静岡構造線は、その西縁の境界面(断層面)ですから、「フォッサマグナ 」と「糸魚川-静岡構造線」は同じ意味ではないことに注意してほしいと思います。また、フォッサマグナのもう一つの地質学的な特徴は、フォッサマグナの真ん中に南北方向の火山列があることです。北から代表的な火山をあげると、新潟焼山・妙高山・黒姫山・飯綱山・八ヶ岳・富士山・箱根・天城山などです。フォッサマグナの地下には、フォッサマグナの部分が落ち込んだ時にできた南北方向の断層があって、それを通ってマグマが上昇し、南北方向の火山列ができたと考えられています。
https://www.city.itoigawa.lg.jp/6525.htm
・・・学校で習った詳しい内容はわかりませんが、「フォッサマグナ」という言葉だけがやたら印象的で忘れられません。残念ながら、このミュージアムに行きたくて「糸魚川」で下車するのではありません。
《翡翠園・玉翠園・谷村美術館》
建築家:村野藤吾、木彫芸術家:澤田政廣、造園家:中根金作、★3人の巨匠の技がここに結集。
・・・インパクトある誘惑です。
●翡翠園941-0055新潟県糸魚川市蓮台寺2-11-1
1978年に開園。お城のような石垣の横の石段を上り、玄関をくぐると、正面にコバルト色の70tのヒスイ原石が目に入ります。敷地面積1万7千平方メートル、松林を背景に三つの滝、池、曲水をもって構成されており、巨石と数多くの石を使用した豪壮で優雅な回遊式庭園です。春は紅梅白梅から始まり、新緑、さつきと続き、梅雨の苔、秋のドウダンツツジやもみじの紅葉、雪景色と、季節ごとに変化する景観が見事です。散策しながら、四季折々の風景をお愉しみください。
※翡翠美術館/園内には、糸魚川産ヒスイや世界各地のヒスイの彫刻作品を間近に鑑賞できる「ひすい美術館」が併設されています。
《ヒスイ》Wikiより
鉱物学的には「翡翠」と呼ばれる石は化学組成の違いから「硬玉(ヒスイ輝石)」と「軟玉(ネフライト:透閃石-緑閃石系角閃石)」に分かれ、両者は全く別の鉱物である。しかし見た目では区別がつきにくいことから、どちらも「翡翠」と呼んでいる。
非常に壊れにくいことから先史時代には石器武器の材料でもあった。ヨーロッパでは翡翠で作られた石斧が出土する。中国では、他の宝石よりも価値が高いとされ、古くから、腕輪などの装飾品や器、精細な彫刻をほどこした置物などに加工され、利用されてきた。不老不死および生命の再生をもたらす力を持つと信じられており[要出典]、古代においては遺体全体を玉で覆うことが行われた。秦の始皇帝の遺体も玉で覆われていたとされる。中南米の王族の墓でも同様の処置が確認される。ニュージーランドやメソアメリカではまじないの道具としても使われていた(メソアメリカでは腹痛を和らげる石として使われていた)。現在判明している世界最古のヒスイの加工は、現★日本新潟県糸魚川市において縄文時代中期(約5000年前)から始まった。世界最古の翡翠大珠が山梨県で見つかっている。弥生時代・古墳時代においても珍重され、祭祀・呪術に用いられたり、装身具や勾玉などに加工されたりした。しかし、奈良時代以降は見向きもされないようになった。そのため、国内産地も分からなくなり、研究者たちは国内で出土する勾玉等は国外から持ち込まれたものと考えていたが、1938年(昭和13年)に糸魚川で見つかった鉱物を東北帝国大学(現・東北大学)の河野義礼が鑑定し、国内産地があることが再発見された。日本では5月の誕生石にエメラルドとともに数えられている。宝石言葉は「長寿、健康、徳」。2016年9月には日本の国石と認定されている。2008年(平成20年)北京オリンピックのメダルにも使われている。現在では翡翠は乳鉢の材料としても馴染み深い。
「翡翠」は中国では元々★カワセミを指す言葉であったが、時代が下ると翡翠が宝石の玉もさすようになった。その経緯は分かっていないが以下の説がある。翡翠のうち白地に緑色と緋色が混じる石はとりわけ美しく、カワセミの羽の色に例えられ翡翠玉と名づけられたという。この「翡翠玉」がいつしか「玉」全体をさす名前になったのではないかと考えられている。参考までに、古代日本では玉は「たま」、カワセミは「そび」「そにとり」と呼ばれていた。カワセミに「翡翠」の字があてられ「ヒスイ」とも呼ばれ始めたのは室町時代以降である。したがって「翡翠」の語は中国から輸入されたと推察できる。
一般的に「翡翠」と聞いて頭に思い浮かべるのは、美しい緑色の宝石です。ところが翡翠には緑色だけでなく、実は様々な色の翡翠が市場には存在します。最も価値が高いといわれる石を特別に「琅玕(ろうかん)」と呼び、本当に美しい深い緑色をしています。翡翠が緑色だという固定概念を持つ人が多いため、わざわざ緑色に染色している場合もあります。紫色が濃く表れている「ラベンダーヒスイ」も大変珍しく価値が高いとされています。また不純物の少ない乳白色の翡翠も、ラベンダーヒスイにはやや劣るものの同様に価値が高いといわれています。翡翠にはジェダイト(硬玉)とネフライト(軟玉)があります。実はこの2つが異なる鉱物だということが判明したのは、わずか150年ほど前のこと。現在宝石として価値がある翡翠は、「ジェダイト(硬玉)」です。中国などではネフライト(軟玉)の翡翠も人気があるので、よく販売されていますが価値が全く違います。現在クオリティの高い翡翠が産出されるのは、ミャンマーです。宝石業界で取引される翡翠のほとんどはミャンマー産のもので、クオリティも高く最高級の琅玕(ろうかん)も採掘されています。
・・・あまり宝石に縁はありませんが、この機会に知っておくことも大切ですね。
●玉翠園・谷村美術館941-0054新潟県糸魚川市京ケ峰2-1-13/025-552-9277
1981年に開園。谷村美術館に隣接する玉翠園は、山間から流れる二本の川、遠くの山並みを借景し、庭園の築山と結びつけ、広大で閑静、風流な趣を見せてくれる観賞式庭園です。入口には、自然石の大観音像(全長8m、約90t)が立てられています。四季のうつろいを、まるで一幅の絵画のように室内から眺めて愉しむことができます。日々刻々と変化する庭園を眺めながら、ヒスイのテーブルでごゆっくり癒しの時間をご堪能ください。カフェやショップもご利用いただけます。
※日本庭園(翡翠園と玉翠園)
庭園は、「昭和の小堀遠州」と称えられた造園の権威★中根金作氏(元大阪芸術大学学長)の設計・監督によるものです。生涯現場主義を貫き、「大地に絵を描くように」卓越した自然風景を作り上げています。
●谷村美術館
1983年に開館。日本最高峰の木彫芸術家★澤田政廣氏の仏像「金剛王菩薩」「光明佛身」「彌勒菩薩」等10点を展示した澤田政廣作品展示館です。設計は、建築界の巨匠★村野藤吾氏最晩年の建築物です。入口を抜けると、荒涼とした砂漠の中に、シルクロードの遺跡、敦煌の石窟寺を思わせる建物が出現します。そこへ一直線に延びる日本風回廊を美術館へと進みます。館内には、湾曲した半円形の部屋、洞くつのような部屋の中に作品が展示されています。作品を引き立たせるための自然の光と人工照明が織りなす光と影は、天候や時刻によって違った表情を見ることができます。また、作品と見る者を優しく包む空間は、静寂の中に落ち着きを感じさせてくれます。
・・・まだまだ新潟、もう一泊する?????