名古屋へ(21) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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《みどりと彫刻の道》

三枝優「裸婦」吉田鎮夫「そよ風」今溝訓「モーメント」岩井義尚「形-Ⅲ」

 

《GLASTONIA(グラストニア)結婚式場》

https://glastonia.net/

466-0064名古屋市昭和区鶴舞4-1606/052-732-3777

アーサー王伝説の舞台、英国の世界観を再現した「グラストニア」。誰もが思わず足を止めてしまう、ジョージアンスタイルの美しい煉瓦造りの外観。大聖堂のステンドグラスは、100年以上前に英国の教会で実際に使用されていたもの。一瞬が心に残るのは「本物」ならではの壮麗さゆえ。憧れの大聖堂と一瞬で心惹かれる美しき英国邸宅で、幼いころ夢見た物語の世界へ誘います。

https://www.n-kokudo.co.jp/results/glastonia.html

竣工:2008年10月/発注:㈱一蔵

設計:㈱エドワード一級建築設計事務所

地上3階、地下1階/延床面積 2,879m2/構造 S造一部SRC造

 

・・・さて、大きな目的も達成して、名古屋最後をどこで過ごそうかと地下鉄に乗り込んで考えました。

 

《大須観音》

460-0011名古屋市中区大須2-21-47/052-231-6525

http://www.osu-kannon.jp/

当寺は、もと尾張国長岡庄大須郷(いまの岐阜県羽島市大須)にありました。御開山は能信上人です。元亨四年(1324年)後醍醐天皇は、勅願を下したまい長岡庄に北野天満宮を御造営になりました。天皇は能信上人に深く御帰依になり、元弘三年(1333年)上人をその別当職に補し、「北野山真福寺寶生院」という寺号をたまわりました。能信上人は当寺の開創にあたり、伊勢大神宮に百ヶ日間おこもりになり、「この世の人々が、おすくいをうけ、おめぐみをいただきますには、どなたさまをおまつりいたしたらよいでしょうか」と一心不乱においのりになりました。上人の誠は神に通じ、ある夕べの霊夢に、「大慈大悲の観世音こそは利益無量、この世の人びとに、もっともありがたいお方である。」とのお告げをえられ、そのうえ観世音の貴いお姿を拝されたのであります。そのお姿は、むかし弘法大師が一刀三礼御彫像あそばされた摂州★四天王寺の大慈大悲の観世音菩薩に寸分たがわぬ御尊影でありました。この霊夢のふしぎは、後村上天皇の御代にいたり朝廷にたっし、みことのりによって、当寺に移され、ご本尊と仰ぐこととなったのであります。それからのち、霊験はまことにあらたかなものがありました。後村上天皇も厚く上人に御帰依になり、伽藍を建立し、田地をたまい、すえ長く「勅願寺となす」とのありがたいみことのりを下されました。能信上人は、学徳ともに高いお方で、当寺の所蔵する★多数の書物は、東西の学者が珍重しているところですが、それらの多くは、上人がお集めになったものです。さらに上人はすべてのひとびとら尊信をうけ、ある時には神宮の巫女が、僧伽梨衣というおけさを大神のおさずけとして持ち来り、又ある時には、神人が鬼面を持って来て「この面は観世音垂跡の夜叉面ゆえに、加持を加え、諸人の禍をのぞき、福をさずけよ」と申したと伝えております。そしてこれらは寺宝となって伝わっています。御本尊の霊験は年とともに海内にひびきわたり、第二代住職は信瑜上人、第三代住職としては任瑜法親王がおつぎになり、寺領も一万余石におよび、伊勢・美濃・尾張・三河・遠江・信濃六ヶ国の真言宗寺院を末寺としました。そののち戦国の世となりましたが、織田信長公も寺領五百石を寄進し、徳川家康公に至っては、名古屋を建設経営するにあたり、慶長十七年、まず第一に、当寺を、いまのこの地に移されたのであります。はたせるかな霊験、日に日に新に、善男善女の参詣きびすを接し、市の一大中心として繁栄し、「大須観音」と俗称され、真言宗智山派別格本山として、今日に至っているのであります。

★寺内に、『古事記』の最古写本をはじめとする貴重書を多数蔵する「真福寺大須文庫」がある。

http://www.osu-kannon.jp/about/bunko.html

《参考》

●真福寺大須文庫画像一覧/国文学研究資料館より

http://base1.nijl.ac.jp/~tkoten/owners/syuusyuu_list/list_shinpukujiosubunko.html

●古事記1300年「大須観音展」/於:名古屋市博物館

平成24年12月1日(土)~平成25年1月14日(月)

http://www.museum.city.nagoya.jp/exhibition/special/past/tenji121201.html

節分や門前町のにぎわいで多くの市民に親しまれている名古屋市中区の大須観音。この大須観音が国宝『古事記』を初めとする古典籍の宝庫「大須文庫」を持つことは、意外と知られていないのではないでしょうか。大須観音の所蔵品は、国宝4件、重要文化財37件を含む平安から室町までの仏書、典籍類が一万点を超えます。この中には日本最古、世界唯一という書物が多く含まれています。そして平成24年は、和銅5年(712)の古事記誕生から1300年、大須観音が木曽三川の中洲から名古屋に移転して400年を迎えます。この記念すべき年に大須観音が伝える文化財の数々と、街とともに歩んできた歴史を広く紹介します。

 

《参考》「真福寺(大須観音)」★名古屋大須観音のふるさと

501-6325岐阜県羽島市桑原町大須2759−131/058-398-6578

https://hashimakanko.jp/store/shinpukuji/

鎌倉時代に建立され、南北朝時代には全盛時代を築きましたが、水害などにより荒廃しました。その後、慶長17年(1612)に徳川家康が真福寺の由緒と水難を免れた寺宝「大須文庫」があることを知り、真福寺を★名古屋城下へ移転させました。これが、今日の「大須観音」であります。現在の寺は、村民により昔をしのんで建立された寺で、阿弥陀如来像などが安置されています。

 

《大須商店街》

460-0011名古屋市中区大須2丁目~3丁目/大須商店街連盟組合会館3階052-261-2287

http://osu.co.jp/

名古屋市の代表的な繁華街・商店街の一つ。以前は秋葉原、日本橋とともに日本三大★電気街として知られていた。現在は、老若男女様々な人々が集う活気ある商店街として、またシャッター街から再生し更なる発展を遂げた稀有な商店街として知られており、多数の寺社や多様な店舗があることなどから、名古屋屈指の観光地ともなっている。

 

《参考》斜陽からの再生!なぜ大須商店街はシャッター通りにはならず賑わいを取り戻せたのか/LIFULL HOME'S PRESS編集部より

https://www.homes.co.jp/cont/press/buy/buy_00283/

1960年代、名古屋駅・栄の百貨店や地下街が賑わいを増していく一方で大須商店街は閑散としていき、何十軒とあった娯楽施設もつぎつぎと取り壊されていった。ところが、この危機的な状況が、むしろ商店街再生にとって有利に働いたのである。「1977年(昭和52年)に、日本映画館の跡地に電脳ショップ★『ラジオセンターアメ横ビル』(現在の第1アメ横ビル)が完成し、さらに同じ年、アメ横が建つ数ヵ月前に地下鉄鶴舞線が開通して「大須観音駅」ができました。それまでは商店街東側の名城線・上前津駅からのアクセスしかなかったのが西側からも商店街に入れるようになり、電気パーツなどを求める若い人たちがどんどん訪れるようになったんです」

http://osu-ameyoko.co.jp/

1つのビルの完成によって人の流れが変わりだした頃、古くから店を営む商店にも変化が訪れていた。「メインストリートの商店は、呉服屋や既製服などを売る店がほとんどでした。それが時代の流れと共に、後継者がいないとか売り上げが落ちたなどの事情で店舗をテナントに貸すようになっていったんです。その頃には若者が多く訪れるようになっていたので、若い世代をターゲットにしたカジュアルな店やメイド喫茶、フィギュアの店、カードゲームの店などがどんどん増えていきました。若い人たちが来るから若い人向けの店ができ、そこにまた若い人たちが来るという相乗効果があったのかなと思います」アメ横ビルの完成が大須商店街再生のきっかけになったのは確かだが、それだけで今ほどの賑わいが生まれるはずはない。やはり人の情熱があってこそ、まちはいきいきと発展していくのだ。衰退の危機にあった大須商店街の若手経営者たちを勇気づけ、商店街再生に突き動かしたのは、あるプロジェクトだった。

 

「1975年(昭和50年)に名城大学の助教授や学生さんたちの呼びかけで、私たちの先代・先々代の熱い思いを持った商店主が立ち上がり、協働で★『アクション大須』というプロジェクトを行いました。“大須を市民のコミュニティの街に”をテーマに、商店街のあちこちに会場を設け、お化け屋敷をやったり路上ミュージックをやったり寸劇や寄席をやったりと、まるで学園祭のようなノリで商店街を楽しく回遊できるイベントをしたんです」大成功をおさめたこの試みは、その後★「大須大道町人祭(おおすだいどうちょうにんまつり)」へと受け継がれた。1978年10月に第1回目が開催されて以来、毎年約30万人を動員する一大イベントとなっており、2014年10月には37回目の大須大道町人祭が開催された。

http://www.ohsu-gei.net/

このほかにも春祭りや夏祭り、世界コスプレサミットのパレードなど趣向を凝らしたイベントが行われている。「商店街連盟としては、訪れた人が散策しやすいよう大須マップをつくったり、土日限定の“大須案内人”を設けたり、観光客にアンケートを行ったり、ソフト事業をメインにさまざまな活動をしています。★足を止めれば衰退するのは目に見えているので、絶えず動き続けているんです」

 

・・・様々なことを学び「名古屋旅」を終え、ブログ「タテモノ100」。完