《名古屋市公会堂》
466-0064名古屋市昭和区鶴舞一丁目1番3号/052-731-7191
https://nagoyashi-kokaido.hall-info.jp/oshirase/0321.html
名古屋市公会堂は、昭和5年に昭和天皇のご成婚記念事業で建てられ、今も開館当時の姿をそのままに残しています。そのことが評価され、8月17日付で、国登録有形文化財(建造物)に登録されました。名古屋市公会堂は今年で開館90周年を迎えます。昭和5年(1930)に昭和天皇のご成婚記念事業で建築され、設計は名古屋市建築課が担当し、施工は大林組、大阪鉄工所、清水組など、多数の業者が請け負っている。名古屋市公会堂が位置する鶴舞公園は、明治42年(1909)に開園され、噴水塔と奏楽堂の二つの建物が鶴舞公園の東西の軸となっている。名古屋市公会堂はその噴水塔と奏楽堂が形成する東西軸に直交するように噴水塔の北に配置され、名古屋市公会堂と噴水塔が鶴舞公園の南北軸を形成する。名古屋市公会堂は戦後に米軍に徴収されたが、名古屋市に返還された後の昭和33年(1958)に玄関庇の復旧、連結椅子の整備、冷暖房用の空気吹出口の取付けなどが完了し、昭和55年(1980)には外部タイルの部分補修やエレベーターの取替えなどの改修が行われている。その後、平成31年(2019)に耐震補強を始めとした大改修を完了し、現在に至っている。外観は全体的に落ち着いた茶色の色調で整えられ、最上階の円形アーチや隅部の丸み、半円形窓などロマネスク的な表現が特徴的である。内部は1階から3階まで吹抜けの大ホールを中心にし、各階その周囲に集会室や和室などの部屋を置く。このように名古屋市公会堂は度重なる改修があるものの、創建時の様相を大きく損なうことなく残されており、昭和初期の鉄骨鉄筋コンクリート建造築の好例となる建造物である。
《参考》オフィスマーケットⅢ/2007年6月号より
https://www.sanko-e.co.jp/read/memory/nagoyashi-kokaido/
「市民に愛される文化の殿堂―昭和初期公会堂建築の名品」/文:歴史作家・吉田茂
明治42(1909)年11月19日、愛知県愛知郡御器所村(現・名古屋市昭和区)に鶴舞公園が誕生した。公園はその翌年に予定されていた第10回関西府県連合共進会の会場となり、その後、林学博士・本多静六と工学士・鈴木禎次の全体計画により、近世フランス式の洋風庭園と伝統的な日本庭園(設計・村瀬玄中、松尾宗五)を複合した大規模な廻遊式公園が大正年間を通じて整備された。ちなみにJRの駅名は"つるまい"であるが、公園名は元の地名(水流間)通り"つるま"と読む。その敷地内に、大正13年(1924)1月の摂政宮(昭和天皇)御成婚記念事業として計画されたのが名古屋市公会堂である。御成婚祝賀として建設された公会堂は、他に岩手県公会堂や鹿児島市公会堂(現・鹿児島市中央公民館)などがある。岩手・鹿児島共に昭和2年(1927)に竣工しているが、名古屋の公会堂は同年ようやく着工の運びとなり、3年半の工期を費やして昭和5年(1930)9月30日に完成した。完成までに時間がかかった理由は、着工時の金融恐慌から世界恐慌に至る長い不況による財源不足だったという。最終的な総工費としては当時の金額で約204万円が費やされた。設計は名古屋市建築課が担当したが、顧問として★武田五一、佐野利器、鈴木禎次らが関わったとの伝聞がある。施工は大林組など。延建築面積は1万1939平方メートル。鉄骨鉄筋コンクリート造。地上4階地下1階。座席数2000の大ホールと同700の4階小ホールを有し、他に9室の集会室を備える。大阪の中之島公会堂(大正7年竣工)、東京の日比谷公会堂(昭和4年竣工)に続き、三都においてそれぞれ特色の有る大規模な公会堂建築の揃い踏みが実現した。建物の1階部分を白っぽい龍山石と人造擬石ブロック張りとし、2階以上の外壁を焦茶色のスクラッチタイル仕上げとする落ち着いた外観。直線を基調とした左右対称の平面計画であるが、車寄せと階段室を前面に大きく張り出した姿は単調に陥らない重厚さを付加している。一方、丸味を持たせたコーナーや玄関両脇でアーチ型の突起を持つ独特の塔屋、それに合わせて最上部をアーチ型に丸めた窓部からは柔和な印象を受ける。塔の上部には公園名を象徴する鶴の羽根の意匠が浮彫にされ、全体を引き締める軒周りなど水平のデザイン要素も過不足なく仕上がっている。ファサードの出入口はどっしりとした三連アーチで形成され、ロビー部分は3階までの開放的な吹抜け空間となっている。竣工以来、市民の文化の殿堂として長く親しまれたが、第二次世界大戦中は高射第二師団の司令部として使用され、戦災は免れたものの、戦後は進駐軍に接収された。米空軍の専用施設としての10年を経て、名古屋市に返還された昭和31年から内部施設の整備拡充が行なわれ、再び市民の利用に供する公会堂として復活した。さらに、老朽化に伴い、市制90周年記念事業として昭和55年に建物の保全と機能向上を図る大改修が実施された。3階席まである大ホールには最新の舞台・音響設備が整えられ、日々多彩なイベントに利用されている(現在の席数は1986席)。平成元年(1989)、市の条例に基づき、都市景観重要建築物第1号に指定された。ネオ・ルネサンスの大阪、ネオ・ゴシックの東京と比して、この名古屋市公会堂は最もモダンな要素を体現した昭和初期建築の代表的な名品と位置づけることができる。
《NEWS》2015.12.7建設工業新聞より
名古屋市/公会堂全面改修(昭和区)/16年度予算で債務負担行為設定へ
名古屋市は、市の都市景観重要建築物に指定されている公会堂(昭和区鶴舞1)の全面改修工事を16年度に発注する。★山下設計に委託して進めている改修設計が来年2月に完了することから、市民経済局は、編成中の16年度予算案に債務負担行為として工事費61億5800万円を要求している。公会堂は、1930(昭和5)年の開館。第2次大戦中は防空部隊の司令部、戦後は米国空軍の娯楽・厚生施設になったが、56年に市の管理に戻り、施設の拡充が行われた。80年には老朽化に対応、市制90周年記念事業として大改修が施された。現在の建物は、SRC造地下1階地上4階建て延べ1万1939平方メートル。重厚で落ち着いた外観を持ち、89年には都市景観重要建築物に指定された。今回の改修では、耐震壁の設置、老朽化している屋上防水、外壁、外部建具、1階舞台、大ホール、4階ホール天井、各階便所、各種設備を一新するほか、鑑賞型施設としての機能向上、歴史的価値の保全を図る。改修によって、1階ホール客席は、1986席から1500席前後に減らし、余裕を持たせる。大ホールにはデジタルシネマ、デジタルサラウンドを導入し、多目的な利用を促進する。新たに授乳室(1階)、喫茶室(地階)を設ける。各種設備は最新型に更新、照明にLEDを採用し、省エネにも配慮する。改修工事は、17年4月から始まり、19年3月に完了する予定。
★全面リニューアル/設計:株式会社山下設計/施工:タイル:鴻池・杉本・水野特別共同企業体、水まわり:須賀・眞保特別共同企業体/竣工:2019年2月
https://www.biz-lixil.com/case/all/B190009
歴史的価値の高い外観や内部のデザインはそのままに、1F・B1Fロビー床は開館当時のモザイクタイル(25ミリ角無釉練り込みタイル)仕様を全て張り替え復元した。2F・3Fのホール、階段、廊下は部分復元で既設タイルを残しながら復元を行った。大ホール舞台袖壁のボーダータイル、内部廊下壁の施釉小口タイルからなる窓枠役物タイルの納まり、4Fホールロビー内部の腰壁は茶色の斑点施釉小口タイル張りによる3連コーナー役物が美しい仕上がりとなっている。
★大ホールリニューアル
https://www.kotobuki-seating.co.jp/projects/list/detail.html?pdid1=01019
大ホールは、コトブキシーティングが1930年の竣工時に納めたイスのデザインを復刻させました。復刻の手がかりとなったのは、当時のコトブキシーティングのカタログ写真でした。背もたれのパッドは、当時のノッチのデザインを忠実に再現。モケット素材の鮮やかな赤い張地とその縁取りは、ダークトーンに塗装された背板の木部と相まって、客席全体にノスタルジーな空気を誘い出します。2階のバルコニー席と3階席は、段差が高い階段状のため、ハイバック仕様です。名古屋市のマルハチマークが入った脚部は、当時は鋳物製でしたが、今回はアルミダイキャストに変更。細身で曲線的な形をしていますが、丈夫で安定感があります。肘当は、触感が繊細な指先に触れること重視して、天然木で形成しました。腕を置きやすいように面は緩やかな弧を描いており、先端は自然と指先がかかるように丸みを帯びています。竣工時のデザインを復活させる一方で、機能性や座り心地のためには、現代の最新技術を注いでいます。サイズは現代人の体格に合う形へと調整。座にはウレタンクッションと波形スプリングを用いて、長時間でも快適に座れるイスをめざしました。昭和のレトロ建築が大切に継承されてきた、名古屋市公会堂。平成、そして令和の時代へと、歴史の継承が期待されます。