天理へ(3) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・せっかくなのでキャンパスを散策させていただきました。

 

《天理大学「黎明館」》(旧制大阪高等学校黎明館)築:大正12(1923)年

https://www.furusatokai.gr.jp/?page_id=42

天理大学の創設者:中山正善二代真柱が学んだ、旧制大阪高等学校(現大阪大学)で生徒集会所として使用されていた建物を、記念館として昭和35(1960)年に天理大学キャンパス内に移築されたもの。現在は天理大学のギター部や弦楽部が使用している。

http://www.osaka-u.ac.jp/daikou/monu/monu.htm

 

《天理大学「伝道実習棟」》

https://www.tenri-u.ac.jp/100/column/q3tncs00001svmpc.html

一号棟の南側に伝道実習棟が建っています。この伝道実習棟は、もとは仮講堂として建てられ、近年では伝道実習の教室として使用されていました。しかし、耐震診断の結果に基づき2019(令和元)年10月から使用停止となり、授業場所は南棟地下2階へと移動しました。外観は古そうな建物で、形も少し変わっています。

 

《天理大学「弓道場」》

https://www.tenri-u.ac.jp/club/kyudo/index.html

天理大学体育総部弓道部は1925(大正14)年6月に創設、同年7月に弓道場が完成した。天理外国語学校の頃からある歴史の古い部である。1932(昭和7)年に、教室であったところを弓道場として新築し、その後も増改築を繰り返して、現在の形となった。弓道場の窓は教室であった頃の唯一の名残である。安土という場所にある二本の鉄柱は昔の道場の広さを示しており、現在は随分と拡張されたことがわかる。天理大学弓道部は大和日置流という流派で、見た目よりも中身を重視した流派である。的は大学連合の規約に則り星的である。弓道場は杣之内キャンパス内、一号棟と杣之内ふるさと寮に挟まれるように位置している。入口で靴を脱ぎ、框を踏むと木製の床の冷たさが足から全身を伝うようだった。弓道とは元来、神事だったという。弓道場の中は心なしか神さびているような気がした。射場には屋根がなく、屋外と屋内が繋がっているのだが、明らかに外と空気が違うように感じる。

http://tenrikyudo.web.fc2.com/

https://tenri-kyudo.wixsite.com/index

 

《天理大学「若江の家」》築:大正14(1925)年/設計:あめりか屋大阪支店/施工:大林組

http://www.universityarchives.jp/institutes/tenri-u/

創設者記念館は、天理大学創設者である中山正善天理教二代真柱の「官長公勉強室」として大阪の若江岩田の地に1924(大正13)年に竣工。創設者が旧制大阪高等学校時代を過ごし、館内で天理外国語学校創設に関する天理教青年会の会議がおこなわれ、天理大学の前身の誕生となった。創設者記念館は、天理大学の「建学の精神」を宿した、いわば建学の母体としての意義を持つ。そして1955(昭和30)年、天理大学創立30周年を記念して現在の地(天理大学杣之内キャンパス内)に移築し、もとの所在地にちなんで★「若江の家」と命名された。2005(平成17)年は創設者生誕100年にあたり、天理大学創立80周年事業に位置づけられて修復。創設者記念館として、建学の精神と創設者の遠大なる構想を常に確認し、未来へ飛躍するための精神的基盤として、また、わが国近代建築史における貴重な文化遺産として引き継がれることになった。

https://www.tenri-u.ac.jp/info/dv457k00000013pw.html

 

・・・さて最後に「参考館」へ。