・・・前々から行ってみたいと思っていた「無言館」、ちょっと遠い。
◆【無言館】◆
386-1213長野県上田市古安曽字山王山3462/0268-37-1650
《NEWS》2005.6.18毎日新聞より
戦没画学生慰霊碑にペンキ/長野・上田の「無言館」
長野県上田市の戦没画学生慰霊美術館「無言館」(窪島誠一郎館主)にある慰霊碑「記憶のパレット」に2005年6月18日朝、赤いペンキがかけられているのを出勤した同館職員が見つけ、上田署に届けた。同署は器物損壊の疑いで調べている。慰霊碑は前庭にあり、縦2.6メートル、横3.6メートルの黒御影石製。赤いペンキは、絵のパレットの形をした表面に、缶から流したように幅約1メートルの帯状にかけられていた。前庭は、外から自由に出入りできるようになっている。無言館は97年に開館し、戦死した美術学校生らの遺作を全国から集め、書簡などとともに展示している。慰霊碑は昨年6月に遺族や関係者の募金で完成。表面には403人の戦没画学生の名前と、戦前の東京美術学校(現東京芸大)の授業風景が描かれている。窪島館主は「無言館について様々な考え方やとらえ方があるのは当然だが、それをこうした手段でしか表現できないとしたら、あまりに悲しいことです」と話した。
★時間の重みを思い知らせた「記憶のパレット」の赤ペンキ/2006.8 窪島誠一郎/新潮社
一昨年の夏、私が九年前から営んでいる戦没画学生慰霊美術館「無言館」(長野県上田市)の前庭に、「記憶のパレット」と名付けられた慰霊碑が建立された。縦二・六メートル横三・六メートル、中国山西省から取り寄せられた重量二十三トンにもおよぶ黒御影石の碑面には、戦時中東京美術学校(現在の東京芸大)に在籍していた学生たちの「授業風景」が篆刻され、その下に戦没画学生四百余名の名が刻まれている。 ひとくちに「戦没画学生」といっても出身校はさまざまで、東京美術学校の他、現在の多摩美大、武蔵野美大の前身である帝国美術学校、あるいは京都絵画専門学校、そして独学で絵を学んでいた学生らも多数ふくまれている。いずれも先の日中戦争、太平洋戦争などに学業半ばで駆り出され、そのまま戦場から還ってこられなかった「画家の卵」たちの名である。 慰霊碑の制作を請け負ってくれたのは、たまたま地元上田市の駅前開発を手がけていた茨城県真壁市のS石材店だったが、要望通りの重量感、表面積をもった石材が日本では調達できず、結局中国華北地区の山西省の山から切り出してきた良質な黒御影石を福建省厦門市にある石彫工場まで運び、中国工芸学校を卒業した「陰陽職人」とよばれる画工たちの手によって碑面の「授業風景」が篆刻されることになった。パレットを形どった巨大な石の上にバッタのように張りつき、篆刻刀を握って「太平洋戦時下の美校生」の姿を碑面に彫りこんだのは張亜麗さん(二十四歳・女性)、王輝陽さん(二十五歳・男性)、劉麗玲さん(十九歳・女性)の三人。かつて中国兵の銃口の前にいた日本人画学生の「授業風景」を、当時のかれらとほぼ同年齢である現代中国の若い青年画工たちが一心に篆刻している姿に、立ち会った私はただただ胸をあつくしたものだった。
●巡回展のお知らせ/2020.8.8
朝日新聞社主催の巡回展が始まりました。普段は収蔵庫にあり、皆さまにご覧いただく機会の少ない作品のほか、常設されている作品も数点出品しています。当館へよく足を運んでくださっている方も、遠方にお住いでなかなか当館に来られない方も、ぜひお出かけください。
◆「無言館展~戦没画学生からのメッセージ〜」
三重県四日市市立博物館/2020年7月18日(土)~9月6日(日)
★「無言館~遺された絵画からのメッセージ」
神戸ゆかりの美術館/2020年9月12日(土)~11月29日(日)
◆「無言館展(仮)」
新潟市美術館/2021年4月10日(土)~6月6日(日)
・・・神戸にやってくる、この機会を逃すわけにいかない。「戦争画」についても、この機会に考えたくて、まず「小磯良平記念美術館」を訪問した。
◆【神戸市立小磯記念美術館】◆
658-0032神戸市東灘区向洋町中5丁目7/078-857-5880
https://www.city.kobe.lg.jp/kanko/bunka/bunkashisetsu/koisogallery/index.html