《大安寺》
630-8133奈良市大安寺2丁目19-1/0742-61-0473
★本尊秘仏十一面観音立像(重文)の特別開扉を実施致します。
期間:令和2年10月1日~11月30日
http://www.daianji.or.jp/about/buddha/index.html
本堂中央の御本尊で、特定の期間を除き、平素は秘仏となっています。がん封じのご本尊として日々に祈願がこめられ、多くの人が参拝されます。十一面観音は頭上に十一面をいただく仏様で、菩薩修行階位の十地を表し、頂上仏は仏果を表しています。喜怒哀楽の表情は衆生の苦楽を観て、共に喜び共に涙する観音様の慈悲が表わされており、左手に宝瓶を執り、右手は垂れて与願の印を結ぶ姿は一切衆生の苦悩を滅除する観音様の働きが示されています。わが国では奈良時代に既に信仰がありました。奈良時代後期から平安時代に入って、密教伝来とともに、その信仰はさらに広く流布していきました。本像は頭部や左手などに後補の部分がありますが、体部および台座はよく保存されています。胸部の瓔珞(装身具)は精巧華麗に刻み出されて美しく、肉付きのよい体部と柔らかい条帛裳の流れ、そして天衣の見事な表現はこの像の優美さをよく引き立てています。また腹部にしめる石帯には数珠つなぎの飾りが垂れ、台座の菊座と対葉花文が刻まれ、実に見事な意匠と彫り口が示されています。この像は天平時代を代表する大安寺彫刻群の中でももっとも優美な仏像と言えます。
・・・何度かお参りしておりますが、ご本尊を拝むのは初めてです。
・・・彼岸花の赤も美しいですが、「だるまさん」もなかなかいいですね。
★「うつせみは数なき身なり山川のさやけき見つつ道をたづねな」作★大伴家持
この世に生きている人の身は、ものの数にも入らないほどにはかないものだ。山や川の清らかな景色を眺めながら、仏の道を探し求めよう。かな?
聖徳太子が建立した熊凝精舎に始まり、百済大寺、大官大寺そして★大安寺と引き継がれていく 国家鎮護の寺として君臨した古代きっての★大寺の一つで、天平時代には、★九重塔二基を備えた大伽藍であったが、他の寺院以上に、大きく衰退、僅かに九体の木彫仏を残すのみ。大伴氏は武門と共に歌集の家でもあったが、藤原一族の横暴により凋落する一族の長として、苦悶の日々が続き、仏門に求めるものがあったのだろうか。家持は旅人の子であるが、万葉集には恋の歌が多い。プレイボーイの在原業平には遠く及ばなかったにしても、10人以上の恋人がいた。その家持も左遷されてからは、この歌をもって万葉集には登場しなくなる。名門出の大伴家持ではあったが、政治、軍事に大きな功績は残せなかったものの、万葉集の編者として最多の480首の歌を後世に残したのはすごい。
《参考》「笠郎女」/近畿風雲抄より
http://map46-2.com/koto/nara/f_daianji.html
相思はぬ 人を思うは ★大寺の 餓鬼の後に ぬかつくがごと(608)
心ゆも 我は思はずき また更に わが故郷に 帰り来むとは(609)
近くあれば 見ねどもあるを いや遠に 君がいまさば ありかつましじ(610)
万葉集に都合28首、苦悶の続く家持に贈った歌がみえる。時に和歌に激情を託することもあり、標記の歌で別離の予感を激白し、続く2首(609~610)で別離後の未練を歌う。これに対し、家持の返歌が2首(611、612)みえ、‘我が胸いぶせきあるらむ’(611)と真情を滲ませつつ、終に‘黙(もだ)もあらましを’(612)と歌い、郎女との出会いに後悔の念すら滲ませる。
・・・この荒涼とした「塔跡」に立つと、家持や笠郎女のことが心にしみわたり、「万葉集」おそるべし。秋だなあ。