大阪画壇(2) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・大阪の女性画家、そして「堺」生まれということでも注目されています。

 

★堺に生まれた女性日本画家「島成園」展/於★さかい利晶の杜

2019年1月5日(土)~27日(日)

http://www.sakai-rishonomori.com/kikakuten/

島成園は明治25(1892)年★堺市熊野町に生まれ、後に大阪市に転居し、花街のある島之内で育ちました。やがて絵師である父の影響を受け、図案家の兄の仕事を手伝いながら独学で絵の道に進みました。正元(1912)年秋、文部省美術展覧会(文展)に20歳の若さで「宗右衛門町の夕」が初入選し、画家としてのデビューを果たしたことで名声が一気に高まりました。そのため成園は京都の上村松園、東京の池田蕉園とともに「三都三園」と並び称されました。そして島成園の画技と人柄によって多くの女性画家たちに慕われ、大阪における女性画家の先駆者ともいえる存在となりました。本展では、文展の好評を受け注文に応じて描き直された「宗右衛門町之夕」、文展入選の翌年に再び入選した「祭りのよそおい」をはじめ、成園の心情を描き出した自画像「無題」など幅広い画風の作品を展示します。また、多感な幼少時代を過ごした堺での思い出や家族との関わりなども紹介し、画家としての顔だけではない、島成園の人物像に迫ります。

 

 

★女性日本画家の先駆者「島成園」/つーるど堺より

https://toursakai.jp/2019/post_248/

島成園は、1892年(明治25年)(堺区の)熊野町東3丁の生まれ、父は襖を描く町絵師の島栄吉、母は千賀といい、千賀の実家は堺区にあった★乳守遊郭の大茶屋でした。成園は、戸籍上はこの母の実家の養女で、本名は諏訪成栄(なるえ)といいます。島家は、家庭としては中流家庭だったのではないかと思われますが、父の栄吉は趣味人で、芸術への純粋な憧れを持つ人物でした。職人的な絵師であることに飽き足らず、芸術家である画家になりたかったようです。その想いは、息子で成園の兄である島御風(本名:島市治郎)に託されました。栄吉は御風には絵を学ばせましたが、成園を画家にとは思っていなかったようです。成園は、宿院尋常小学校と堺女子高等小学校に通い、家政や手芸といった女性としての教育を受けていました。しかし、少女成園は、御風の絵の具やスケッチブックで遊び絵への興味を募らせていきました。その後、成園13才頃に島家は大阪市★島之内へと引っ越しをします。花街があり、文化人も多く住む華やかな界隈です。道頓堀と長堀に挟まれたエリアで、今でも大阪・関西の人には繁華街としておなじみのエリアですね。島家の大阪市移転の理由はよくわかっていませんが、成園の学業の区切りが良く、兄の御風が図案家・画家として独立する時期が重なったということかもしれません。「(島之内)近くに住んでいた親戚を頼ったのではないかという説もあります。また、美人画の大家★北野恒富が暮らしていて交流がありました」(松浦)島之内へ引っ越してからは、成園は兄の団扇絵を描く仕事を手伝ったりするようになります。同時に画家として作品制作もはじめ、地元の展覧会で受賞するようになります。

 

《参考》「Eミュージアム大阪」

590-0079堺市堺区新町5番4号/代表:小坂田和男

https://www.emosaka.com/

この法人は、京阪神近代美術作品を調査・研究し、その成果を一般社会に対し多く知らせるべく普及活動する。それにより近代美術の価値が一般社会で再認識されることに寄与することを目的とする。

https://www.emosaka.com/museum/oosakajilyoseigaka/simaseienn/

 

 

・・・「島成園」展の前に開催されていたのが、

 

《生誕150年記念/船場の絵描き★「庭山耕園」―近代大阪の四条派―》

2019年12月18日(水)~2020年2月9日(日)/於:大阪市立美術館

庭山耕園(1869-1942)は、明治2年に姫路で生まれ、大阪の船場を中心に活躍した絵師です。四条派の★上田耕冲(1819-1911)に師事し、写生を基本に季節感あふれる瀟洒な花鳥画を多く描きました。床の間に飾られ、部屋との調和が大切にされた耕園の作品、いわゆる★「床映り」が重視された作品は、大阪の人々に広く親しまれました。生誕150年を記念し、館蔵・寄託の作品により耕園の画業をご紹介します。近代大阪が育んだ★船場文化の風情をお楽しみください。

 

・・・大阪画壇を語るうえで「お茶屋」「料亭」、船場や道頓堀を抜きには考えられません。とりわけ、この「床映り」は重要なキーワードのようです。展示されていた作品の多くが、★庭山慶一郎さん寄贈と書かれていましたので調べてみますと、

 

 

【庭山慶一郎】(1917~2012)Wikiより

元実業家。茶道家。中国古典研究家。文人。国内証券市場に公社債投資信託を導入した。経営者時代は★「ミスター住専」と称された。父は「船場の絵描き」と呼ばれた庭山耕園で、画業顕彰のため画集や遺作展に尽力したほか、地元の★大阪市立美術館に作品を寄贈している。

 

・・・早速「画集」を買い求めました。

 

《参考》古美術骨董「古がん堂」(古忨堂)

530-8224大阪市北区梅田1-13-13 阪神百貨店8F/06-6341-1000

https://www.hanshin-dept.jp/hshonten/floor/floor8f.html/

https://www.kogando.jp/

 

・・・「古がん堂」さんのブログの中に、菅楯彦・庭山耕園合作「吉向十三軒窯/手あぶり一対」というのを発見して感激しました。

https://ameblo.jp/kogando/entry-12128820177.html

 

 

【庭山耕園】(1869~1942)

兵庫県姫路市生まれで、明治~昭和にかけて大阪の船場で活躍した★四条派の画家。13歳頃から上田耕冲に、彼の死後は鈴木松年に師事。四条派の祖である呉春の、実弟で弟子でもある松村景文に私淑。写生に基づく季節感あふれる花鳥画をよくしました。生涯茶道を趣味とし「床うつり」を重視した作品は、今でも大阪のお茶会では待合掛けとして多用されています。大阪画壇の重鎮として活躍し、1923年に★大阪市美術協会が設立されると矢野橋村、菅楯彦らと創立委員に任命された。

 

・・・「大阪(なにわ)四条派」というキーワードが登場しました。

 

《NEWS》2017.10.24日刊スポーツより

大商大で★「なにわ四条派」に焦点当てた展覧会始まる

幕末から明治の大阪で活躍した「なにわ四条派」を紹介する企画展「なにわ風情を満喫しませう―大坂四条派の系譜」が24日、東大阪市の大阪商業大学商業史博物館で始まった。西山芳園、完瑛親子を中心に約60点の作品や史料を展示し、床の間映えのする「はんなり」とした絵画表現にスポットを当てる。同博物館の明尾圭造主席学芸員は「なにわ商家の床の間を彩った多くの掛軸が、大坂四条派の作品であったことは意外に知られていない。近世近代の大坂画壇を考える上で、これら四条派の作品群は重要な意味合いを持つ」と話す。完瑛の「大坂名所十二景」など当時の大阪の代表的な風景が上品に描かれた作品を堪能できる。展覧会は2期で構成。前期が11月8日まで、後期が同10日から25日まで。休館日は日曜・祝日と11月9日。11月3日と23日は開館する。午前10時から午後4時半。入場無料。また展覧会と連動した連続講座(全2回)を、同大学で開催する。11月4日午後2時から「なにわ四条派の系譜」と題し、明尾主任学芸員が講師を務める。また同11日午後2時から「大坂風景画を読み解く」と題し、笠岡市立竹喬美術館の柴田就平学芸員が登壇する。定員50人で料金は1000円。また11月18日にはシンポジウム「なにわ風情を再考する―大坂四条派の系譜―」を、4月にオープンした新校舎「ユニバーシティ・コモンズリアクト」で開催。14時からの第1部では関西大の中谷伸生教授が基調講演を行い、第2部では、★料亭「花外楼」女将の徳光正子氏や★圓井雅選堂の圓井愼一郎氏を迎えたパネルディスカッションを行う。定員100人で入場無料。

 

 

・・・「大阪商大」そして、

 

《参考》「大坂(阪)画壇デジタルアーカイブ」/関西大学図書館より

https://www.iiif.ku-orcas.kansai-u.ac.jp/osaka_gadan/about

関西大学図書館には、約350件を越える大坂画壇の絵画が所蔵されております。「大坂画壇」という言葉は、昭和17年(1942)に★大阪市立美術館で開催された「西山芳園・完瑛展」に際して登場しました。その時には「阪」の字を用いて、「大阪画壇」と名づけられました。続いて昭和56年(1981)に「近世の大坂画壇」展が同美術館で開催されたときには「坂」の字を用いて「大坂画壇」という呼称となりました。これらの言葉を引き継いで、近年では★江戸時代の大坂の絵画を指す場合には「大坂画壇」、★近代の大阪の絵画を指す場合には「大阪画壇」を用いるのが慣例となりつつあり、両者を指して「大坂(阪)画壇」と表記することもあります。関西大学総合図書館所蔵の大坂(阪)画壇の絵画は、木村蒹葭堂(1736-1802)を中心として、その周辺の大坂の画家たち、たとえば大岡春卜(1680-1763)や中井藍江(1766-1830)らの作品を収集しており、江戸時代中後期における大坂の美術界の状況を俯瞰できる資料となっています。ここにKU-ORCASが数多くの大坂(阪)画壇の画家たちのアーカイブを公開することで、近世近代の日本美術史の研究が幅広く行われ、ひいては江戸時代から明治・大正時代に至る日本の芸術・思想・歴史の文化についての理解が深まることを願っております。

★大坂画壇「塗り絵」

https://www.ku-orcas.kansai-u.ac.jp/coloring/

 

・・・大阪の大学がこぞって「大阪画壇」を研究・収集してくださるのは当たり前ではありますが、ありがたいことです。そして最大の課題が、

 

 

・・・私自身の課題でもあります。