奥河内くろまろの郷 | すくらんぶるアートヴィレッジ

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《木根館》

586-0036河内長野市高向1818-1/0721-64-8151

http://sinrin.org/kinkonkan/

2020年9月1日でkinkonkanは開館30周年。記念して、新作キットを製作することにしました。投票の結果、新作定番キットは★「からくり宝箱」に決定しました。たくさんの投票をいただき、ありがとうございました。

「林」は、「森」と何が違うのでしょう?林業の定義として、「林」は、人の手が入った木があつまる場所。「森」は、自然にはえている木があつまる場所。一度人の手が入った「林」は、人の手を入れ続けないと、荒れていきます。「人の手を入れ続けること」と「木とともに生活すること」は、自然と営みの中でリンクしていました。森に守られ、森に生かされてきました。しかし、今、「森林とともに生活する」こととは、離れています。「植えて、育てて、収穫して、上手に使って、また植える」という「森づくりの循環」が途切れてしまったため、森が元気を失い、本来のチカラを発揮できなくなりました。手を入れ続けるとはどういうことか?手を入れ続けなければ、どうなるんだろう?そのために私たちができることはなんだろう?森林ってどんなところだろう?河内長野市面積の約70%が森林。約300年の歴史をもつ河内林業の中心地。その河内長野だからこそできること、伝えられることがあります。森のサテライトとして、木根館は森林を知る機会を提供します。

 

 

《奥河内くろまろの郷》

586-0036河内長野市高向1218-1/0721-56-9606

https://kuromaro.com/index.html

奥河内くろまろの郷は、奥河内ビジターセンターや地産地消レストランなどをはじめ、JA大阪南農産物直売所「あすかてくるで河内長野店」と、大阪府立花の文化園・森のサテライト木根館-kinkonkan-河内長野市立林業総合センター・「河内長野市立ふるさと歴史学習館」の施設が一緒になった、食べて・遊んで・体験できる、家族みんなの笑顔があふれるエリアです。奥河内くろまろの郷では、河内長野の旬の食材を活かしたパンやピザ、地域の新鮮な素材でつくったジュースやスープ、地元生産者の特産品など、奥河内ならではの恵みに出会うことができます。また、奥河内くろまろの郷では、交流農園をフィールドに周辺の施設や自然を家族で満喫できる体験プログラムも開催しています。奥河内くろまろの郷は、地産地消の推進、交流人口の増加促進、観光と産業の情報発信、防災・協働・学習・環境政策の新たな拠点として、河内長野における人の出会いをはぐくみ街の魅力をたかめてまいります。

 

 

【高向玄理(たかむこのくろまろ)】(?~654)

http://www.kankou-kawachinagano.jp/course/detail.cgi?id=2

古代の学者。渡来人の子孫で、本姓は高向漢人(たかむこのあやひと)。推古16(608)年第2回の遣隋使の際、小野妹子に従って渡海し、留学生として隋、唐に学んだ。

《参考》万年草ブログより

http://www.minamino-town.com/yokoyama/sugoihito/3624.html

日本の古代国家のデザインをした男がいる。名を高向玄理(たかむこのくろまろ)と言う。乙巳の変(いっしのへん)で、蘇我氏を滅亡させた中大兄皇子と中臣鎌足は武力で政敵・蘇我氏を倒しただけで、どのような国家にするのか、その具体的な構想はあったのであろうか。答えは“否”であろう。単に豪族を倒し天皇中心の政治体制にしたかっただけではないだろうか。改革を求めるからには、そこに新しい国家像がなければならない。“馬上を以って之を得たるも、寧(いず)くんぞ、馬上を以って之を治む可けんや。文武並び用うるは、長久の術なり”と言われている。(意訳)馬上(武力)で天下を取れても、馬上(武力のみ)で天下が治められましょうか。文武をあわせ用いる政治が、国家を長期に保つ術なのです。武力で政敵を倒しても、その次は確固たる国家像をもった文治政治が必要である。そしてその国家像を描いたのが“高向玄理”なのである。

 

 

《ふるさと歴史学習館》

586-0036河内長野市高向2230-5/0721-64-1560

https://www.city.kawachinagano.lg.jp/soshiki/58/