・・・以前、記録にとどめておきたいということで羽曳野市にある誉田中学校「円形校舎」を紹介しましたが、同様に羽曳野中学校にかつてあった壁画「ゲルニカ」も紹介しておきたいと思います。
《羽曳野中学校「人権平和」共同制作モニュメント》
1985「等身大人物像」(倉庫保管)
1986「ゲルニカとヒロシマ、ハビキノでの出会い」壁画と枕木彫刻
1987「4人の仲間とともに」ステンドグラスと木彫詩
1988「ピースウッド(平和の森)」記念植樹、ナガサキレリーフ、片足の鳥居、平和の日時計
★「人権平和資料館」開設
1989「平和の噴水と出会いのベンチ」
1990「朝鮮通信使とベンチ」自然石のモザイクとベンチ
1991「平和絵巻」運動場を囲むブロック塀75mに各国の平和問題を描く
1992「人権平和の塔」中学校の周年行事にあわせて建設
・・・生徒たちの勢いに押されて、毎年2年生が中心となりテーマを決めて共同制作に取り組み、文化祭(羽曳野仲間の祭典「羽仲祭」)で公開。先輩たちの取り組みが後輩たちへと受け継がれ、気がつけば8年も継続。野外に展示できない優れた研究発表については、空き教室の活用ということで「人権平和資料館」を開館させるなど、学校全体がミュージアムのようでもあった。指導にあたった美術科としては「スクールデザイン」として、全国的にも情報発信に努めた。時代の流れとともに、校舎の老朽化さらに生徒数の激減にともなう幼小中の枠組みの見直しに伴って、新しいスタイルの学校へと変身し現在に至る。
★「羽曳野市立はびきの埴生学園」
583-0876羽曳野市伊賀5-8-1/072-955-0329
https://www.city.habikino.lg.jp/hhgakuen/index.html
2018年4月、新しい「義務教育学校」が誕生しました。大阪府内で初めて、3歳児保育を行う幼稚園を同一敷地内に併設した義務教育学校です。幼稚園の入園から9年生の卒業まで、12年間の一貫教育で、3つの目標を実現します。「学ぶ力」「豊かな心」「健やかな身体」
・・・「ゲルニカ」は、今日にあっても多くの学校や団体において共同で取り組まれ、様々な人権平和活動が展開されている。
《茨城県行方市麻生中学校》
311-3836 茨城県行方市南327-3/0299-80-8070
http://www.sopia.or.jp/n-asojh/3958.html
・・・私の大好きな「屏風」仕立てにしたところがいいなあ。
《盈進学園盈進中学高等学校》
720-8504広島県福山市千田町千田487-4/084-955-2333
https://www.eishin.ed.jp/news/2016/entry2741.html
美術部共同制作★『キッズ・ゲルニカ』が完成しました。感謝祭では美術部・書道部合同の「秋の盈華展」を開催します。美術部は毎年、ピカソの平和を訴えた「ゲルニカ」と同じ大きさ(縦4.5m×横7.8m)のキャンバスに子どもたちからの平和へのメッセージを絵に表現して届ける「キッズ・ゲルニカ」に取り組んでいます。夏休みの合宿からみんなで構想を練り、2学期最初から制作してきました。今回のテーマは「自然」。大樹や草花に囲まれた自然の風景のなかで人間や動物たちの穏やかな生活を願って描きました。本日、第2体育館ステージに仮設置しました。鑑賞いただければ幸いです。
・・・毎年「キッズゲルニカ」に参加している、素晴らしい。
《埼玉県立春日部東高等学校》
344-0002埼玉県春日部市樋籠363/048-761-0011
美術部の共同制作(2006年)『私のゲルニカ』は、押し殺されているピカソの感情を解放するために部員がそれぞれの感覚で再制作(自由模写)したものです。
展示場所を変更せざるを得なくなり、スペースが限られました。2018年その作品を縦にして再展示を試みました。縦にすることで、平面性を活かしたピカソの色面は一層曖昧になり、「ゲルニカ」を形と意味から解放します。そして画面は新たなイメージを孕みながら、純粋な色面としての絵画に移行していきます。絵画を見ることの不思議さと豊かさを体験して頂ければ幸いです。見方を変えるととても新鮮です。生徒昇降口東側に展示しています。是非、この空気感を感じてください!
・・・ですね、「ゲルニカ」はタテでもヨコでも味わえる(ぶれない)ところがいいよなあ。さて、「キッズゲルニカ」ついてもう少し調べてみましょう。
《キッズゲルニカ》
http://kids-guernica-jp.blogspot.com/
参加方法はとてもシンプルで、とくに申し込み手続きは必要ありません。
・ 『ゲルニカ』と同じ大きさのキャンバス (3.5m ×7.8m) を用意する。
・ 「平和」について話し合う。
・ 『ゲルニカ』の平和の絵を描く。
・ ワークショップの様子と完成した作品の画像を送ってこのウェッブサイトに掲載する。
『ゲルニカ』サイズの絵だけではなく、木版画による作品も制作されています。平和をテーマにした刺繍・パッチワーク・シルクスクリーンなど新しいタイプの『ゲルニカ』アートを創作することもできます。キッズゲルニカ展覧会に参加したい場合は、制作した平和のアートを展覧会主催者に自費でお送り下さい。
《エッセイ》2016.4.10
アートで世界を救えるか、キッズゲルニカの20年/文★金田卓也(大妻女子大学、絵本作家)
https://www.artmovement.jp/2016/04/10/143-35/
ピカソの『ゲルニカ』と★同じサイズのキャンバス(3.5m ×7.8m) に世界中の子どもたちによって「平和」をテーマにした絵を描くというキッズゲルニカ国際子ども平和壁画プロジェクトは第二次大戦集結後50年の★1995年に始まり、今年で20周年目を迎えた。これまでに★50近い国々で300点以上の作品が生まれている。私は国際委員会代表としてキッズゲルニカに関わってきた。20周年記念の今年、これまで関わった世界各国のさまざまなジャンルのアーティストの作品を展示する「Art for Peace 展」も同時開催された。私は、このキッズゲルニカを単に子ども中心のプロジェクトとしてではなく、★現代美術の文脈の中でとらえ、コンセプチュアール・アートのひとつとしても考えている。とくに重要視している点は、芸術表現の根幹にある創造性を社会変革にまで拡大した★ヨーゼフ・ボイスの提唱した社会彫刻というコンセプトである。キッズゲルニカの目的は、暴力に溢れた世界をピースフルなものに変革していくところにあることはいうまでもない。振り返ってみれば、私自身が来日したボイスの講演会に参加したのは1984年のことである。現代美術といって、30年以上前のことを同時代(コンテンポラリー)のアートとして語るのは時代錯誤だといわれるかもしれない。しかし、彫刻家が創造的な力で素材を作品に変えていくように、社会そのものを創造的に変革しようとしたボイスの主張は今尚輝きを失っているわけではない。現在行われている、★社会にコミットするさまざまな形のアート・プロジェクトの原点はボイスにあるといってもよいであろう。本来、アートとは社会に直接関わるものであり、「芸術のための芸術」としてのアートの歴史というのは、近代以降に過ぎない。宗教美術史を見てもわかるように、伝統的社会では、アートは常に社会的価値やメッセージを伝える大切な機能を担っていた。その意味において、ボイスはアートの本来的にもっている力を現代に蘇らせようとしたともいえる。ピカソの『ゲルニカ』の作品それ自体、無差別爆撃への怒りから生まれたものであり、★展覧会のためだけの作品ではない。キッズゲルニカは、そうした社会にコミットするアートの力に期待を込めたプロジェクトなのである。
被爆70年目にあたる2016年の8月には長崎と広島で何点ものキッズゲルニカの作品が誕生した。長崎では作品を横につないで★全長70m の巨大なキッズゲルニカが爆心地公園に展示され、広島では原爆ドームの対岸に作品が並べられた。同じ8月には、インドネシアの独立記念日にバリ島でキッズゲルニカ展が開催された。バリ展ではイタリアの著名な★ミケランジェロ・ビスレット氏の『第三のパラダイス』プロジェクト(www.terzoparadiso.org)とのコラボレーションも行われ、作品の一部は立体的なオブジェとして展示された。世界各地で開かれるキッズゲルニカの展覧会それ自体を平和をテーマにしたインスタレーションとして見ることもできるだろう。こうしたキッズゲルニカの活動に対して、スペインの★「ゲルニカ平和博物館」から「戦争と武装紛争は世界の多くの場所で依然として続き、最近の紛争と政治的な動きは新たな武器競争を進める結果になっている。『平和の文化』を創り上げるという長い道のりを共に歩んでいきたい」というメッセージが届いた。
ここまでこの原稿を書き進めていたとき、パリでの衝撃的なテロ事件が起きた。9.11 直後のように、子どもたちが平和の絵を描いても暴力的な世界は変わらないのかもしれないという無力感から原稿をそれ以上書くことができなくなった。9.11 のときは、キッズゲルニカに関わっているインド人画家の親しくしていた友人が世界貿易センタービルでの犠牲者となった。2ヶ月後に予定されていたイタリアでのキッズゲルニカ展の開催そのものが危ぶまれたが、子どもたちへの希望を失っていいのかという言葉に励まされ、活動を続けることになった。それから15年近く経過し、パリのテロ事件を前に再び言葉を失わざるを得なくなったのである。私は、初期の頃からキッズゲルニカに関わってきたパリ在住の彫刻家★ボリス・ティソット氏に安否を尋ねるメールを送った。彼は、パリにあるピカソのアトリエでのキッズゲルニカをコーディネイトし、そのワークショップには、パレスティナ人画家も参加している。3月にパリでティソット氏と会ったとき、1月の襲撃事件の舞台となったシャルリー・エブド社には知り合いがいるといっていた。家族も皆無事であることを知らせる彼のメールには、テロリストとの全面戦争だと声高に叫ぶこともイスラム教徒への憎悪の言葉もなく、心臓の部分が輝くように強調された彼の人体レリーフの作品画像が添付されていた。アートで世界を平和にすることができるのか、シリアへの空爆が続く中、★その問いは深く重い。
・・・アートで世界を救えるか?武器ではなく、多くの人々が「キッズゲルニカ」にかかわり「絵筆」を手にすることが、結果としての平和な世界が実現される。美術や音楽や文学、言い古された言葉ではありますが「ペンは剣よりも強し」、言い換えれば「アートは剣よりも強し」なのです。この名言の原典は、英国で1839年に発表されたエドワード・ブルワー=リットン卿作の戯曲『リシュリュー』です。主人公のリシュリューが放ったこのセリフは、歴史に残る名言となり、現代まで語り継がれる事になりました。言葉だけでなく、今まさに「ペンそして絵筆をにぎる」時ではないでしょうか。