《国立ソフィア王妃芸術センター》(Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofía)
Calle de Santa Isabel, 52 28012/(+34) 91 774 1000
https://www.museoreinasofia.es/
美術館通りに位置するソフィア王妃芸術センター(Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofía)は、世界で最も大きく新しい近現代美術館の一つです。建物は建築家ホセ・デ・エルモシージャ(José de Hermosilla)とフランシスコ・サバティーニ(Francisco Sabatini)が手がけた★旧サン・カルロス病院で、1992年にソフィア王妃芸術センターとして開館しました。後に、美術館の継続的な発展に伴い拡張が必要となり、2001年に建築家ジャン・ヌーヴェル(Jean Nouvel)設計の新館の建築が始まり、2005年9月、公開に至りました。拡張計画は、美術館が提起した必要性に応じるだけでなく、★都市環境を変革するという明確な使命のもと、この地区に位置づけられました。公共の広場が創設され、都市に属する都市のための空間となりました。新たな空間の誕生とともに面積は84,048 m²となり、これはかつての建物面積(51,297 m²)の60%増となっています。当初のコレクションは、今はなきスペイン現代アート美術館の所蔵品や、国立プラド美術館の20世紀の美術コレクションなど、様々な出所の作品で構成されていました。プラド美術館のコレクションには、★「ゲルニカ」に関連するパブロ・ピカソ(Pablo Picasso)の貴重な作品群も含まれていました。現在、美術館には、あらゆる表現手法の作品が2万点以上所蔵されています。その内容は、絵画が約4,000点、彫刻1,400点以上、デッサン約3,000点、版画7,000点以上、写真3,000点以上、シングルチャンネル・ビデオ約160点、ビデオ・インスタレーション40点、装飾美術100点以上、建築作品30点となっています。「ゲルニカ」をはじめとするピカソの作品、フアン・グリス(Juan Gris)、ミロ(Miró)、ダリ(Dalí)、フリオ・ゴンサレス(Julio González)の作品が際立っています。2017年11月より、★テレフォニカ基金「キュービズムコレクション」は、ソフィア王妃芸術センターに収蔵されており、キュービズムの全盛期とその後数十年の歴史をたどることができます。フアン・グリス(Juan Grise)、マリア・ブランチャルド(María Blanchard)、ルイ・マルク―シ(Louis Marcoussis)、アンドレ・ロート(André Lhote)、グレーズ(Gleizes)、メッツィンガー(Metzinger)、バラダス(Barradas)、マヌエル・アンヘル・オルティス(Manuel Ángeles Ortiz)、ビセンテ・ウイドブロ(Vicente Huidobro)、トレス‐ガルシア(Torres-García)をはじめとする1912年から1933年までの約70作品が、複雑性に焦点を当てながら芸術的動向に対する再解釈を提起します。
★コレクション1/20世紀の台頭:ユートピアと紛争
https://www.museoreinasofia.es/coleccion/coleccion-1
206号室「ゲルニカと1930年代」★ゲルニカ再考
・・・このサイトは必見です。
《テレフォニカ》( Telefónica, S.A.)
スペイン・マドリードに本拠を置く大手通信事業者。スペインおよびスペイン語圏のラテンアメリカ諸国で最大の通信事業者であり、イギリス・ドイツ・アメリカ合衆国などでも事業を展開している。
【Fundación Telefónica(テレフォニカ基金)】 1997年よりTelefónicaは、CSR活動の一環として、Fundación Telefónica(テレ フォニカ基金)を通じ、スペインやラテンアメリカ諸国における地域社会事業に参加してきた。「Proniños」(niñosはスペイン語で「子どもたち」の意味)というプログラムは、ラテンアメリカ諸国で、働くために学校に通えない子どもたちが学校に通えるよう、NGOを通じて支援する事業である。Proniñosの支援を受けて学校に通う児童の数 は年々増加し、2008年には10.7万人に達した。・2005年 11,540人(10カ国、19のNGO団体と協力)・2006年 25,339人(13カ国、35のNGO団体と協力)・2007年 52,991人(13カ国、93のNGO団体と協力)・2008年 107,602人(13カ国、協力NGO団体数は未発表)「EducaRed」は、EducaRed.netというポータルサイトを通じて、以下のような 教育関連情報を共有するプログラムであり、同ポータルには、2008年、6000万を超えるアクセスがあったという。・教師向け:最新ニュース、求人情報、教育ソフトウェアやツールの案内・生徒向け:課外活動、百科事典、自習教材・保護者向け:大学進学に関する情報、インターネット教育やツールの案内 2009年4月、Telefónicaはフィンランドの端末機器メーカーNokiaとの戦略的提携を発表した。この提携により、紙を使わず、モバイル端末を通じて「Proniños」プ ログラムの状況を管理することや、インターネット接続手段のない遠隔地の学校から「Nokia Education Delivery」ソフトウェアを搭載した端末を通じて「EducaRed」 のポータルサイトにアクセスすることなどが可能となる。Fundación Telefónicaが関わる地域事業はこれらに尽きない。TelefónicaのAlierta 会長は、2009年3月、マドリードで開催された第4回Executive Summitで、”the customer as the focus of everything we do” と述べているが、地元社会への貢献を重視したFundación Telefónicaの活動の意義は大きいと思われる。
・・・それでは、「ゲルニカ」の展示室へ。
《NEWS》2016.10.20ファッションプレスより
ヒロココシノ17年春夏コレクション“あたりまえ”への挑戦を、★キュビスムとスポーツで
ヒロココシノ(HIROKO KOSHINO)の2017年春夏コレクションが、2016年10月20日(木)に恵比寿ガーデンホールにて発表。“BOUNDARY(境界)~あたりまえへの挑戦~”と題された今季のコレクションは一体どのようなものなのか、会場は期待に包まれた。登場したファーストルックは、サイドにラインが入ったスキニーパンツにタンクトップを合わせたシンプルなデザイン。素材はジャージのようなもので、伸縮しながらドレープを作る。続く数ルックも同素材だが、スポーティな印象を与えるそのラインはやがて曲線となり、デザインにユニークさをプラスしていった。突然、曲調の変化と同時に、ワードローブも変化。赤や青、黒がぶつかり合うキュビスム絵画のような柄が現れた。キュビスムを創始したピカソ風の描写を取り入れたモデルのメイクが、このユニークな柄と共鳴する。写実的な絵画を捨て、★自らが考えるリアリズムをキュビスムによって獲得しようとしたピカソは、コレクションのテーマである“あたりまえへの挑戦”をした代表的人物といえるだろうか。多彩な素材のうちいくつかは、スポーツへの関連を想像させた。メッシュのタンクトップや、ダンボールニットのように厚みと柔らかさを持った生地。アクティブな要素を保ちつつも、曲線を描く絶妙なカッティングによって優雅さを損なわない。常に前へ、先へと挑戦しようとするスポーツが、“あたりまえへの挑戦”というテーマの元に、キュビスムと一つになっていく。終盤は、オールホワイトとオールブラックのルックのみだ。メッシュやカッティング、ジャカードといったマテリアルの多様性を生かし、それらを重ね、ワードローブに変化をもたらす。当たり前のカラーに限定された中での表現の挑戦には、崇高ささえ感じることができた。
・・・ゾクゾクするのは、私だけでしょうか?
《guernika/ゲルニカ 着るアート作品》/artist:Shinichiro Inui
多方面で活躍する★乾シンイチロウ氏によって一点一点ハンドペイントを施されたフーディーがデリバリーされました。
【乾慎一郎】
2009アメリカ オレゴン大学アート学科卒業
2011第2回WALL AUDITION(H.P.FRANCE主催)大賞受賞
2012アパレルブランドguernika設立
2013~2015神戸/東京マラソンのasics提供のTシャツデザインを担当。、asics スノーボードラインイメージを担当。
2014 CBRE(東京/明治安田生命ビル)オフィス壁画を製作、★ベルリンの壁崩壊25周年記念ドイツ大使館壁画を製作
https://shinichiro-inui.net/news/
2015株式会社SHINICHIROINUI設立
20155月大阪高島屋 1Fエントランスでの展示、販売会を開催
2015東京原宿にあるUltraNewGalleryで1ヶ月の個展を開催
2016SCHOTT オフィシャルコラボアイテムを発表
2016AVIREX オフィシャルコラボアイテムを発表
2016NYのJadite galleriesで個展を開催。
★ビデオドキュメント「なぜ大使館の壁にグラフィティアート?」/ドイツ大使館2014.11.7
壁は内と外、道路と敷地を隔て、そして時に民族を分断します。ベルリンの壁は1961年から1989年までの間、世界で最も有名な壁でした。ベルリンの町を周囲から切り離し、市街の中心を分断していたのです。この壁は東ドイツの崩壊を防ぐ目的で建築され、その28年後にドイツの分断を克服しようとする東ドイツ国民の意思によって崩壊しました。1989年11月9日の映像は世界を駆け巡りました。一世代を経て初めて西ベルリンに足を踏み入れることができた人々の歓声、壁の前に警官が警備するブランデンブルク門の緊迫した光景、数珠つなぎのトラバント。これらの光景と共に★ベルリンの壁と言えばグラフィティで覆われた姿が記憶に残っています。ただしこれは西側のイメージであって、★壁の向こう側から見れば、ベルリンの壁は監視塔と鉄条網と兵士の見張る恐ろしい防備施設だったのです。1990年に様々なモチーフのグラフィティ作品が描かれた★イースト・サイド・ギャラリーができて初めて、東側の人々にとってもベルリンの壁は過去のものとなりました。今日ベルリンでは、壁の遺構をほとんど目にすることがありません。壁は今では記念碑として、一部がボルンホルマー通りや壁公園の中、そして前述のイースト・サイド・ギャラリーに残されているのみです。そして壁のあった場所には細長い金属プレートが敷かれています。その以外にもう壁は存在しません。ですからグラフィティライターたちは別の製作場所を探さなければなりませんでした。ですがベルリンほどこのグラフィティが存在感を放っている町は他にありません。先日、在京ドイツ大使館の外壁にグラフィティライター★乾慎一郎が作品を描いてくださいました。これはベルリンの壁と壁による分断、そしてその崩壊後の再統 一を彷彿とさせてくれます。かつてベルリンの壁の西側に幾層ものグラフィティが描かれていたように、乾氏は小さなパーツを幾層にも重ねてひとつの作品に仕上げました。そこには鉄条網と握手、そして平和の象徴の鳩などが描かれています。つまりこの作品には平和と和解のメッセージがこめられています。そしてそれは何よりも子供や若者に対して向けられたメッセージで、平和な世界への希望を失わずその実現をめざして戦うことの大切さを訴えています。なぜなら現在ベルリンの壁はその崩壊によって、もはや分断の象徴ではなく、分断と独裁制の克服の象徴となっているからです。
《参考》インタビュー/ドイツ大使館からIndeedオフィスまで――アートでイノベーションを起こす「TokyoDex」とは?
https://qetic.jp/interview/pickup_tokyodex_in/281728/
1961年8月13日から1989年11月9日までの10,316日、東西冷戦の象徴として存在していたベルリンの壁。そして2018年2月6日、壁が崩壊してからの日数が、存在していた日数と同じ10,316日を迎えた。これを記念してドイツ大使館は、日独のグラフィティアーティストに壁画の制作を依頼、そしてその監修を務めたのが「TokyoDex」というクリエイティブ・エージェンシーだ。そこで今回は、TokyoDexの創設者であるダニエル・ハリス・ローゼンにこの壁画が誕生した経緯やそこに込められた意図を語ってもらうとともに、TokyoDexが手掛けるさまざまなオフィスアートについてもたっぷり話を伺った。
10,316日、つまりベルリンの壁が崩壊してからの日数が、壁が存在していた日数に並ぶことを記念して、それをアートで表現しました。今回はドイツ人のユストゥス・“COR“・ベッカーと日本人のイマワンというアーティストがコラボレーションして、ドイツの過去が未来に出会うというコンセプトのグラフィティになっています。また今回は、コンセプトに合わせてキャンバスをデザインするところから始めました。そして左側からドイツの過去を断片的に表現しつつ、中央に向かって時代が進んでUnification(統一)に結び付くというイメージです。
《イーストサイドギャラリーEast Side Gallery》
ベルリンの壁が崩壊した1989年11月の1ヵ月後、アーティストたちがミューレン通りの壁に絵を描き始めた。最終的に21ヵ国から118人のアーティストが壁画を手がけた。★一時的な試みであり、撤去されることになっていた壁とともに消える運命にあった。ところがここの★知名度が高まると、壁画の描かれた壁を保存する運動が高まり、イーストサイドギャラリーと命名されて残されることになった。風雨にさらされて残されることになった壁画は2000年と2009年に修復されている。壁画はヴァルシャウアー駅近くまで、延々約1.3kmも続く。