《参考》大島紬
https://www.amaminosato.jp/tsumugi/tsumugihistory/
本場大島紬になくてはならない、絣(かすり)。絣とは経(たて)と緯(よこ)の糸が重なった十の字になっているところのことを指します。経・緯の糸が直角に交わるように組むことでどのような柄になるかを考慮し先染めします。組む糸にはすでに柄となる色が染色されていて、それを丁寧に1本ずつ交互に織り上げる平織りという織り方で、絣の集合を模様として見せています。織り上げた模様に★裏表がない美しさも本場大島紬の特徴です。着物一着分1240cmになるまで延々と織りつづけます。熟練された高度の技術を要する作品は、1日に30~40cm程度で、着物1枚に必要な布地1反を織り上げるまでおよそ1ヶ月以上かかります。また、都喜ヱ門の作品には、その2倍以上の手間と時間をかけて織り上げられた作品もあります。
大島紬の発祥の歴史については諸説あり、未だに明確にはされておりません。一説には、奄美大島では13世紀頃から古代染色が行われていたと伝えられています。1716年からは真綿から手引きされた紬糸をテーチ木の煎じ液で染め、泥田で染めたものを、いざり機と称される機を使って織っていたと伝えられています。泥染めの起源としては、いくつか話が伝わっています。草木の液で染める草木染めの方法は以前からありました。草木染めの着物を翌日洗濯するために★田の水に浸していたら偶然きれいな黒色に染まっていたという話。農作業をしたあと、田んぼの中に着物を★置き忘れ、翌日見てみたら漆黒色に染まっていたなど。他にも田んぼに★落っこちて、偶然の発見が泥染めの始まりになったとも言われています。
・・・気まぐれ=「偶然の発見」=大自然の恵みです。奄美大島に行きた~い。
《泥染め》「大島紬村」より
http://www.tumugi.co.jp/tsumugi/dorozome.html
世界中で奄美大島だけでおこなわれている天然の染色方法です。絹糸の蚕白質の上にシャリンバイ(バラ科の植物)に含まれている★タンニン酸色素と泥田の中の★鉄分(酸化第2鉄)等が化学結合を85回以上繰り返し染色することにより堅牢(色落ちしない)で深く光沢のある渋い黒色に染まることです。絹の美しい光沢は★動物性、シャリンバイ染の柔らかさは★植物性、鉄分による★鉱物性の3つの特徴を兼備えた強い繊維になりしっとりと柔らかな肌触りは親子3代譲り受ける事ができる世界で類を見ない染色技法が奄美大島紬の泥染です。
・・・「3つの特徴」、最強のトライアングルですね。
《媒染》
・媒染:英語ではmordantです。染料を繊維に定着させます。草木染めの媒染には、発色させる効果と、色素を繊維に定着させる効果があります。染料によって違いますが、傾向としては、アルミ媒染は明るい色、鉄媒染は暗い色になります。銅媒染は青みのある色になる(茶系や緑にも発色します)。
・アルミ媒染:染液に近い、明るい色に発色します。漬物用の焼きみょうばんがスーパーで買えるので身近です。食品添加物でもあるので、キッチンで使うのに安心感があります。
★鉄媒染:天然のものは、泥媒染が有名です。泥に含まれる鉄分が媒染剤になります。鉄媒染は暗い色に発色します。深い色あいです。暗くて濃い色に染まった方が、色落ちしにくい(堅牢度が高い)。アルミ媒染をして、明るすぎると思った時に、鉄媒染で重ねて染めると落ち着いた色になる。五倍子やヤシャブシなど、アルミ媒染では薄い色で、鉄媒染では濃い色になる染料もあります。
●染色は、染料の分子と繊維の分子がくっつくことで染まる。くっつく=イオン結合、水素結合、分子間力、配位結合。先媒染では、色素分子が付く部分を増やして、染まる色素の量を増やす。また、色素分子が付きやすい部分に入りやすくする。後媒染では、色素分子と結合したりして、色素の吸着を補強する。配位数が6の金属イオン(鉄、アルミニウム、クロム、コバルト、スズ、マグネシウムなどのイオン)の場合は、八面体の形で、金属イオンを中心にして、色素や繊維が複雑に配位結合する。色調の変化が重なると、色がくすむ。鉄媒染の濃度が濃いと、色調の変化の重なりが多くなって、黒く見える。石灰水などでのアルカリ媒染は、色素分子を水に溶けない状態にして繊維に固着させる。
・・・化学(科学)は重要なのですが、難しい。まずは実践あるのみです。
《木酢液(もくさくえき)》
木材を乾留した際に生じる乾留液の上澄分のこと。代表的な例としては、★炭焼き時に副産物として木酢液が製造される。外見は赤褐から暗褐色の液体。ほとんどが水分であるが、木材由来の有機酸(酢酸など)が含まれ★弱酸性を示す。それ以外の成分として 、アルコール類、カルボニル化合物、あるいはフェノール類やフラン類といった芳香族化合物などが含まれる。製法によってはホルムアルデヒドやベンゾピレンなどの★毒性の高い物質も含まれる。原材料や乾留の条件により成分にばらつきがある。メタノールの別名である「木精」は、かつて木酢液の蒸留により得られていたことに由来する。フェノール類は主に木材の成分であるリグニンから生じる。イギリスでは1820年ごろより、木酢液の蒸留により得られた酢酸から★媒染剤として酢酸ナトリウムを製造する事業が始まっている。かつて木酢液は酢酸やメタノールを製造するために利用されていたが、それらの化学物質の供給源は化学合成あるいは醸造に取って代わられた。現在は農薬的な使用、もしくは民間療法、厚生目的での利用がある。食品加工法のひとつである液体燻製では、木酢液から得られた★燻液(スモークフレーバーとも)が用いられる。過去に木酢液は殺菌用の農薬として登録されていたが、登録が失効しているので現在は★失効農薬である。千葉大学園芸学部の本山直樹教授によると、木酢液の成分にはバラつきがあり、中には微生物の遺伝子を損傷する変異原性のものもあったと日本環境動物昆虫学会学会誌に発表している。また、現在は農薬取締法により、木酢液の、農薬の効果をうたった販売は禁止されている。現在販売されているが、医薬品でも農薬でもなく、★薬効は認められてない。
・・・またまた難しいことはわかりませんが、注意して使用する必要がありそうです。今のところ「媒染」に使用するだけなので問題はありません。
《参考》媒染剤について/「小紋屋」さんより
https://www.komon-ya.net/works/20200307/
https://www.komon-ya.net/works/20200313/
《お歯黒(おはぐろ)》Wikiより
http://www.shinbishikakyokai.com/p_story/story04.html
明治時代以前の日本や中国南西部・東南アジアの風習で主として既婚女性、まれに男性などの歯を黒く染める化粧法のこと。「お歯黒」というのは日本の貴族の用語である。「おはぐろ」の読みに鉄漿の字を当てることもある。御所では五倍子水(ふしみず)という。民間では鉄漿付け(かねつけ)、つけがね、歯黒め(はぐろめ)などとも。
起源はわかっていないが、初期には草木や果実で染める習慣があり、のちに鉄を使う方法が鉄器文化とともに大陸から伝わったようである。古墳に埋葬されていた人骨や埴輪にはお歯黒の跡が見られる。天平勝宝5年(753年)に鑑真が持参した製法が東大寺の正倉院に現存する。鑑真が中国から伝えた製造法は古来のものより優れていたため徐々に一般に広まっていったが、その製造法は当初は仏教寺院の管理下にあった。このあたりが一般に日本のお歯黒が仏教に由来する習俗と言われる所以かもしれない。
江戸時代以降は皇族・貴族以外の男性の間ではほとんど廃絶、また、悪臭や手間、そして老けた感じになることが若い女性から敬遠されたこともあって既婚女性、未婚でも18〜20歳以上の女性、及び、遊女、芸妓の化粧として定着した。農家においては祭り、結婚式、葬式、等特別な場合のみお歯黒を付けた(童話ごんぎつねにもその描写がある)。
きれいに施されたお歯黒には、歯を目立たなくし、顔つきを柔和に見せる効果がある。谷崎潤一郎も、日本の伝統美を西洋的な審美観と対置した上で、お歯黒をつけた女性には独特の妖艶な美しさが見いだされることを強調している。歯科衛生が十分に進歩していなかった時代には、歯並びや変色を隠すだけでなく、口腔内の悪臭・虫歯・歯周病に予防効果があった。お歯黒は、江戸時代以前の女性および身分の高い男性にとって、口腔の美容と健康の維持のため欠かせないたしなみであった。★鉄漿を「かね」と読むと、染めるのに使う液を表す。主成分は鉄漿水(かねみず)と呼ばれる酢酸に鉄を溶かした茶褐色・悪臭の溶液で、これを楊枝で歯に塗った後、五倍子粉(ふしこ)と呼ばれる、タンニンを多く含む粉を上塗りする。これを交互に繰り返すと鉄漿水の酢酸第一鉄がタンニン酸と結合し、★非水溶性になると共に黒変する。歯を被膜で覆うことによる虫歯予防や、成分がエナメル質に浸透することにより浸食に強くなる、などの実用的効果もあったとされる。毎日から数日に一度、染め直す必要があった。鉄屑と酢で作れる鉄漿水に対し、ヌルデの樹液を要する五倍子粉は家庭での自作が難しく、商品として莫大な量が流通した。江戸時代のお歯黒を使用する女性人口を3500万人とし、一度に用いる五倍子粉の量を1匁(3.75g)として、染め直しを毎日行っていたと仮定した場合、1日の五倍子粉の消費量は20トン弱になったと考えられている。なお五倍子粉は利用が幅広く、お歯黒の他、黒豆の着色や革の鞣しにも用いた。現在も着色料として利用されている。
・・・「鉄媒染」、筆書きしてみました。簡単に即効で黒くなるので、おもしろいですよ。