太陽の気まぐれ(2) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・5回以上塗り重ねています。蚊取線香を封入したレジンの作品、柿渋を塗ったものとそうでないもの、ハッキリ差が出ています。

 

 

《NEWS》2020.7.6北國新聞より

田んぼ染め、染色を再現/金沢・釣部の保存会が着手

藩政期以前から夕日寺校下の釣部(つるべ)町に伝わるとされる「釣部田んぼ染め」の復活に取り組む同町の保存会が、染色技法の再現に着手した。明治期に途絶えたものの約40年前に当時の住民らが再現を試みた際に作成した資料が保管されている。5日は会員らが町内の田んぼで、染色工程を試した。よみがえらせた技法を今秋の夕日寺校下の文化祭で披露する予定で、山あいの集落が育んだ染色の技を後世に伝える。田んぼ染めは、★ヤマウルシなどとともに煮込んだ布を、★鉄分を多く含む田んぼに浸すことで、黒く染め上げる技法。昨年から、町の住民や出身者らで保存会を結成して復活に乗りだした。県の地域文化活性化事業にも採択されている。地区では1978~79年にも田んぼ染めの技法再現が試みられている。当時の有志が残した住民への聞き取り調査を収録したカセットテープや文献などを活用した。資料によると、天日干ししたノウルシを鉄釜で生地とともに煮込んだ後、田んぼ(泥場田(どろばた))に漬けて染料を定着させ、水洗いするまでの「一汐(ひとしお)」と呼ばれる工程を3回繰り返すことで理想的な黒色に仕上がるとされる。5日は、会員が2回目となる作業に励み、白や藍、ピンク色の木綿や絹布を町内で一番鉄分の豊富な田んぼで漬けた。再現に協力する染色の専門家で元金沢美大教授の城崎英明さん(63)は「絹の染まりがとてもいい。まだ2回目だが、40年前に再現したものより、黒色の乗りが濃い」と話した。会では今後、工程を見直すなど試行錯誤し、完成度を高める。再現の様子は映像にまとめ、地元の夕日寺小の児童にも田んぼ染めを知ってもらう考えで、竹田惇会長(74)は「ゆくゆくは若い人にも継承活動に参加してもらい、釣部の貴重な文化を次世代へ残したい」と話した。

https://www.facebook.com/Hideakizaki

●田んぼ染め復活へ保存会 金沢・釣部町の住民が結成/2019.6.17

金沢市夕日寺校下にある釣部(つるべ)町(まち)の住民が、田の泥に浸して布を染める「田んぼ染め」の復活に向け保存会を結成した。同町に藩政期以前から伝わり、明治期に途絶えた技法で、口伝を基に再現して次代への継承をめざす。16日には専門家を招いて初の体験会(北國新聞社後援)を開き、会員は全国的にもほとんどみられなくなった伝統の技をよみがえらせようと意気込んでいる。田んぼ染めは、山漆などを煎じた汁に漬けた布を、鉄分を多く含む田んぼに浸して染め上げる手法とされる。釣部町の場合は史料がほとんど残っていないため、田んぼを使わずに行われていた可能性もあるという。保存会によると、唯一の史料である藩政期の地誌★「亀廼尾廼記(かめのおのき)」には「釣部の黒染とて染物をす、けんぼうよりは強しと云う」と記載されており、京都の黒染めより長持ちしたことがうかがえる。釣部町には現在、10世帯29人が住んでおり、半分が60歳以上で、10代は5人となっている。少子高齢化が進む中、住民有志が伝承を後世に残すために保存活動に乗り出した。16日は、染色を専門とする元金沢美大教授の城崎英明さん(62)を講師に招き、同町にある城崎さんの工房で染め物の体験会を開いた。今回は実際の田んぼは使わず、会員ら15人が柿の葉で作った染料を布に浸して模様をつけた。継承事業は県の地域文化活性化事業に採択されており、会長の竹田惇さん(74)は「ふるさとの伝承を地域に発信できるよう取り組みを進めていきたい」と語った。

 

 

《亀廼尾廼記》

柴野美啓(~1847)江戸時代後期の和算家。宮井安泰(あんたい)に測量術をまなび、加賀金沢藩内の地理古跡調査にあたる。三池流の和算家として、門弟をそだてた。弘化(こうか)4年8月8日死去。加賀出身。本姓は梅沢。通称は優次郎。号は方中。著作に「亀廼尾廼記」。

 

《参考》「つば甚」

921-8033石川県金沢市寺町5-1-8/076-241-2181

https://tsubajin.co.jp/about/

200年以上前に書かれた金沢及近郷の地名、名所、旧跡、神社仏閣等郷土の地理、歴史を中心に書かれた郷土史として有名な★「亀の尾の記」の一部に「つば甚」の前身、塩梅屋 鍔屋甚兵衛が紹介されています。

 

 

★田んぼ染め(金沢市森本地区)/北都民謡会/採譜:高山久参

http://www.spacelan.ne.jp/~isaki8/hokuto_minyo/

http://www.spacelan.ne.jp/~isaki8/hokuto_minyo/tanbozome.htm

1 田んぼ染めでも 色さえ良けりゃ(アードウシタドウシタ)

  色に迷わぬ者はない。(アーヤチャコリャヤチャコリャ)〔以下はやしことば略〕

2 昔馴染みの去年の暦 そばにあれども間に合わぬ

3 田んぼ染めなら赤芽で染める 正部(しょうぶ)谷田んぼに花が咲く

4 昔馴染みとつまずく石は 飛び立たぬはずだよ子が可愛い

5 中野の山に長兵どんの話 今に残るかいたわしや

6 田んぼ染めとつまづく石は 痛いながらも振り返る7 山は焼けても 山鳥たたぬ  たたぬ筈だよ 子は可愛い8 昔馴染みと紅柄染めば  色はあせても 柄がよい9 思うて通うたが 水かけられて  わしが通うたが 水の泡

◆その昔、金沢市森本地区では、春になると麻の種を蒔き、八月の初め、これを刈り取り、約十日間漬けた後、皮をむき、天日に干した。冬になると手で紡いで機織り、出来上がった布を草の葉や木芽、★山うるしの木皮を煮詰め、その汁で染めた。染めた色が落ちないように★鉄分の多い沼・田んぼに押し込み、約一週間漬けて置き、これを取り出して水洗いした。この染め方を「田んぼ染め」といい、水洗いしながら唄をうたったのが、「田んぼ染め」である。

 

・・・いつまでも唄いつがれていくといいですね。金沢と言えば「加賀友禅」、この機会にいろいろ勉強しておきましょう。

 

 

《加賀友禅》

http://www.kagayuzen.or.jp/know/

加賀には、加賀友禅以前に独自の発達をした無地染めがありました。加賀で産出された加賀絹を梅の樹皮や根を細かく砕いてつくった染液で染めた★「梅染め」が、加賀独特な染色技術として注目されていました。この梅染めの行程を何度か繰り返して、少し黒みのある色に仕上げた★「黒梅染め」なども著名です。染めの回数を変えることで微妙な色合いが出せる梅染めは、献上用にもされた加賀藩誇りの品物でした。その後、無地染めに加え、「色絵紋(加賀紋)」とよばれる、加賀で初めての模様染めが行われるようになりました。これは、定紋の周囲を松竹梅や鶴亀などで囲み、色鮮やかに彩色した金沢独特の紋です。繊細な絵を描くために、★防染技術が取り入れられた最初の染色文化です。色絵紋が数多く作られていたころ、友禅染めの祖である★宮崎友禅斎が加賀入りし、色絵紋に友禅斎のデザインが加えられて「加賀友禅」が完成されたと言われています。しかしながら、「加賀友禅」という名称で一般に広く伝わったのは20世紀以降のことです。この模様染めは「御国染(おくにぞめ)」または、「加賀染(加賀染め)」とよばれていました。それが加賀の国だけにとどまらず、全国に普及しだして「加賀友禅」とよばれるようになりました。

★加賀お国染データベース/株式会社花岡

http://www.kagaokunizome.jp/database/

収集した約2万点の中から随時アーカイブ化を行っています。
その中から代表的な資料を一般公開し、商用でのご利用の場合には、別途全データを公開させていただきます。

★「加賀お国染ミュージアム」

920-0997石川県金沢市竪町34加賀友禅の店 ゑり華2F/076-261-9188

https://erihana.jp/

加賀染織研究家 花岡慎一氏が収集した、江戸末期から昭和初期の加賀のお国染「花岡コレクション」を常設展示しています。花嫁のれん、夜着、風呂敷、子どもの着物など、月ごとにテーマを設定し公開・解説しています。

 

 

【宮崎友禅斎】(1654~1736)

江戸時代の元禄年間(1688~1703)を中心に京都で活躍した扇絵師。着物の友禅模様という名称の基になった扇絵や小袖の雛形(ひながた)を描いた。来歴不明で出家であったことぐらいしか分かっていない。能登国(現★石川県)穴水に生まれる。一説には京都の生まれとも。宮崎氏、一説に俗称は友次。友禅、友禅斎と号す。★加賀染めを習った後、京都へ出て知恩院前に住居を構え「友禅」と号して主に意匠の図案を描いていた。また扇工を生業とした。友禅に学んだといわれる日置友尽斎の協力を得て友禅染を完成させた。したがって、浮世絵を専業にした訳ではなかった。扇面に描いた絵が「友禅扇」と言われ流行したことから、着物(小袖)のひながた(雛形)を描く。友禅模様は、男女、貴賎を問わず評判になり、後に友禅という名は着物の模様や染織技法もさす言葉になった。天和2年(1682)に刊行された『好色一代男』(井原西鶴作画)において「扇も十二本祐善が浮世絵」と評されて菱川風の江戸浮世絵に対比されているのを見ると、当時は友禅を浮世絵師とみる向きもあったようである。友禅の著作『余情雛形』などによって、風俗画の版本を通じて出版界に深く関連があったと推測され、染色図法による掛軸などの作例も多数残されている。晩年には金沢に帰郷、郷家にて没したとされる。

 

・・・「友禅」って素敵な名前ですね。