風に訊け | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・「玉手箱プロジェクト」1周年記念として「筐・筥・箱」について連載しているわけですが、その中で「サントリー美術館」の素晴らしいコレクションについても紹介したところです。

 

《サントリー》

https://www.suntory.co.jp/company/history/

1899鳥井信治郎、大阪市西区靱中通2丁目に鳥井商店を開業し、ぶどう酒の製造販売を始める。

1921株式会社「寿屋」を創立。

1929わが国最初の本格ウイスキー「サントリーウイスキー白札」発売。

1946「トリスウイスキー」を戦後改めて発売。

1956チェーンバー向けPR誌「洋酒天国」第1号発刊。編集長は★開高健。

1961★佐治敬三(1919~1999)2代目社長に就任。文化的な活動で社会に恩返し★「サントリー美術館」開館。活動の原点は1921年創業の「邦寿会」。その後、幅広い社会貢献活動を展開する。

 

 

《琥珀の夢=小説・鳥井信治郎》著:伊集院静/集英社2017

http://renzaburo.jp/kohakunoyume/

ええもんには、底力があるんや。品物も、人も底力や! 13歳の春、丁稚奉公先の薬店で洋酒と出会い、その美しい色に魅了された信治郎。大阪船場商人の魂を叩きこまれる日々、初めての東京見物、外国人居留地での交流、神戸港から横浜・小樽への船旅……。様々な経験を経て、信治郎は20歳の若さで鳥井商店を開業。葡萄酒の製造販売に情熱を注ぎ、 やがて日本初の国産ウイスキー造りに乗り出す――。明治大正昭和を駆け抜けたサントリー創業者の人生と、その熱き思いを描く物語。

 

《やってみなはれ みとくんなはれ》著:開高健、山口瞳/新潮社2003

赤玉ポートワインで莫大な利益を得ながら、危険を冒して日本初の国産ウイスキー製造に取り組んだサントリーの創始者・鳥井信治郎。戦後の経済成長のなか、父親譲りの「やってみなはれ」精神で次々と新分野に挑戦しながら、念願のビール市場参入を果たした二代目・佐治敬三。ベンチャー精神溢れる企業の歴史を、同社宣伝部出身の芥川賞・直木賞作家コンビが綴った「幻のサントリー社史」。

 

《参考》サントリー、博報堂の社史 開高健ら執筆陣が超豪華だった/週刊ポスト2018.1.7より

https://www.news-postseven.com/archives/20180107_641043.html

退屈すぎて社員にすら読まれていない──会社の歴史が書かれた「社史」のイメージは、見事に覆される。社史編纂に会社を挙げて取り組み、見応え、読み応えのある社史を作った企業がいくつも存在するのだ。日本最大の社史コレクションを誇る神奈川県立川崎図書館で社史の活用に力を入れてきた司書(科学情報課)の高田高史氏が、社内にとどめておくにはもったいない、名作社史を紹介する。執筆陣の豪華さが際立つのが、サントリーHD★『サントリーの70年』だ。1969年に完成した同社史では、サントリーの前身・壽屋の宣伝担当で広告コピーやPR誌を手がけていた芥川賞作家の開高健氏と直木賞作家の山口瞳氏が、2人で前後編に分けて執筆している。開高氏は戦後の混沌から書き始め、〈朦朧とした人びとが、朦朧としたヤツを呑む。それはカストリ、メチル、バクダン(中略)まして、〈サントリー〉となれば、これはもう、どこかのシャレた外国のエライ人だけが飲むもの、といったようなぐあいであった〉と触れる。創業者・鳥井信治郎氏についても、〈矛盾を矛盾とも意識せずに呑みこんでケロリとしている〉と評するなど、この社史は知る人ぞ知る名作となっている。ちなみに開高氏は、この社史の発行責任者でもある佐治敬三社長(当時)との深い親交で知られている。

 

・・・この『サントリーの70年』を苦労して入手、私のタカラモノです。

 

 

《壽屋コピーライター 開高健》著:坪松博之/たる出版2014

【坪松博之】1960年東京生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、サントリー株式会社に入社。広報部でPR誌「サントリークォータリー」の編集を担当する。NPO法人★開高健記念会理事。

http://kaiko.jp/

「開高健記念会」は平成14年NPO法人として発足、一般財団との並走時期(平成23年~)を経て、平成26年8月1日、内閣府から認定を受け「公益財団法人開高健記念会」として新たに出発いたしました。

https://www.city.chigasaki.kanagawa.jp/bunka_rekishi/1005657/index.html

開高健の文業を広く後世に伝えるべく、★茅ヶ崎の「開高健記念館」(旧・開高健仕事場を市に寄贈・移管し、当会がその運営を受託)を中心に、館内での種々の企画展、外部施設での展観のプロデュース、各種講演会の開催、資料集の発行などの活動を展開してまいりましたが、公益財団化を機に、東京都杉並区井草の旧・開高邸に「開高健記念文庫」を開設いたします。

http://kaiko.jp/bunko/

本会はこのふたつの公開施設を拠点に、より多くの方々に開高健とその文学に触れ、日本文学に親しんでいただくことを基本理念に、通称は今までどおり「開高健記念会」として活動してまいります。今後ともよろしくご支援のほどお願いいたします。

 

《参考》ガンバレ牧羊子 jun-jun1965の日記2016.3.10より

http://jun-jun1965.hatenablog.com/entry/20160310

開高健が死んだあと、親友だった谷沢永一は『回想 開高健』を書くが、そこで妻の詩人・牧羊子のことを、年上の牧が開高をたぶらかして童貞を奪って妊娠し、結婚に持ち込んだと書き、がんであることは開高に隠しておくことにしていたのに言ってしまい、開高から「オニ」と言われ、葬儀でもマスコミ対応を引き受けて傍若無人にふるまう女として描いた。あるいは、谷沢に詩集を送ってきて、あたし、読売文学賞がほしいの、と言ったということもどこかで書いていた。谷沢は読売文学賞の選考委員ではないのだが、推薦してくれということだろう。現に私のような者のところにまで、読売文学賞の推薦用紙が来る。ところが、1983年の『別冊文藝春秋』に谷沢の「ガンバレ!ガンバレ!牧羊子」というエッセイが載っており、これは『年間ベスト・エッセイ集 午後おそい客』に入っている。これはしかし、別に牧羊子を応援するエッセイではなく、開高と牧が処女童貞で結ばれた日づけを確定して、彼らの同人誌『えんぴつ』の解散でうちあげ式をしたあと、開高と牧が姿を消したので、みなで、今日こそ牧は開高をものにするぞと言い、「ガンバレ!ガンバレ!牧羊子」と叫んだというなかなか品のないエッセイである。開高はこの時のことを『耳の物語』に書いている。さてほどなく牧が妊娠し、開高の母が谷沢に相談に来た。だがどうしようもないと思った谷沢は、母親を怒らせて、開高らが結婚するにまかせた。それから三十年ほどして、開高の母を谷沢が訪ねると、初ちゃんやったからタケシの女房が勤まったんですわとしみじみ言いつつ、なんであの子の書くものはあんなすけべえなんでっしゃろ、と言った、というところで終わっている。このエッセイ集には、産経新聞の永田照海の「伊吹武彦氏のこと」というのもあり、京大フランス語教授の伊吹が退官したあと、産経で匿名コラムを書いていた話である。中に、織田作之助が伊吹の教え子で、「それでも私は行く」を連載した時に伊吹を「山吹」の名で登場させたが、祇園の料亭へくりだすところで、新聞の誤植でそれが「伊吹」と本名になってしまって困って苦情を言ったら、翌日、「山吹教授がいたと書いたのは間違いで、教授は教え子の結婚式の仲人をしていて欠席だった」と書いたという話がある。そこは単行本版では「林檎の唄にかけてはかなりのうんちくのある山吹教授は、明日結婚式があるので欠席した。山吹教授が結婚するのではない。山吹教授の媒酌する結婚式があるという意味だ。山吹教授の林檎の唄がきけないというので代って島野二三夫が文若という一寸色っぽい芸者の三味線で唄っていた。」となっている。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000040/files/47287_42544.html

なおこの小説の青空文庫版で「奇禍として」とあるのは全集の誤植であると青空文庫へメールしたのだがなしのつぶてである。もっとも冨田さんが生きていた時にメールした時も返事は遅かったような気がする。(小谷野敦)

http://akoyano.la.coocan.jp/

 

 

◆「開高健 The Year」フェア

2019年12月9日に没後30年、2020年12月30日に生誕90年を迎える作家・開高健。この1年間を「開高健 The Year」と称して、『開高健のパリ』ほか『オーパ!』シリーズ、『青い月曜日』など代表作を集めたフェアを全国の参加書店で実施。

【開高健】(1930~1989)

1930年12月30日★大阪生まれ。小説家・ノンフィクション作家。★大阪市立大学卒。★壽屋宣伝部在籍中の58年「裸の王様」で芥川賞受賞。79年「玉、砕ける」で川端康成文学賞、81年に一連のルポルタージュで菊池寛賞、87年「耳の物語」で日本文学大賞受賞。小説作品に「パニック」「日本三文オペラ」「輝ける闇」「夏の闇」「ロマネ・コンティ・一九三五年」「珠玉」など、ルポルタージュに「声の狩人」「ずばり東京」「ベトナム戦記」「人とこの世界」など、エッセイ集に「最後の晩餐」「白いページ」など、釣魚紀行に「フィッシュ・オン」「オーパ!」などがある。89年12月9日、58歳で死去。

 

 

●開高健没後30年生誕90年 THE YEAR 記念冊子「はじめての開高健」★無料試し読み

https://booklive.jp/product/index/title_id/649049/vol_no/001

●開高健没後30年共同企画展/茅ヶ崎市開高健記念館

https://www.city.chigasaki.kanagawa.jp/bunka_rekishi/1020607/1036478.html

●開高健没後30年、言葉の巨人しのぶ集いで明かされた秘話“新刊”も出版

https://www.asahi.com/and_M/20191224/8415770/

 

 

・・・「風」にこだわって作品を制作してきましたが、さらに開高健「風に訊け」を読み進めながら、次なる展開を構想したいと思います。開高健さんの造語?「キエチーフ」という言葉が気になっています。

 

★モチーフ:motiv(独)、motif(仏)および仏語からの外来語・芸術用語として(英)、motive(英)←motivationの元

★キエチーフ:quietiv(独)、quietif(仏)沈静、鎮静剤などの意味を持つ

 

ラテン語のmotivere(動くことの意)から、mo- は「動」という意の接頭語、「静」の接頭語であるquie- に付け替ったもの考えればいいのか?文芸用語としては、モチーフが動的で積極的、外向的展開であるのに対し、キエチーフは静的、消極的、内向的に主題を冷静にみる構成ということになる。この動機と静機の調和がとれた作品は、完成度の高さを感じます。アートにおいてもめざしたいところです。