葛籠(つづら) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・前回「明荷(あけに)」のことを書きましたので1周年記念第5弾は、

 

《葛籠(つづら)》

元々は★ツヅラフジのつるが丈夫で加工しやすいことから、つる状のものを編んで作る籠のことを材料名から葛籠と呼んでいたようである。原材料が変化しても呼称だけは残り、葛籠という字が当てられたまま「つづら」と呼ばれるに至っている。「葛」という字は単体では「くず」であるが、「かづら」とも読むことができ、かづらはつる植物の総称としても使われる語句である。ツヅラフジは漢字で書く場合は「葛藤」となり、つるがもつれ合う様から、感情がもつれることの表現として「かっとう」という言葉が残っている。

 

 

《おまけ》「葛井寺」

https://www.city.fujiidera.lg.jp/kanko/spot/kankospotall/1459296653314.html

藤井寺市史第10巻資料編/葛井寺文書『河南紫雲山縁起』より

『その昔桓武天皇の王子★葛井(ふじゐ)親王と申す方がおられた。観音を厚く信仰して極楽往生を心掛け、種々の修行に励み一心に信仰の道を守って大慈大悲の心を持つに至り、往生の願いを遂げられた。これによってその御家領を平城天皇の王子阿保親王が相続された。そして、葛井親王の御菩提を弔うために御堂の再建をし、これを葛井寺と称された。その後、阿保親王の子・在原業平が奧の院を建立し、弘法大師彫刻の尊像を安置して本尊とされた。』

「葛井連」ゆかりの寺院であることを補強するための話のようです。阿保親王の母は葛井連道依の娘・葛井藤子です。葛井親王の母は坂上田村麻呂の娘・春子です。なお、葛井親王は「かどいしんのう」とも呼ばれています。

★2020藤まつりは中止になりました。藤の鑑賞へはまた来年お越しください

https://www.fujiidera-temple.or.jp/

5月18日(月)は通常通り本尊千手観音さまをご開帳致します。ご開帳は毎月18日です。来月も再来月もご開帳は行いますので、5月は遠方からのお越しはご遠慮ください。

 

 

《さらに、おまけ》字形選びの「葛藤」と「葛藤」/文:本多葵/放送研究と調査2016より

先月発売されたばかりの『NHK日本語発音アクセント新辞典』を、もうご覧になっただろうか。本編のいたるところにある×印。これは、「NHKの放送では基本 的に使わない漢字」であることを、補助的に示している。 では、どの形の字を使わない例として示すのか。これが、なかなか難しい問題だった。昆虫の「せみ」を、「蟬」とも「蝉」とも書くように、ひとつの意味に複数の字の形が対応する場合があるからである。 複数あったとしても、それぞれが別の字形として分類されていて、一般的な環境での表示や印刷が可能であれば問題はない。例えば、BS『美の壺』の「つぼ」。代表的な字 形である「壺(U+58FA)・壷(U+58F7)」 (「U+nnnn」はユニコード)は、おのおの別の文字コードを与えられており、印刷や端末での表示も可能であることが多い。また、常用漢字表にない字を選ぶ際のよりどころともいえる『表外漢字字体表』(国語審議会。 以下、『字体表』)に「壺」が印刷標準字体として示されていることも、判断の材料となる。 少し複雑なのは、別字形でありながら、 同じコードに分類されている場合だ。例えば、BSドラマ『マスケティアーズ』に出てくる 「枢機卿」の「きょう」。主な字形である「卿・ 卿」は、ともに「U+537F」という同一コードである(ただし、下位分類では枝分かれして、個別の番号が与えられている)。『字体表』では「卿」が標準なので字形の選択には迷わないが、その「卿」が表示できず、「卿」に置き換わってしまう場合がある。必要とあらば、 下位分類番号を指定したり、作字したりしなてはならない、ということになる。 さらに難しいのは、「髯(ひげ)」のような場合だ。『字体表』には出ておらず、主な字形3つ「 ・髯・髯」の中で容易に表示できるのは「髯(U+9AEF)」のみだが、国語辞典で はあまり使われない。では、主流の字形「髯 (同上)」はというと、漢和辞典によっては俗字とされている。しかし、正字である「 (U+9AE5)」は、一般的な環境では表示が難しいうえ、「髯」同様、最近の国語辞典ではほとんど目にしない。 コードや表示環境の問題に加え、複数ある字形の中でどれを選ぶべきか、辞典の種類 による採用傾向の違いをどうするかなど、漢字を、電子情報として処理したりデータをやりとりしたりする際の、★難しさやおもしろさを実感した。 字形選びにまつわる葛 ・ 藤、いや、葛 ・ 藤 (「葛」・「葛」ともにU+845B。「葛」が印刷 標準)の一端を、×印の漢 ・・ 字から感 ・・ じ取って いただけたら幸いである。

※残念ながらWEB上では文字の違いをしめすことができません。(葛の中が「ヒ」になる)

 

・・・「難しい」と「おもしろい」が、「葛藤」の意味かもしれませんね。

 

 

《渡邉商店》

605-0871京都市東山区東大路五条下る東入る(慈法院庵町585)/075-551-0044

http://www.kenbun.info/backnumber/11spring/mamoru/index.htm

《江戸の粋、京の雅》/WAZAMONより

https://wazamon.net/craftsman/watanabe/

昔話「舌切り雀」にも登場する葛籠(つづら)。葛籠とは、簡単にいえば竹で編んだ蓋つきの籠。通気性に富み、表面に塗る漆や柿渋に抗菌・防虫・防腐作用があるため、大切な衣類や紙製品を保存するのに最適であるとされてきました。形や大きさはさまざまで、用途に合わせて製作されることも少なくありません。ものを収納する道具として、箪笥よりも古くから使われてきた生活道具のひとつです。京都東山区。東大通と五条通が交差するあたりに渡辺商店はあります。その作業場で葛籠を作り続ける三代目、良和さんの名刺には、その取り扱いの品について「衣裳・呉服・茶道具用・相撲明荷・文楽・歌舞伎・其ノ他張籠一式」と書かれています。千二百年の京都、いや日本の文化を支えてきた、京の職人のひとりです。現在、渡邉さんが一手に引き受けている★明荷(あけに)。大相撲の関取や行司が衣服を入れるのに使うもので、十両以上に昇進しないと持つことができないため、相撲界では出世のシンボルともなっています。力士が腰かけてもびくともしないほど丈夫な明荷は、葛籠の底に木の台をつけ、角に金具をつけて作ります。渡邉さんの明荷は、赤と緑の華麗な仕上げです。「平安神宮をイメージしています。東京は粋、京都は雅。京都の職人である誇りを、葛籠に表現したいと思っているのです」。

葛籠づくりには、細かく分けると全部で25もの工程があります。京葛籠の製作は、竹を剥(へ)ぐ作業から始まります。使うのは寒暖の差の激しい、厳しい気候の中で育った京都・洛西の孟宗竹。この竹の薄皮を厚さ1ミリ以下に剥いで、四つ目編みという頑丈な編み方で編み込みます。竹籠が編み上がると和紙を張ります。和紙は、美濃や宇和島の手漉き和紙を2~3年乾燥させたもの。糊は、デンプン粉を炊いた糊に防虫効果のある柿渋を混ぜた自家製のものです。和紙を竹籠にこすりつけて定着させるための「かき竹」という道具も、渡邉さん考案の道具。竹籠に和紙がなじんだら、縁に補強のための蚊帳を張ります。このあと、柿渋を塗ったり、漆塗料を塗ったりして、最後に家紋や名前を書き入れれば完成です。本来は、京葛籠もほかの工芸品と同じように分業化されていて、竹籠をつくる「下生地師」、和紙を張る「張り師」、漆や柿渋を塗る「塗り師」、家紋や文字を書く「文字書き師」などに分かれていました。でも、時代とともに需要は減り、職人の数も少なくなっていくのを目の当たりにした先代・豪和さんは考えます。「納得いくものをこさえたい。お客さんの希望に応えたい。竹の選定からお客さんへの配送手配まで、すべてを自分の手でやりたい」。苦労を覚悟で研究を重ねて葛籠師となった先代。いまは、その思いと技を三代目の良和さんが受け継いでいます。京葛籠は着物や茶道具をしまうために作られることが多かったため、人の目に触れることも考えて、軽くて丈夫なだけでなく、見た目のよさも求められてきました。長い歴史のなかで磨かれてきた美しさが見直され、日本が生んだ機能的な生活道具として、いままた京葛籠の人気が高まりつつあります。「伝統というのは、★守っていくだけでは廃れていくもんです。守りながらも、新しい時代を見つめて、自分なりのアイディアでこしらえて、新しい分野に攻めていかんならん。いまの時代、古いもんは古いもんのままでも、それで新しいマンションにもぴったりと合うような、そんなものづくりをしていかなあかんと思うてます」(豪和・談)。呉服や衣類を収納するための大きいものから、書簡や小物を入れておくための文箱まで、この道一筋の職人の手から生み出される、端正で、狂いのない、存在感のある収納具。すべての工程においていっさいの妥協をせず、一貫生産を続けている渡辺商店の京葛籠には、触れて、使ってこそ実感できる道具の力が感じられます。

【渡邉良和】京葛籠師。1964年(昭和39年)京都市生まれ。1931年(昭和6年)創業の渡辺商店の三代目。初代のころは竹を編む下生地屋だったが、先代の父・豪和が「材料選びから製品の完成まで、すべて一貫してやりたい」と修行と研究を重ね、京葛籠製作の全工程を手がけるように。その父・豪和のもとで修行を積み、父亡きあと、いまは日本でただひとり、葛籠師を名乗ることができる職人である。

 

 

※季刊『禅文化』213号/2009年夏号7月25日発刊より

技を訪う―葛籠(つづら)/文:川辺紀子

https://www.zenbunka.or.jp/zenken/archives/2010/07/213.html

【葛籠作りの工程】

①採る―自然よりいただく―真っ直ぐ天に向かって伸び、榊と並んで清浄な植物とされる竹(孟宗竹)を採り、寝かせておく。孟宗竹は四年を超えると根も張らなくなり、ひねていくため、だいたいは四年くらいのものを使う。

②剥ぐ―職人にとって一番の難所―竹を一晩水につけた後、割ってから、へぎ包丁で薄さ一ミリまでに剥いでいく。寒暖の差が激しい京都で育った硬い竹を、薄く薄く剥いでいくのは非常に難しい作業。さらに、和紙を貼る時に糊の付きが良いように、剥いだ竹を平らに削ることも欠かせない。

③編む―長年使えるものを―昔は網代編みであったが、現在では耐久性を考え四つ編みにしている。網代編みとは違い、剥いだ竹を熱で曲げて使うため、角や四方が強いという。また、後に貼る蚊帳や和紙と糊がよく粘着するように、少し隙間を残しつつ編んでいく。

④貼る―ここが肝心―編み上がったものに、補強のために蚊帳を貼る。最近では麻や木綿素材の蚊帳が減っており入手困難であるが、渡辺さんの仕事がテレビ等で紹介されてから、是非蚊帳を使って欲しいとの申し出があり、届けてもらった蚊帳を大事に使っているとのこと。次に、タロイモを原料とし、さらに柿渋を混ぜた糊で美濃の和紙を貼る。この際には、ご主人自らが公案した“かき竹”でこするように貼り、和紙を密着させてゆく。編まれた竹と和紙とが密着し、ぴしっと引き締まった姿は既に非常に美しい。この時点で美しいからこそ、この後の工程が生きるのだろう。

⑤塗る―命を吹き込む―柿渋の下地を塗った後、カシューナッツの木の樹液を原料とするカシュー(昔はこれが漆であった)を塗る。さらに、客の好みや要望通りに文字や家紋が入れられ、乾燥を待つ。

 

・・・常々、京都の住所表記が「ややこしい」なあと思っていました。「葛藤」ついでに、調べてみました。

 

 

京都の住所は〇〇通や〇〇小路というように、通りの名前が続くものが多いです。京都の住所表記は★交差する通りの名前を両方載せることで、場所を特定できる仕組みになっています。その表記方法にも一定の法則があります。例えば「京都市役所」なら、京都市中京区★寺町通★御池上る上本能寺前町488番地となるわけです。

 

・・・古き良きものを残していくということは、「むずかしい」からこそ「すてき」なことだと思います。