筥(はこ) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・「玉手箱プロジェクト」1周年記念第4弾は、

《筥》キョ、はこ・いねたば

①はこ。丸いはこ。 ②いねたば。また、イネのたばをはかる単位。一にぎりを秉(ヘイ)、四秉を筥という。★筐筥=「筺」は竹製の四角いかご。「筥」は竹製のまるいかご。

 

《類聚雑要抄》

東三条殿における装束(室内の装いや調度とその配置としての意味)について記し、平安時代の様々な調度についての研究に貴重な資料である。儀式や行事の調度について、指図(見取り図)によって詳しく記している。1146年(久安2)ごろのもので、四巻からなるが、作者は不明。

※東三条殿

http://www.ktmchi.com/SDN/SDN_022-3.html

東三条殿の歴史は古く、藤原忠平の頃から名が上がる。その間、改造や消失が繰り返される。

 

《収納具考:向レ上開闔器》文:後藤偉沙雄/大阪大学デザイン理論1970

「和名類聚抄」には、箱は竹器の部において記述されており、古は、箱とは★竹で作られた器の名称 であったことを知ることができるが、又〈ハコ〉を意味する文字である箱・筐・篋・筥・篋などが★竹冠を持つことによってもそのことを推知することができる。

※「和名類聚抄」平安時代中期に作られた辞書である。承平年間(931~938)、勤子内親王の求めに応じて源順(みなもとのしたごう)が編纂した。略称は和名抄。

 

・・・「たけがんむり」そんな基本的なことに気が付かなかったとは、とほほ。

 

 

つまり箱は、竹を編むことによって、その生存が開始されたのである。わが国において、縄文式時代に、竹籠を、竹条を放射状に組んでまるく作る方法と、網代に組んで方形に作る方法とが知られていたが、古く中国では、★方形のものを筐(音一匡)といい、★円形のものを篋(音一匪)といって、方・円によって名称を異にしていたのである。しかしわが国においては、上記の〈ハコ〉を意味する文字★総てを〈ハコ〉と訓み、箱・筥を以って代表させ用いてきている。弥生式時代には編物の技術は相当発達しており、縄文式時代晩期には既に、竹条で編んだ容器を漆の類で塗りかため、籃胎漆器として用いられていた。正倉院には現在、★565個という大量の竹器が保存されているが、これらはその形と用途によって、東大寺花筥・東大寺花籍・中宮寺斎花筥と称されており、花筥は散華供養の花を盛るために、又花蘿はそれを洗うために用いたという。これらは収納を目的としたものではなく、所謂〈ハコ〉というより★〈ザル〉であるが、これらは蓋付き〈ハコ〉への一つの発展段階を示すものといえよう。同じく正倉院には、葛箱・柳箱・藺箱があるが、これは正真正銘の〈ハコ〉である。北倉にある白葛箱を例 にとると(蓋の長さ36 .6cm、幅33.3cm、総高8mの長方形の箱)、その製法は、葛藤の皮をとり除いた自葛を経緯として平織ふうに編み、編み乍ら箱の形を作っていったもので、紙細工のように、たいらに編みあげたものを折りあわせて作ったものではない。これには、赤漆文欟木の厨子の納物、御書四巻と襲衣香二袋とを納めていたという。当時としては、非常な貴重品を納めていたわけである。柳箱は、編み方は今の★柳行李と同じであって、柳を緯とし糸を経として長方形あるいは円形に編みあげたものである。その編み留めには、楊の枝を纒い楊皮で結って縁となし黒漆を塗っている。これらもやはり貴重品を納めたものであって、橘夫人奉納の琥珀誦数を納めた箱(蓋の長さ9.4cm、高さ3.4cm)、「納真珠箱」の朱書のある箱(蓋の径14cm、高さ2.7cmの円形のもの)、斑犀帯を納めた箱(蓋の径24.5cm、高5.5cm)などがあるが、これも極めて特殊なものを納めるのに用いていたことがわかる。但し、この柳箱(やなぎばこ)は、平安時代、源氏物語などにみえる柳箱(やないばこ)とは★全々別物である。柳箱(やなぎばこ)がいつごろから知られたものかは、あきらかではないが、「続日本記」に、養老六年(722)の詔によって、柳箱を82合奉ったとみえるのが最も古い記録であろう。次いで「延喜式」の内匠寮式に、柳箱に関する詳しい記録をみることができるがそれによると、このころは★箱を「織る」「編む」といっていたことがわかる。又箱の大きさを規定しており、長さ:工尺6寸以下、1尺以上としている。この大きさは、正倉院の柳箱よりも大きくなっており、収納物が、正倉院のものと異ってきていることを示唆している。因に「延喜式」内匠寮式の皮筥に関する記から、衣筥、櫛筥の大きさをみると、その寸法は、前者:長1尺5寸5分、広1尺3寸、深2寸5分、後者:長1尺1寸5分、広1尺3寸、深1寸5分であり、ほぼ柳箱の規定寸法内に入るところから、平安時代初期には、皮筥のみならず、柳箱にも、あるいは衣類、装身具などが納められたのかもしれない 。藺箱は、藺草をたばねて渦巻状にしたものを芯として、蒲の葉などで巻き留めて作った容器で、箱の平面形は円形又は楕円形であることを原則とする。(以下略)

 

・・・もっともっと引用したい資料ですが、とにかく研究するというのはこういうことだと思わされました。ちょっと調べたぐらいで「思い込んでしまっている」ことが多くあり、反省しきりです。興味のある方は、以下より参照してください。

https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/52484/

 

★8月5日は「箱の日」です/takusankanの周易占いノートより

https://akahiro.at.webry.info/201708/article_3.html

 

※「ハコの日」は、平成3年に東京紙器工業組合が紙器業界の技術の向上と一般消費者に紙箱の良さのPRと普及を図るため、ハコの語呂合わせで8月5日を「ハコの日」に制定しました。

https://www.tokyochuokai.or.jp/jiyoho/kinenbi/siki.html

組合では、毎年ハコの日に組合員等から印刷紙器・貼箱・段ボール箱等の作品を募集し、機能性・斬新性・デザイン性・リサイクル性等のあらゆる観点から審査を行い、優秀な作品には、東京都知事賞や東京中央会会長賞等の賞を授与する紙器・段ボール箱コンテストを開催しています。なお、ハコの日は平成9年1月31日付けで、サービスマーク登録制度に基づく商標登録を行っています。

 

 

・・・「ハコ」「カゴ」「ザル」など広がりがあり、歴史そのものですね。サントリー美術館には、多くの「筐・筥・箱」がコレクションされており、1988(昭和63)2月23日~4月3日に展覧会が開催されました。

 

https://www.suntory.co.jp/sma/

サントリー美術館は、政府の緊急事態宣言発令を受けて新型コロナウイルスの感染予防・拡散防止のため、2020年5月13日のリニューアル・オープンを延期させていただいております。このたび緊急事態宣言は解除されましたが、宣言期間中、改修工事を一部中止しており未着手の工事が残っているため、★開館は早くても7月下旬の予定です。 なお開館日は現在調整中にて6月下旬頃に当館ウェブサイトにてお知らせできる予定です。ただし状況により変更させていただく場合がございます。 あらかじめご了承ください。何卒よろしくお願い申し上げます。

 

 

・・・さて、久しぶりに「柳行李」という言葉に出会いましたので、調べてみたいと思います。

 

《たくみ工芸(伝統工芸士★寺内卓己)》「にほんもの」より

668-0215兵庫県豊岡市出石町魚屋99/0796-52-3280

https://nihonmono.jp/area/11764/

兵庫県には、豊岡市を中心に、伝統工芸「豊岡杞柳(きりゅう)細工」が伝わっている。豊岡杞柳細工とは、一般にいう「柳行李」のこと。丈夫で軽く、通気性もよいことから、古くから衣類をしまったり、旅の荷物を運ぶ際に重宝された。現在では、行李だけでなくバスケットやバッグも編まれ、いまでも愛好者は多い。 豊岡杞柳細工の歴史は古く、一説では、1世紀に新羅の王子、天日槍命(あめのひぼこのみこと)が伝授したものだともいわれている。実際に、奈良時代に作られた「但馬国産柳箱」が東大寺の正倉院に残されていることから、少なくとも1200年以上も前から作られていたものであることは確かだ。 豊岡杞柳細工がその名を高めたのは、江戸時代に入ってから。もともと豊岡市一帯は、杞柳細工の材料となるコリヤナギの自生地。積雪のため農作業のできない冬季の副業として、杞柳細工が盛んになった地域だ。それが藩の一大産業として奨励され、1763年に専売制が確立、それによって「豊岡の柳行李」として江戸をはじめ全国で使われるようになった。さらに近年に入ってからは、「ナルちゃんバッグ」としても有名に。「ナルちゃん」とは、ご存知、皇太子さまのこと。1965年ごろ、皇太子さまが学習院幼稚園時代にご愛用した籐のバスケットが「かわいい」と話題になり、一躍大流行したのである。雅子さまも、紀柳製品のバッグを愛用されているとか。 そんな紀柳細工の伝統をいまに残す工房のひとつが、「たくみ工芸」だ。ここでは、伝統工芸士に認定されている寺内卓己さんが、ひとつひとつ手作業で行李などの製品を作り上げる。 少々値段ははるが、その繊細さ、機能性、そして芸術性には、何ものにも代えがたい魅力がある。 日本の風土に合い、昔から生活のなかで使われてきた杞柳細工。身近に置いてみれば、古きよき日本の姿を感じることができるかもしれない。

 

 

《参考》Z series 企画展/山口規子写真展「柳行李」

/ニコンTHE GALLERY 大阪2019年8月8日(木) ~21日(水)

530-0001大阪市北区梅田2-2-2ヒルトンプラザウエスト・オフィスタワー13階

https://www.nikon-image.com/activity/exhibition/thegallery/events/201706/20190709.html

私は人から逃げていた。正確に言うなら「人を撮る」ことから逃げていた。2013年兵庫県豊岡市出石で柳行李職人の寺内卓己氏に出会うまではここ数年、作品として撮りたい被写体(人)がいなかったといっていいだろう。そんな私が寺内氏に撮影を申し込み、本格的な撮影を始めたのが2016年の夏。私のコウノトリ但馬空港へ飛ぶ旅が始まった。柳行李や籐かごなどを含む杞柳産業は豊岡で生まれ、但馬の風土に育ち、基礎を築いてきた。聞き慣れない「杞柳(きりゅう)」という言葉の語源は、柳行李の素材となる「コリヤナギ」のこと。昔は円山川添いに自然に生えていたというコリヤナギを、今では畑で育て、刈り取り、皮をむき、乾燥して編む。ひたすら編む。「人は国に指定された伝統工芸だから、この技術を後世まで残さなあかん。というけれど、私にはこれしかできんのよ。おまんま食うために編んでるだけです。」と彼は言う。そんな寺内氏と彼を取り巻く風土を、四季を通して撮り続けたドキュメンタリー 写真。今日も柳が風にそよぎ、カタカタと行李を編む音が出石の街に響き渡る。(山口規子)

 

 

※「豊岡杞柳細工ミュージアム(玄武洞ミュージアム)」

668-0801兵庫県豊岡市赤石1362番地/0796-23-3821

https://genbudo-museum.jp/kiryu/

当館は新型コロナウイルス感染拡大防止の為、臨時休館しておりましたが、6月1日より営業を再開いたしました。(※体験メニューは感染拡大防止の為、もうしばらく休止いたします。)

国の天然記念物「玄武洞」の入口にあるミュージアム。玄武洞は山陰海岸ジオパークの代表的な景勝地です。レストラン&カフェ、菓子工房、但馬のお土産&ミュージアムショップ、各種体験コーナーを併設しています。ミュージアムでは世界から集められた宝石・奇石・化石・鉱物…ここでしか見られない貴石など展示が充実!見て触って驚きながら学べる”石”の不思議な世界や、豊岡の地場産業「豊岡杞柳細工」を紹介しています。

 

《行李(こうり)》

竹や柳、籐などを編んでつくられた葛籠(つづらかご)の一種。直方体の容器でかぶせ蓋となっている。衣料や文書あるいは雑物を入れるために用いる道具。衣類や身の回りの品の収納あるいは旅行用の荷物入れなどに用いられた。半舁(はんがい)ともいう。柔軟性があり蓋が盛り上がるほど多量に入れることができる。麻縄で結び、あるいは締め皮で締めることもある。数える助数詞は竹や柳で編んだ籠を表す「梱(こり)」、もしくは蓋のある容器を表す「合(ごう)」。また、荷物を入れた行李は荷物を表す「両(ころ)」で数えることもある。なお、中国語で行李 (xíngli) は「荷物」の意味。スーツケースを行李箱(中国語版)という。

●柳行李/コリヤナギを編んだもの。コリヤナギの枝条を2ないし5時間水に漬け、やわらかくする。これを蓋用、身用に分け、台上で弓竹に張った麻糸の間を1本ずつ枝条の元と先とを交互に並べてその中央部に糸通しをし、左右に編み進める。編むには、指先を用い、上部の枝条を下に、下部の枝条を上にし、両者の間に糸を通す。十字形に編み上げたものは端部を上方に曲げて四隅を縫い合わせ、乾燥し、縁に白、赤または黒の割竹を嵌め、型に製する。全体または所々を籐で締める。高級品はかどに皮、ズックその他を縫いかぶせて堅牢にして、また鞄と同様に皮で結び、錠を掛け提げるものもある。但馬の産が有名。

●竹行李/ススダケやハコネメダケといった竹を編んだもの。縁竹には苦竹、孟宗竹を用いる。竹は8月から翌年3月ころまでに刈り取り、細くさき、なまのままで編むか、日乾しまたは陰干しまたは硫黄漂白したものを用いる。網代編みにして製することが多く、舛網代、立網代、蘇鉄網代などの種類がある。柳行李よりは★外観が劣り、害虫もつきやすいが、きわめて安価で、比較的丈夫である。竹製品のいち品目として輸出された。

●渋張行李(しぶはりこうり)/細く裂いた竹を編んだ表に紙を貼り、柿渋を塗ったもの。裏には模様紙または布その他を貼る。★外観はよいが、竹の皮を用いず内部で編むものもあり、堅牢ではない。

 

・・・やっぱり「柳行李」が最高ですね。

 

※明荷(あけに)

大相撲において十両以上の関取力士や行司が持つ行李のことである。中には化粧廻し、締め込み、浴衣(以上、力士の場合)、小物類、雑品(テーピングテープ)といった身の回りの品が入っている。 ★陥落した者を含む幕下以下には、たとえ持っていても使用は許されない。

 

・・・日本の伝統文化と深くかかわる「柳行李」、「箱」の数々まさしく「玉手箱」ですね。