路地裏の月(7) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・続箱プロ「ランドセル」の中で「コロナ断捨離」について疑問を投げかけたわけですが、千利休が「雑器」に注目したごとく、「ほこりをかぶった物の中に佳品があるのを見つけることができる」ということを知っていただきたいのです。ネオン輝く「表通り」ではなく、まさしく「路地裏」ではないかということで、こちらに続編を書かせていただきます。

 

 

《見捨てがたきもの―身辺の雑器》著:秦秀雄/文化出版局1971

《骨董玉手箱―その出会いと遍歴》著:秦秀雄/文化出版局1978

《NEWS》2019.6.30福井新聞より

中島誠之助氏に偽物をつかませた男/骨董の目利き、秦秀雄

魯山人が自らの料理を振る舞う理想の食空間として東京と大阪に築いた会員制料亭「星岡茶寮」。100人余りの職員を束ねる右腕の支配人に抜てきされたのが、福井県の三国町(現坂井市)出身で骨董の目利きとして名をはせた文人★秦秀雄(1898~1980)だった。審美眼と文才で多くの文化人から一目置かれ、井伏鱒二の小説★「珍品堂主人」(59)のモデルにもなった秦は、疎開先を探していた旧知の詩人三好達治を郷里三国へ手引きするなど、福井の文学界にとっても大きな役割を果たした。「人がいいと言ったからこれはいい物だ、と見方を毒されないことです。自分の目で素直に見てゆくと、ほこりをかぶった物の中に佳品があるのを見つけることができます」(「工芸青花」7号より)。既成の価値観にとらわれない秦の「眼」は、民芸運動を進めた柳宗悦や美術評論家の青山二郎、文芸評論家の小林秀雄ら★「伝説の目利き」たちから信頼された。秦は浄土真宗の古刹に生まれ、中学までを三国で過ごした。東洋大卒業後に骨董の魅力に取りつかれ、中学の国語教諭の傍ら陶誌「茶わん」の編さんに従事した。自著「追想の魯山人」(五月書房)によると、魯山人との出会いは32歳だった30年。初対面で話が弾み、その日のうちに星岡茶寮へ招待された秦は、1年後に請われて職員となり、やがて支配人に引き立てられた。独断専行の魯山人が、15歳年下の秦の進言には耳を傾けた。自ら発刊した会報誌「星岡」の編集長を任せ、教員時代の3倍の高給を自ら手渡すなど厚い信頼を寄せた。しかし36年、魯山人が星岡茶寮の会計係をクビにしたことを発端に、その横暴さや放漫な経済観念に不満を抱いていた従業員たちがストライキを起こす。支配人の秦は「ゆえあって」その中心に立ち、恩義ある魯山人を解雇に追い込んだ。騒動の責任を感じ星岡茶寮を去った秦は、目黒で料亭を経営後、43年に伊東温泉へ閑居。疎開先を探していた三好がふらりと訪ねてきたのはそんなころだった。秦の自著「忘れがたき日本の味」(文化出版局)によると、伊東で家探しを頼まれた秦は、小田原市(神奈川)の家族と別離し、萩原朔太郎の娘葉子と新生活を始めようとしていた三好に、三国への疎開を勧めた。旧知の富豪が持つ雄島村の別荘を借りる算段を付けた上で「詩人は炭(生活能力)がない」と心配し、有力な援護者まで紹介した。すっかり三国を気に入った三好は、44年から5年にわたり滞在。作家の中野重治や俳人の森田愛子、伊藤柏翠らと親しく交流し、弟子の詩人則武三雄(かずお)を呼び寄せるなど、戦後福井の文学界にかけがえのない財産を残した。「珍品堂主人」以降広く知られるようになった秦は、料理屋経営の傍ら雑誌「銀花」「小さな蕾」の創刊に立ち会い、骨董にまつわる随筆の書き手として活躍した。古美術商の駆け出しだった中島誠之助さんに高値でまがい物をつかませて“修業”させるなど、生き馬の目を抜くシビアさも持ち合わせていた秦。「己の中に美を持て」というメッセージは、袂(たもと)を分かった魯山人の「独歩」にも通じる。真に美を知る者は孤独。その孤高の美学こそが、没後40年近くを経た今も骨董の世界で信奉者を生み出し続けているゆえんなのかもしれない。

《珍品堂主人》著:井伏鱒二/中央公論新社1959

風が吹かないのに風に吹かれているような後姿には、料亭“途上園”に夢を託した骨董屋・珍品堂主人の思い屈した風情が漂う―。善意と奸計が織りなす人間模様を鮮やかに描く。表題作に自作解説エッセイ、珍品堂との骨董買い出し紀行「能登半島」を併せた決定版。

 

 

《古くて美しいもの》著:関美香/平凡社2010

縄文土器や土偶、埴輪、神像、古壼、禅画、古筆、紙のほとけなどを、現代の視点から「古くて美しいもの」「見捨てがたきもの」としてとらえ、古美術の新しい見方、楽しみ方を提案する。

目次:美とこころをむすぶ―新数寄者の古美術/古代の先進―縄文土偶・土器/文化のあけぼの/壼に聴く―古代、中世のやきもの/生きるための美術―仏教美術/神々の姿―神仏習合と垂迹美術の魅力/禅僧の美術/聖なる文字―古写経/鎌倉時代のカリスマ―定家と明恵上人の書/紙のほとけ―仏教版画〔ほか〕

http://www.shouun.co.jp/

【関美香】古美術商。アートコンサルタント。1987年、古美術祥雲創業。東京、銀座並木通りにて営業。2003年、ニューヨークにMika Galleryをオープンする。国内外の美術館、コレクター、企業、初心者まで、幅広い客層に日本古美術を紹介している。ブログにて、古美術、工芸に関する三〇〇字エッセイを公開。

http://shouun.jugem.jp/

《参考》古美術「祥雲」新装開店/2008.11.3よーちゃんの雑記帳9l

店暫くの間、店舗移転準備の為お休みしていた「古美術 祥雲」が2008年10月25日に新装開店した。新住所は東京都中央区銀座1-5-15。以前の店より有楽町の駅に近く、周辺はブランドショップが多く、ファッショナブルな店の連なる銀座の新名所。と云った感じの処だ。以前の店舗は“京都の老舗古美術店の佇まい”だったが、新店舗の1階は白を基調にした現代的で明るい店作り。開店記念の展示は縄文、弥生、古墳、佛教美術、絵画、陶器、工藝の小品を展示販売していた。身近に置く愛玩物として、欲しくなってしまうような品々ばかり。期間中は随時展示替を予定しているそうである。脇の通路から奥のエレベーターで2階の店舗は1階とはまるで異なり、明かりを抑え、落ち着いた作りの内装。古材を使用した棚や壁面に厳選された壷、古仏、写経等の古美術品が飾られている。大壷に花が生けられ、その空間は華やかだ。関隆、関美香さんご夫妻が経営する「古美術・祥雲」は創業18年で日本を代表する古美術商となった。5年前にはニューヨークのマジソン街の57丁目に「ミカ・ギャラリー」を出店し、日本の古美術を紹介している。

https://www.mikagallery.com/

銀座でそしてマジソン街で、日本の美術を紹介するお二人の店は、いいものだけを扱う心が読みとれる。正統派ではあるが、今までの古美術商とは一味違うところがある。今までの店もそうであったが、眺めているだけで楽しい店だ。日本の古美術の素晴しさを紹介しながら、益々発展する事を願っている。※2014年12月5日、リオープン。

 

 

・・・仏像がヴィーナスに見えたので、驚きました。さて、「路地裏の月」作品も最終段階に入りました。

 

 

 

・・・おおむねイメージしたものを盛り込むことができましたので、この状態でしばらく「むらす」(放置、中断?)ことにします。

 

 

 

・・・目立たないように、「鯨の眼」です。