・・・ホタル情報を集め始めましたが、
●2020年「天城ほたる祭り」中止のお知らせ
毎年、湯ヶ島出会い橋にて開催しております「天城ほたる祭り」2020年5月30日(土)~6月14日(日)は新型コロナウイルス感染拡大防止の為、中止とさせて頂きます。
●ほたるの里ふたみ「ほたる祭り」<中止となりました> 2020年6月6日(土)
●三溪園「蛍の夕べ」<中止となりました> 2020年5月29日(金)~6月7日(日)
●ホタルまつりinやまだ<中止となりました>2020年6月6日(土)
★なばなの里「ほたるまつり」5月中旬~7月中旬
出現ピーク時期予想:例年5月25日頃~6月下旬頃
<お知らせ>新型コロナウイルスの影響による営業状況や公開については別途営業状況をご確認ください。
https://www.nagashima-onsen.co.jp/nabana/event/firefly/2018.html
名古屋から車で30分。お子様やファミリーに安全にホタル観賞をお楽しみ頂けるように園内の歩道の近くの水辺で観賞ができます。もちろん、お手洗いやお食事処の心配もなく施設は充実、気軽にお楽しみいただけるのが魅力です。
★家族で楽しもう「ホタルの夕べ」大阪府立少年自然の家2020年6月5日(金)~7日(日)
http://shizen.osaka-yha.or.jp/event/index.html
★『ほたる祭り2020新田ふるさと村』2020年6月27日(土)午後6時~
http://www.shindenfurusato.jp/event/category/event-info/
内容)バンド演奏、ビンゴゲーム、餅まき
出店)現在調整中、詳細はまたHPにてお知らせします。
・・・開催できるといいですね。
◆けいはんな記念公園【開催中止】水景園のホタル鑑賞会
※2020年5月23日(土)~6月14日(日)の金・土・日・月曜日
・・・昨年、孫を連れて「ホタル観賞会」、「観月の夕べ」にも参加させていただきました。そのつながりから★「月のアート展」に出品しましたが、今年はどうしようかなあ。さて、「月」でまず思い浮かべるのが、
《あの月を とってくれろと泣子哉》/小林一茶「七番日記119」1813
「七番日記」は、小林一茶(1763―1827)の48歳から56歳までの9年間にわたる句日記(自筆稿本)である。一茶の句日記としては最大のもので、充実した作句力を示し、日記の記事も変化に富み、伝記資料としても貴重なもの。この中には《痩蛙(やせがえる)負けるな一茶是(これ)に有(あり)》など、代表作が多数含まれている。(岩波文庫全2冊2003)
《名月を とってくれろと泣子哉》/小林一茶「おらが春」1819
《明月を とってくれろと泣子哉》/小林一茶(文政版)
《参考》増殖する俳句歳時記より
有名な『をらが春』に記された一句。泣いて駄々をこねているのは、一茶が「衣のうらの玉」とも可愛がった「さと女」だろう。その子煩悩ぶりは、たとえば次のようだった。「障子のうす紙をめりめりむしるに、よくしたよくしたとほむれば誠と思ひ、きやらきやらと笑ひて、ひたむしりにむしりぬ。心のうち一點の塵もなく、名月のきらきらしく清く見ゆれば、迹(あと)なき俳優(わざをぎ)を見るやうに、なかなか心の皺を伸しぬ」。この子の願いならば、何でも聞き届けてやりたい。が、天上の月を取ってほしいとは、いかにも難題だ。ほとほと困惑した一茶の表情が、目に浮かぶ。何と言って、なだめすかしたのだろうか。同時に掲句は、小さな子供までが欲しがるほどの名月の素晴らしさを、間接的に愛でた句と読める。自分の主情を直接詠みこむのではなく、子供の目に託した手法がユニークだ。そこで以下少々下世話話めくが、月をこのように誉める手法は、実は一茶のオリジナルな発想から来たものではない。一茶句の出現するずっと以前に、既に★織本花嬌という女性俳人が「名月は乳房くはえて指さして」と詠んでいるからだ。そして、一茶がこの句を知らなかったはずはないのである。人妻だった花嬌は、一茶のいわば「永遠の恋人」ともいうべき存在で、生涯忘れ得ぬ女性であった。花嬌は若くして亡くなってしまうのだが、一茶が何度も墓参に出かけていることからしても、そのことが知れる。掲句を書きつけたときに、花嬌の面影が年老いた一茶の脳裏に浮かんだのかと思うと、とても切ない。★「月」は「罪」。(清水哲男2002)
・・・「月は罪」とは、深~いなあ。
【清水哲男】(1938~)
東京生まれ三鷹市在住。京都大学文学部哲学科卒。在学中に詩集「喝采」を出版。以後、「水甕座の水」(第25回H氏賞)、「スピーチバルーン」、「東京」(第1回詩歌文学館賞受賞)などを発表。1994年「夕陽に赤い帆」で第2回萩原朔太郎賞、土井晩翠賞を受賞。FMラジオ放送・朝の番組でディスクジョッキーも長く務めた。1996年7月からホームページ★「増殖する俳句歳時記」を開設。毎日一句ずつ掲載、2006年8月現在では3500句を超した。通算150万ヒットを超える人気サイトを構築。「増殖する俳句歳時記」は2016年8月8日をもって終了しました。
http://www.longtail.co.jp/~fmmitaka/
《一茶記念館》
389-1305長野県上水内郡信濃町柏原2437-2/026-255-3741
一茶の誕生日とされる5月5日に「一茶まつり」を、また命日の11月19日には「全国俳句大会」を開いている。一茶まつりは2019年で36回目。一茶音頭パレードや、全国小中学生俳句大会の表彰式が開催されています。様々な出店・催し物が開催され、当日はなんと一茶記念館入場無料です。
※新型コロナウィルス感染症の拡大防止のため、下記の期間臨時休館とさせていただきます。ご迷惑をおかけしますが、なにとぞご理解ご協力を賜りますようお願いいたします。
【期間】 令和2年2月29日(土)~5月31日(日)
★2020年5月5日『第37回一茶まつり』の開催は中止となります。開催を楽しみにしてくださった皆様には、急なご案内となりご迷惑をおかけしますが、ご理解をいただきますようお願い申し上げます。
【織本花嬌】千葉県教育委員会より
https://www.pref.chiba.lg.jp/kyouiku/bunkazai/bunkazai/p411-020.html
織本花嬌は、富津に生まれ育った江戸時代中期の女流俳人である。同年代の雪中庵蓼太や小林一茶らと親交があり、特に★一茶が憧れた人として知られている。花嬌は元文年間(1736~1741)に旧西川村(現在の富津市)の名主小柴庄左衛門の娘として生れた。長じて隣村の旧富津村(現在の富津市)名主織本嘉右衛門に嫁し、俳人として活躍した。花嬌の有名な句としては、次のようなものがある。「用のない髪と思へば暑さ哉」「名月や乳房くはえて指さして」
★小林一茶の「七番日記」には花嬌に関する記録が多くあり、文化7年(1810)に花嬌が没するまでの間に一茶が何度も花嬌を訪ねていることがわかる。また没後も何度か富津を訪ねている。花嬌の百ヶ日忌に富津を来訪した一茶は、次のような追悼の句を残した。「草花やいふもかたるも秋の風」「蕣(あさがお)の花もきのふのきのふ哉」また、三回忌には、花嬌を牡丹・芍薬にたとえて「目覚しのぼたん芍薬でありしよな」と詠んでいる。
★「かばかりの草にもかかる時雨哉」/文化遺産オンライン
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/431273
《芝居『小林一茶』》第九場「灸」/作:井上ひさし
一茶が上総富津の大金持の未亡人★織本花嬌に恋をしていると、花嬌の息子嘉右衛門が一茶の句を三句挙げて、指摘する場面がある。一茶は47歳(文化6年か)、花嬌は50歳だが年齢よりは14、5は若く見える、という設定だ。まず一昨年一茶が織本家でつくった発句「わが星は上総の空をうろつくか」。去年のは「蚊を焼くや紙燭にうつる妹が顔」。「わが星」も「妹」も母花嬌をさすのだろう。「近よれば祟る榎や夕涼み」は、花嬌の前の俳号が夏花、榎は木扁に夏、すなわち榎とは花嬌のことで、一茶は手折ってわがものにしたいと思っているのだが、名家の未亡人が乞食俳諧師の想いを容れてくれるはずがない、下手に近よると祟るぞという句だと、いうのだ。
《参考》「富津埋立記念館」
https://www.city.futtsu.lg.jp/0000000915.html
・・・記念館には、織本花嬌さんの容姿を受け継いでいると思われる玄孫さんの写真が飾られているという。さて、「月」を主題にした作品はとりあえず制作したいと思っています。