・・・なぜ「竹」に「雀」なのか?「麻雀」と「竹」も深い関係がありそう。玉手箱プロジェクト「WEB展示」にも「竹細工」を紹介しましたので、
《竹にまつわる雑学コーナー》
縁起の良い植物として知られる『竹』には、それにまつわる慣用句や四字熟語などが多く存在します。「竹に雀」「竹に虎」は、どちらも取り合わせの良いものの例えです。調和が取れているさまが想像できますよね。その由来は明確ではないようですが、虎に関しては、中国では虎は竹林に住むとされ、その勇猛さを強調する意味合いで竹とともに描かれるのだそうです。竹とともに描くと、勇猛な中にも美しさや高潔さが生まれる気がするから不思議です。一方、「竹に雀」で有名なのは家紋ではないでしょうか。歴史に詳しい方ならすぐに思い浮かべるかもしれません…上杉氏や伊達氏が用いた、笹竹で作った丸の中に雀が向き合っているものです。雀は、昔話や民話でも害虫を食べてくれたり恩返しをしたりと、日本人に好意的に受け止められてきました。 縁起の良い鳥として親しまれてきた表れと言えるかもしれませんね。
《和装組曲》
https://umryuyanagi104.hatenablog.com/entry/20120105/1325725909
舌切雀の話は「宇治拾遺物語」に出ていることでも竹林と雀は昔からなじみの深いものとして扱われてきたともいえる。竹は「竹取物語」からも分るように竹には神が宿るとか、神の使いが来るとか、また竹の節の中には金銀財宝が詰まるとか、縁起の良いものとして考えられていた。豊作は雀を暗示させ、ひいては雀は神の使いとしての存在でもあった。だから雀は季節を問わず年中使われる。春の時は雛として秋は稲穂と共に、冬はふっくらした福良雀として。
《参考》
●「竹雀図」/伝牧谿(もっけい)筆/蔵:根津美術館
http://www.nezu-muse.or.jp/jp/collection/detail.php?id=10391
古来★「ぬれ雀」と称され、賞玩されてきた一幅である。枯木の枝に寄り添ってとまる2羽の雀。枝の下方の竹葉は淡墨で掻き消えるように描かれ、その周辺に雨滴をあらわす吹き墨がほどこされている。雀の羽をあらわす水墨の滲みも、濡れそぼった様子と見て取れる。しっとりとした情趣に満ちた作品である。やはり足利将軍家に蔵され、牧谿画と伝承されてきた。重要文化財
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/146687
●天球院方丈障壁画「竹に虎図」襖/狩野山楽・山雪/綴プロジェクト
https://global.canon/ja/tsuzuri/works/25.html
《家紋》
上杉家と伊達家の雀の家紋が良く似ています。二羽の雀が向かい合っている構図は、何も知らない人が見ても「きっと何かつながりがあるはず」と思うでしょう。それもそのはず、これは伊達政宗の大叔父に当たる伊達実元が越後守護大名の上杉定実に養子に入ることになり、婿入りの引き出物としてこの紋を与えられたのでした。実元が養子に入る話は立ち消えになりましたが、家紋だけはそのまま使われているのです。
《朱竹と雀》
https://ameblo.jp/nekozyara-art/entry-12212758170.html
朱竹は実際に存在するそうです。普通の竹との違いは、竹って春に筍が出ますが、この朱竹は秋にも筍が出るそうです。そして雀は、悪いことを啄むというものだそうです。竹は地にしっかりと根を張り、物事の節目ごとに伸びていくことを表し、笹の強い生命力と2羽のつがいの雀。朱竹と雀の組合わせは子孫繁栄と難をついばみ、夫婦円満の象徴とされ 縁起が良いとされる絵柄だそうです。
《雀の卵》著:北原白秋/青空文庫より
https://www.aozora.gr.jp/cards/000106/files/52390_54774.html
1921年(大正10年)白秋が36歳の頃の作品集。「葛飾閑吟集」「輪廻三鈔」「雀の卵」の3部からなり、短歌687首、長歌12首、詩 2編が収録されています。この頃、白秋は、小笠原、麻生、葛飾と居を移し、貧窮の中、生活をしていました。日々の生活の中、米櫃に僅かに残っている米を庭先にやってくる雀たちに蒔いて毎日、雀を見て暮らしていていたといいます。物質的な都会生活を捨て、貧しくとも畑で野菜を耕す郊外の生活の中で描かれたこの作品群には、白秋の新たな作風・境地を見ることができます。(白秋記念館より)
http://www.hakushu.or.jp/about_hakushu/anthology/suzume.php
《雀のお宿》作詞★北原白秋/作曲:弘田龍太郎/制作:滝野細道/大正9年(1920)
https://www13.big.or.jp/~sparrow/MIDI-suzumenooyado2.html
笹薮 小薮 小薮のなかで ちゆうちゆうぱたぱた 雀の機織(はたおり)
彼方(かなた)でとんとん 此方(こなた)でとんとん
やれやれいそがし 日がかげる ちゆうちゆうぱたぱた ちゆうぱたり
※北原白秋の舌切り雀関連の童謡は、この弘田龍太郎作曲の「雀のお宿」のほか、草川信作曲の「雀のお宿」、弘田龍太郎作曲の「とんからこ」、成田為三作曲の「舌切り雀」などがあります。白秋は 歌集や詩集にも舌切り雀を使っており、歌集★【雀の卵】、詩集【雀の生活】があります。
《雀のお宿》作詞★北原白秋/作曲:草川信/大正11年(1922)「赤い鳥」童謡第六集
http://www.d-score.com/ar/A02041005.html
雀のおやどは山陰に、小藪がこんもりほそながれ、下手に丸木の橋ひとつ。
雀のおやどはもう寒い、誰か來るかと出て見れど、遠くぢやちりぢり渡り鳥。
雀のおやどはわびしいに、ときたま機織る梭の音、野山にとんから響きます。
雀のおやどに日が暮れりや、ちらちら燈もともるけど、夜更けは時雨の音ばかり。
※白秋は大正7年から雑誌『赤い鳥』に関わり、その前後、東京の小岩や小田原に居をかまえ創作活動に励んだ。しかし生活は苦しく、彼は雀というごく身近な生き物を通して自己を見つめるようになっていった。「雀のお宿」は、そんな彼の心理を映し出した作品の一つである。よくまとまった作品で、この歌からかもし出される「懐かしさ」は、多くの日本人にとって「歌の原点」と感じるもの。そういう点でも、白秋や草川ら大正期の童謡作家が果たした功績は大きかったと言えるはずである。
※作曲★山田耕筰と書かれている資料もありました。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~lyricssongs/TEXT/S5088.htm
《すずめのおやど(雀のお宿)》
http://www.worldfolksong.com/songbook/japan/folktale/suzume-oyado.html
すずめ すずめ おやどは どこだ ちっちっち ちっちっち こちらでござる
おじいさん よくおいで ごちそう いたしましょう お茶にお菓子 おみやげ つづら
さよなら 帰りましょう ごきげん よろしゅう 来年の春も またまた まいりましょう
※1947年(昭和22年)発行の音楽教科書「一ねんせいのおんがく」に掲載された子ども向けの歌。歌いだしは「すずめ すずめ おやどはどこだ」。歌詞は、日本のおとぎ話★「舌切り雀」のストーリーをある程度踏まえた内容となっている。『すずめのおやど』には元歌がある。1887年(明治20年)に明治政府が発行した音楽教科書「幼稚園唱歌集」に掲載された『進め進め』がそのオリジナルの曲だ(メロディは同じ)。曲名を比較するだけでもすぐに分かるが、「進め(すすめ)」と「すずめ」で音が似ており、まるで駄洒落・替え歌のような関係になっている。ただ、関係があるのはこの点のみで、他の歌詞については内容的な関連性はまったくない。さらに、元歌の『進め進め』についても元歌がある。同曲は、19世紀前半のアメリカで出版された幼児教育向けの歌『Children, Go, To And Fro(チルドレン・ゴー・トゥー・アンド・フロー)』を日本語にある程度訳した楽曲となっている。当時の明治政府は、音楽の分野でも急ピッチで西洋文明を取り入れるべく、ヨーロッパの民謡・童謡に日本語歌詞をつけて、和洋折衷の音楽教材として活用していた。当時生み出された「和洋折衷の音楽教材」で有名な曲としては、『仰げば尊し』、『蛍の光』、『むすんでひらいて』、『庭の千草』などが今日も歌いつがれている。『進め進め』が掲載された「幼稚園唱歌集」では、『蝶々(ちょうちょ)』、『霞か雲か』、『蜜蜂(ぶんぶんぶん)』などの有名な外国曲が取り入れられた。
《暮らし歳時記》より
http://www.i-nekko.jp/kurashi/2018-031910.html
■昔話の中のすずめ
すずめの昔話で有名なのは「舌切りすずめ」ではないでしょうか。おばあさんに舌を切られて追い出されたすずめを、おじいさんが「すずめ、すずめ、お宿はどこだ」と探しに行きます。絵本などに描かれているお宿は竹藪の中ですが、実際にすずめは繁殖期が終わると巣を離れ、群れとなって竹藪や芦原などをねぐらにします。その後の展開はご存知のとおり。また、「すずめとキツツキ」の話も設定やストーリーにいろいろなバリエーションがあるものの定番の昔話です。昔、すずめとキツツキは姉妹で、ある日、離れて暮らす親が重病という知らせを受けました。すずめは地味な普段着のまま大急ぎで駆け付けましたが、キツツキはきれいな着物の用意を優先し、死に目に会えませんでした。それを見た神様が、親孝行のすずめには米を食べることを許し、キツツキにはきれいな姿をしていても木の中の虫しか食べられないようにしたというお話です。これらの昔話には、人としての教えと、すずめに対する温かいまなざしが感じられますね。小林一茶の「すずめの子 そこのけそこのけ お馬が通る」という句にも、一茶の優しさが感じられます。「すずめの子」は春の季語にもなっています。
■縁起の良い★「ふくらすずめ」
冬のすずめを見ると、まん丸くふくらんでとてもかわいらしい姿をしています。全身の羽根毛に空気を入れてふくらませて、寒さをしのいでいるのです。このふくらんだ姿のすずめを「ふくらすずめ」と呼び、「福良雀」「福来雀」と書いて縁起の良いものとされています。このふくらんだすずめの形を正面にして、羽根を広げた形を図案化したものが、着物や帯の柄に使われてきました。幸福に恵まれることを願って、子どもの着物や成人式、結納などのときの着物に多いようです。また、「ふくらすずめ」という伝統的な帯結びにもなっていて、振り袖などの帯結びとして用いられています。ふっくらとした丸みのあるお太鼓と左右に広がる羽根がかわいらしく豪華ですね。
《スズメの秘密》バードリサーチより
総合研究大学院大学先導科学研究科/特別研究員・加藤貴大
https://db3.bird-research.jp/news/201804-no1/
《七夕と竹》中部電力「特集」そうだったっけ?竹コラムより
https://www.chuden.co.jp/kids/denkipaper/
https://www.chuden.co.jp/kids/denkipaper/2002/583/issue1.html
7月7日は七夕。どうして七夕を「たなばた」とよむんだろうね。たなばたの「たな」は棚=たな、「はた」は機織(はたおり)の機=はたをさしているんだ。日本では、その昔7月7日の夜、神様をおむかえするために、およめに行く前の若い女の人が織った織物を、棚にのせて神様にささげる行事があったんだ。7月7日の夕べの行事であったために、「たなばた」を「七夕」という漢字をあてるようになったんだ。こう読むようになったのは、平安時代かららしいよ。このような日本の古くからある行事と、中国の星の伝説=織り姫とひこ星が年に1回出会うお話がいっしょになって、現在のような行事になっていったと考えられているんだよ。初めは、織り姫のように機織がうまくなるようにと願ったことが、やがて、はり仕事や歌やおどりの上達、結婚、幸せなどを願うように変わっていったんだ。★竹を立てて、短ざくに願いごとを書くようになったのは、江戸時代あたりからだということだよ。
竹やササはイネ科の植物なんだ。だからイネとよくにた花がさくんだよ。東南アジアや中南米などの暑い地方で、よく育つんだ。日本にもとから生えていたのは小さいササの仲間で、モウソウチクやマダケという種類の竹は中国から入ってきたものなんだ。★もともと竹が生えていなかったヨーロッパや北アメリカなどでは、竹は庭園に植えるための植物として人気があるんだ。ヨーロッパに竹が入ってきたのは、19世紀の前半ころからなんだよ。フランスやイギリスには、竹だけを集めた庭園なども作られているんだ。竹の明るい緑色が人気のヒミツらしいよ。
★仙台七夕まつり協賛会/会長・鎌田宏/仙台青年会議所理事長・木皿譲司
https://www.sendaitanabata.com/
地元仙台の夏を彩る祭りとして、8月5日(水)開催予定の「第51回仙台七夕花火祭」と8月6日(木)~8日(土)開催予定の「仙台七夕まつり」につきまして、今年の開催は中止とすることといたしました。その理由としては、4月7日に政府による「緊急事態宣言」が発表されたほか、仙台・宮城においても週末の「外出自粛要請」が継続されるなど、新型コロナウイルスの感染拡大が強く懸念されるとともに今後の見通しも不透明な中で、250万人もの大勢の観客を安全安心な形でお迎えすることは、その準備を含めてとても難しく、やはり何よりも人命及び来場者の安全を優先するべきとの判断から今回の判断に至りました。これまで今年の祭りの開催に向けて様々な準備にあたられてきた関係者の皆様、そして「仙台七夕まつり」と「仙台七夕花火祭」を長年にわたって支えていただいている協賛各社の皆様、さらには今年の祭り開催を心待ちにしていただいている県民市民をはじめとした大勢の皆様方に対しまして、今回のような残念なご報告をしなければならないことを心よりお詫び申し上げます。元来、仙台七夕まつりは「願い」の祭りです。今後、世界中の皆様が一日も早く心穏やかな生活を取り戻せるようご祈念申し上げますとともに、「仙台七夕まつり」と「仙台七夕花火祭」への今後ますますのご支援・ご協力を何卒よろしくお願い申し上げます。
・・・「青森ねぶた」も「仙台七夕」も「秋田竿灯」も。
《日本の身近な景色、北米の邪魔者》文:北川淳子/福井県里山里海湖研究所
https://satoyama.pref.fukui.lg.jp/labo_column/archives/12
日本でも竹はいろいろ問題を起こしていますが、パインマウンテンにも竹がありました。こちらも★侵略的外来種です。いつどういう経緯で入ったのかは知りませんが、パインマウンテンの一角に竹ヤブがありました。なかなかいい風景と思ったのですが、現地の人は、竹は困ったものだ、と。学会の期間中の1時間程度、ボランティアで参加者が竹を刈る作業をしました。すると、内側が枯れ、外側だけが元気というどうしようもない状態だとわかりました。外から見ると広い土地の一角だけなので、日本人的にはいい感じですが、確かに、内側が枯れて、外へ外へ広がるので、迷惑なものなのだと納得しました。それならば、少しなので、日ごろから管理しておけば公園のよいアクセントになるように思うのですが、芝生のように手入れはせず、迷惑なので、とにかく除去したいようです。人海戦術は有効で、竹やぶの半分がなくなりました。
日本には普通に見られる竹林。しかし竹はアジア東部と南部、それにアフリカと南アメリカに多く見られるが、★ヨ-ロッパ, アジア北部、北アメリカ、オセアニアには少ないようです。特にヨーロッパでは殆ど見られないようです。竹は温暖で湿潤な気候でないと育ちません。種類にもよりますが日本では東北地方がほぼ北限のようです。寿命は20年足らずですが地下茎があり、枯れても次々と生えてきて、2ヶ月から3ヶ月で成体になるので竹林は維持されます。120年に一回、一斉に花が咲きその竹林は枯れて無くなりますが、地下茎が残っているので数年で再生します。一日に70cmも伸び、生命力が強いので昔は霊力があると思われていました。★木か草かとか?笹と竹の区分とか定説がなく諸説あるそうです。
・・・コロナ対策にも諸説あって、こまったものです。夏頃までガマンが続きそうですが、だからこそ「ステイホーム」というより★「ステイタス(自分なりの)ホーム」で生活を創造していきましょう。