ビオンボ | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・一休さんの虎退治について「屏風」より「衝立」の方がなどと書きましたが、「屏風」(風をふせぐ)について、さらに興味深い資料を発見しました。

 

★「BIOMBO/屏風 日本の美」展/開館記念特別展:サントリー美術館

2007年9月1日(土)~10月21日(日)

https://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2007_03/

BIOMBOとは、「ビオンボ」と発音し、ポルトガル語やスペイン語で「屏風」を意味します。日本の屏風が近世初期の南蛮貿易で★輸出の品として盛んに海を渡り、西欧にもたらされたことを示している言葉です。開館記念特別展と題した本展では、屏風の変遷をたどるとともに《屏風の成立と展開》《儀礼の屏風》《BIOMBOの時代 屏風にみる南蛮交流》《近世屏風の百花繚乱》《異国に贈られた屏風》《海を越えた襖絵と屏風絵》という多角的なアプローチで屏風の魅力に迫り、貴重な名品をご覧いただきます。屏風がたどった歴史や、★もとめられてきた機能、とくに文化交流の側面で屏風が果たした役割に光をあてつつ、グローバルな視野から屏風の再検証を試みる展覧会です。今回は、江戸幕府がオランダに贈った屏風10件が、初めて日本に里帰りするほか、現在海外の美術館に分蔵されているかつては一連の作品であった屏風の名品などを一堂に展示します。

https://www.osaka-art-museum.jp/sp_evt/past_19_biombo_index

 

 

※海を越えた襖絵と屏風絵

https://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2007_03/display.html

屏風の中には元は★「襖絵」であった作品も少なくありません。例えばサントリー美術館所蔵★「祇園祭礼図屏風」もそのひとつです。また一双であった屏風が、諸般の事情によって★離れ離れになった例は数多くあります。今回は海を越えて分蔵される諸作品の里帰りを実現させ、一室を飾っていたとされる壮大で華麗な大画面の復元を試みます。

https://www.suntory.co.jp/sma/collection/data/detail?id=641

祇園祭礼の山鉾巡行のにぎわいを描いたものである。各所に「引手跡」があることから、元は襖絵であったらしく、《祇園祭礼図屛風》はその襖三面分に当たる。ドイツ★ケルン東洋美術館にも、元襖絵(二面分)を二曲一隻に仕立て直した《祇園祭礼図屛風》が所蔵されており、その画面左端が、サントリー美術館の屛風の右端にそのままつながることが指摘されている。またアメリカ★メトロポリタン美術館にも、同じような筆致で人物や景観を描く二曲一隻の《社頭図屛風》が所蔵されているが、向かって左扇の右端は、サントリー美術館の屛風の左端につながる。したがって屛風でいえば、九扇分にわたって山鉾巡行の様子を描くが、長刀鉾が屛風改装時に描き換えられたものであることも指摘されており、今は失われた襖の画面に行列の前半が描かれていた可能性が高い。またメトロポリタン美術館の右扇の鳥居の図の左端は、★クリーヴランド美術館所蔵の《賀茂競馬図屛風》六曲一双の右隻右端につながることが判明しており、画風がきわめて近いということからも、これらの祭礼図が同一の工房の手になる一連の作品であったと推定される。したがって本来は襖何面にも及ぶ長大な画面を構成していたと思われるが、しかし、どのような建物の襖絵であったかについては今もなお、確証が得られず★謎のままである。

・・・なんと散り散りに、よほど大きなお屋敷かお城にあった「襖絵」がわけあって流出したのでしょう。その事情とは、日本の歴史そのものではないかと思うのです。さらに、

 

★「ふろしき文化のポスト・モダン―日本・韓国の文物から未来を読む」/著:李御寧/中央公論社1989

一般的に屏風はその名称どおり、風を防ぐ調度と認識されてきた。菅原道真★「屈曲初知用施来不畏風」(屈曲して初めて用を知り、もちいれば風を畏れず)の詩にも現われているように、屏風を用いることを知れば、風なんか怖くないのだ。日本の屏風の裏側に描かれている雀も、風を食う伝説の鳥から由来したものといわれている。しかしほんとうに屏風が風ふさぎだけの道具であったとすれば、とっくの昔に消えたはずである。それよりももっと機能的で安い風ふさぎはいくらでもあったからだ。屏風の名称を文字どおり読むと、その本質をつかまえることは難しい。風を防ぐというのは、壁の一種の提喩であるからだ。韓国では普通、壁をパラム・ビョク(風壁)ともいうから、屏風と壁は同姓のものと見られる。★「風ふせぐ外に役あり金屏風」(明和)の句に見えるように、屏風は実用的、儀礼的、装飾的の各レベルで多機能的に用いられるのが特色であるが、それはみな壁の機能に還元されるものである。〈防ぐ〉〈もたれる〉〈遮る〉〈囲う〉〈仕切る〉〈飾る〉-壁にかかわる触媒語は、そのまま屏風にも使うことができる。すなわち、屏風とは壁の記号なのだ。その構造を屈折させ、自由に変換したものである。だから屏風の機能と特色は、壁を建物から切り離したところにある。つまり壁のもっている不変不動の概念を可変可動なものにし、それに独立した自由を与えたということである。★欧米人が個人の自由のために壁を厚くし細分化していったときに、東洋三国の人たちは、壁を自由にするために、それを軽く薄くした。そして壁が人間を拘束するのではなく、★人間が壁を自由にコントロールする。それを実現したのが、他ならないあの屏風であったのだ。それによって、硬い壁は★軟らかい風呂敷に変換して、人間を包むことが可能になったのだ。

 

★『菅家文草』の速詠詩/文:丹羽博之/大手前大学人文科学部論集2003より

姻 屏風

屈曲初知用 施来不畏風 質宜羅帳裏 功見玉鑓中 人馬無来去 煙霞不始終 丹青知有功 開合又西東

 

 

★「白絵(しろえ)-祈りと寿(ことほ)ぎのかたち」於:神奈川県立歴史博物館

2014年10月11日(土)~11月16日(日)

http://ch.kanagawa-museum.jp/exhibition/450

https://www.museum.or.jp/modules/topics/?action=view&id=554

《白絵屏風》筆:伝原在中/蔵:京都府立総合資料館(京都文化博物館管理)

〈白〉に込められた人々の想い出産、成長、婚礼…。人生の節目において、日本では白地に白で文様を描く「白絵」の表現が用いられてきました。これまでの美術史ではあまり顧みられなかった白絵を中心とした企画展です。現在でも出産は母子にとって大変な営みですが、中世においてはなおさら。そのためもあり、出産の場では祈祷やまじないが数多く行われました。平安時代に皇后や中宮が出産する際には、産所の空間を白で統一。清浄さを保つとともに、魔を除く想いも込められています。以後も〈白〉は、人々の営みや信仰とも結びつきながら、人生のさまざまなシーンで用いられてきました。展覧会メインビジュアルの「白絵屏風」は、江戸時代後期の作例です。平安時代の産所で用いられた白い綾絹貼りの「白綾屏風」が、南北朝時代以降に白地に白い絵を描いた「白絵屏風」に変化したものです。本品は六曲一双に鶴と亀、松や竹を描いた吉祥の絵柄。現在は地の紙が薄茶色に変色したため図柄が見やすくなっていますが、当初は真っ白い下地に描かれた、まさに「白絵」でした。白綾屏風も白絵屏風も、出産時に使った後は棄却されるのが常。そのため現存例は殆ど無く、わずかに白絵屏風が2点伝わるのみです。うち1点は状態に難があるため、鑑賞できるものは★ほぼ本品のみとなります。

http://ch.kanagawa-museum.jp/tenji/kako/toku/shiroe/index.html

※「明治150年記念 華ひらく皇室文化―明治宮廷を彩る技と美―」 展/於:京都文化博物館2018

http://www.bunpaku.or.jp/exhi_special_post/hanahirakukoushitsubunkaten/

https://ourage.jp/column/odekake_joshigumi/154976/

京都御所での孝明天皇の出産に用いられたと伝えられる「白絵松鶴図屏風」は、水辺に松、竹、鶴、亀を胡粉や雲母を用い白一色で描かれた白絵屏風です。天皇家をはじめ、公家や上流武家では、産所にこの屏風を立て、出産に魔を寄せ付けないことを願ったのだそう。本来、お産が終わると処分されたため、現存する貴重な品なのです。さらに同じく白絵を施された白木の曲げ物の「御胞衣桶(おんえなおけ)」は、後産で体外に排出される胎盤や胎児を包んでいた膜などを納める桶。その後、地中に埋められたそう。このような宮中の出産に関する史料は、ほかでは見られないもの。

 

・・・産母を取り囲むように屏風が用いられ、生まれてきた子どもがやがて成長し七五三のお祝いの席ではまた別の屏風が、成人し結婚式でもまた屏風の前で。更に齢を重ね還暦の宴の席や長寿を祝う席でも。そして死をむかえ「湯灌の儀」を行う際にも屏風を(ただしこの場合は逆さ屏風)。人生を〈仕切る〉のが「屏風」人生を〈飾る〉のもまた「屏風」おめでたい席をおめでたい図柄の屏風で演出。

 

 

★京都・豊国神社の重要文化財「豊国祭礼図屏風」の高精細複製を制作/大日本印刷株式会社2018

https://www.dnp.co.jp/news/detail/1190057_1587.html

豊国神社が所蔵する重要文化財「豊国祭礼図屏風」(縦1,670×横3,525mm/隻)は、秀吉のお抱え絵師・狩野内膳(1570-1616)が描いた六曲一双屏風で、秀吉の七回忌に当たる慶長9(1604)年8月に盛大に挙行された「豊国大明神臨時祭礼」の模様を描いたものです。賀茂祭や祇園祭のように毎年行われる祭りではなく、一度限りの臨時祭礼を題材としており、“桃山の熱気を伝える傑作”、“近世風俗画の先駆をなす優品の一つ”と言われています。また、屏風制作の動機や時期、筆者が判明しているため、記録資料としても非常に貴重な作品です。

 

★「祇園祭礼図屏風」蔵:京都国立博物館

https://www.kyohaku.go.jp/jp/dictio/kaiga/gion.html

祇園祭礼図屏風は、17世紀の前半、よく「寛永時代」と呼ばれるころに制作されたものです。後水尾天皇と徳川和子の結婚のあったころ、美術では本阿弥光悦や俵屋宗達らが活躍していた時代にあたります。とても大事にされたとみえて、いま描いたのではと思われるほど美しく、屏風に惜しむことなく貼られた金箔も光り輝いており、制作当初の状態を私たちの眼の前に示しています。私たちの先祖は、自分たちのお祭に対する誇りを、屏風絵という芸術のかたちにしてのこしてくれました。「その意気や良し」と思わずにいられません。町衆たちの金銭的なゆたかさだけではなく、心のゆたかさをも感じることができるでしょう。

 

 

榊原悟】(1948~)

愛知県西尾市生まれ。1972年早稲田大学美術史学科卒、1979年同大学院博士課程単位取得満期退学。サントリー美術館主席学芸員を経て、群馬県立女子大文学部教授。2003年「贈呈屏風の研究」で早大文学博士。同年『美の架け橋』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。群馬県立女子大学名誉教授。岡崎市美術博物館・おかざき世界子ども美術博物館館長。近世日本美術専攻、★屏風絵が専門。

 

 

《おまけ》 古今亭志ん生の噺「風呂敷」

https://rakugonobutai.web.fc2.com/47furosiki/furosiki.html

兄ぃの家に、仲間のおかみさんが息せき切ってやって来た。亭主は帰りが遅いから先に寝ていろと言うので、湯に行ってお茶を飲んでいるところに、新さんが「兄貴は居るかぃ」と顔を出した。茶飲み話をしていたら外は雨になって、戸を閉めて話をしていたら、亭主がへべれけになって帰ってきた。

亭主はヤキモチ焼で乱暴で新さんを見たらどうなるか分からない。「不倫と勘違いされて殺されかねない」と恐れるあまり、とっさに新さんを押し入れに隠し、お酒を買ってくるからと言って出てきた。「だから助けてよ」、「分かったよ。ハエが手を擦るようなことすんなよ。新公は押し入れに入っていて、亭主はその前にあぐらをかいている。どうすれば良いんだよ。女は三階に家なしと言って3階から降りてくるのは大変だから3階は作らない。また★貞女は屏風にまみえず、と言って貞女の向に屏風があると先が見えない。おでんに靴を履かず、じかに冠を被らずと言って、直に被るとイタイ。亭主が寝なかったら一生涯新公は押し入れの中だぞ」、「早く助けて下さいな」、「先に帰っていろ。直ぐに行くから」。

奥様に押し入れから麻の風呂敷を出すように言ったがなかなか出ない。「早く出せというと遅くなるんだから。ハヤクだ。あ、お前は風呂敷を広げて出すやつがあるか。これでは旗だ」、「自分でたたんで持って行きな。何処に行くの」、「何処でも良いだろ」、「出掛けると、どっかに引っかかって、『上げ潮のゴミ』」、「ゴミの気持ちも分からないで・・・。ゴミだって、真っ直ぐ流れようと思ってんだ」、「女房だから聞くんだ」、「お前なんかシャツの三つ目のボタンだ。有っても無くても良いんだ」。

風呂敷を持ってやって来た。酔った男が言うには「帰りが遅くなるので、心配するといけないからと、先に寝なと言ったが、帰ってみると仇に有ったような顔をして、『どうして早く帰ったの』と言うんだ。時間を潰して停車場で寝ているわけにもいかない。『帰りが早いから、もう寝なさい』とはどういうことなんだ。帰りが遅いから寝なさいなら分かる。『お寝よ』と言うが、一緒になって半年ぐらいなら分かるが、化けるほど夫婦になって・・・、それも伊達巻きを胸高に結んで、鬢のほつれ毛を掻き上げて、白い肌で横座りで『寝ましょうよ』と言うなら分かるが、ゴキブリの背中のような色をして、なんで亭主を脅かす。ところでお前はどうしたんだ」。

「俺は町内でゴタゴタがあって、チョット行ってきた」、「どんなゴタゴタだ」、「いいよ」、「聞かせろよ」、「今、友達の家(うち)に行ったらな、おかしな話があったんだよ。そこのカミさんが留守番をしていると、そこへ、幼なじみが遊びに来た。茶飲み話をしていると雨が降ってきたので戸を閉めたら、そこに乱暴者の亭主が不意に帰ってきたと思え。そのカカアがあわ食って、押し入れに男を隠しちまった。すると、亭主が酔っぱらって、その前で寝ちまった」、「そりゃ、困ったろうな」、「そこで、俺がカミさんに頼まれて、そいつを逃がしてやったんだ」。「どうやって逃がした」、「やだな、言いたくないな」、「教えろよ」、「お前みたいに酔っていたんだ。この押し入れだなと思ったから、亭主の頭から風呂敷を被せた」と、同じように酔っ払いの亭主に風呂敷を被せ「見えないな」と念を押して、「もうチョットこっちに来な」と言いながら、後ろの押し入れを開けた。そこには男が居て、「出な!」と声を掛けると、恐る恐る男が出てきて「忘れ物すんじゃないよ!」と声を掛けた。「下駄を間違えるなよ!」と言うと、頭を下げながら出て行った。「それで風呂敷を取ったと言うことだ」、酔っ払いの亭主から風呂敷を取った。亭主感心して、

「そうか。そいつは上手く逃がしたな」。

■貞女は屏風にまみえず;「貞女(ていじょ)は両夫に見(まみ)えず」。貞節な女性は、亡夫に操を立てて、再び別の夫をもつことをしない。貞女は二夫(じふ・にふ)に見えず。貞女は二夫を更(か)えず。

 

・・・落語を味わうためにも、日本の伝統文化を理解しておかないとダメですね。