竹 | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・たけのこ(筍)が旬です。最近行けてませんが「すくらんぶるアートヴィレッジ(SAV)」は、筍だらけです。

 

《タケノコ(竹の子、筍、笋、bamboo shoot)》

イネ科タケ亜科タケ類(一部はダイミョウチクやチシマザサなどのササ類を含む)の若芽。日本や中国などの温帯から亜熱帯に産するものは食材として利用されている。広義には、竹の皮(稈鞘)が稈に付着していて離脱するまでのものであれば地上に現れてから時間が経過して大きく伸びていてもタケノコといえるが、一般には食用とする地上に稈が出現する前後のもののみをさす。★夏の季語。

たけのこや推き時の繪のすさび/芭蕉「猿蓑」

うきふしや竹の子となる人の果/芭蕉「嵯峨日記」

 

 

《参考》「七夕の豆知識」より

http://www.popalpha.co.jp/blog/post/hiragay/tanabata

「竹」も「笹」も植物学上は同じ分類で、イネ目イネ科タケ亜科に属する植物となります。「竹」と「笹」ともに、地中に埋もれる茎を持ち、この茎で生殖繁殖を行います。また、成長すると茎が木質化して、組織が堅くなる★木の特徴を持っていますが、一度太さが成長しきると、そこから成長はしないという★草の特徴も持っており、「草」なのか「木」なのか植物学的な定義でも、★いまだに明瞭になっておりません。では、植物学的に「竹」と「笹」をどう区別しているのでしょうか?それは、「成長するとたけのこの★皮が落ちるのが竹、残って茎を包むのが笹」という違いだそうです。

 

・・・わからないことって多いんですよね。さて、茶室には「竹」がつきものですが、

 

 

《竹茶杓(銘:泪)》作:千利休/蔵★徳川美術館

https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/96849

天正19年(1591)2月、豊臣秀吉に切腹を命ぜられた千利休が、自からこの茶杓を削り、最後の茶会に用い、古田織部に与えた。その後、古田織部はこの茶杓用に、長方形の窓をあけた筒をつくり、その窓を通してこの茶杓を位牌代わりに拝んだと伝えられる。筒は総黒漆塗で、これを垂直に立てると、いかにも位牌らしくみえる。茶杓は白竹で樋が深く通り、有腰で、利休の茶杓の中でもとくに薄作りに出来ている。千利休-古田織部-徳川家康(駿府御分物)-初代義直と伝来した。『玩貨名物記』所載。(文化遺産オンラインより)

※追記

http://www.eiseibunko.com/index.html

天正十九年(1591)二月、豊臣秀吉に切腹を命ぜられた千利休は、自から茶杓を★二本削り、細川三斎と古田織部に与えたそうです。三斎のもとへ行ったものは「いのち(命)」と名づけられました。命は、「ゆがみ」という名のほうが有名になっています。これは三斎が、節下が少し左に曲がっているこの茶杓を「ゆがみ」と改めて命名したからだそうで、この茶杓が紹介されるときは銘「ゆがみ(命)」と記載されることがほとんどです。もともと三斎が持っていた茶杓を利休が気に入って持って行ってしまい、代わりに「すまなかったネ」と命の茶杓を渡したという記録もあったりします。三斎の手に渡った命は、親戚筋の平野遠江守長泰の手に渡ります。なぜ三斎が長泰に譲ったのかはよくわかっていないようですが、譲ったときに命に添えられ添え状が残っており、そこに「これはゆがみという名だ」「涙がこぼれる」「約束だからくれてやる」という旨が書かれています。そのあと、細川家6代目のときに平野家から返納され戻ってきます。戻ってきた命はそれから細川家で大切に保管され、今は★永青文庫蔵。一説には命は焼失したとされる説もあるとかないとか。

 

 

《竹花入(たけはないれ)》茶道入門より

http://verdure.tyanoyu.net/hanaire_take.html

竹を切って作られた花入で、天正18年(1590)千利休が秀吉の小田原攻に従った折、箱根湯本で伊豆韮山の竹を取り寄せて作ったものを始めとするのが通説となっています。このとき利休が切ったのが、一重切「園城寺」(東京国立博物館蔵)、「音曲」(★石水博物館蔵)、逆竹寸切「尺八」(裏千家今日庵蔵)、その他に二重切「夜長」(★藤田美術館蔵)も作ったとされ、「尺八」は秀吉に献上し、「音曲」は織部に送り、「園城寺」を少庵への土産にし、「よなが」は自ら使用したらしく『利休百会記』天正19年1月の会に「よなが」の名がみえます。会記にも『天王寺屋会記』天正18年(1590)7月9日の桑山修理の朝会に「床ニ竹ノ切カケ」が初見されて以降、竹花入が頻繁に現れるようになります。

 

 

《参考》

■「石水博物館」

http://www.sekisui-museum.or.jp/

川喜田久太夫(号:半泥子)が昭和5年に地域文化の振興と社会福祉活動の拠点として設立した財団法人石水会館を母体としています。平成22年に法人名を公益財団法人石水博物館に変更するとともに、半泥子ゆかりの千歳山(津市垂水)に新しい展示施設を新築し、平成23年5月、移転開館いたしました。

 

 

■「藤田美術館」

http://fujita-museum.or.jp/

藤田傳三郎が死の直前、大枚をはたいて手に入れたのが「交趾大亀香合」(こうち・おおがめ・こうごう)と、利休が秀吉の小田原攻めで同行した際に作った3つの竹花入れのうちの一つ、★「銘 よなが」。藤田美術館は2022年4月にリニューアルオープンします。

2017年3月15日、藤田美術館は所蔵する中国美術の名品32点をニューヨークでのオークション・クリスティーズに出品しました。落札予想額は50億円とも言われる中で、蓋を開けてみると、落札総額2億6千280万ドル(約300億円)の高値を記録し、世界のアート業界に衝撃を与えました。先祖から受け継いだ名品を売却するというのは相当な覚悟だったと思いますが、今回の資金調達の成功を受け、藤田美術館は長年の課題だった老朽化した施設を建て替えるという投資に踏み切りました。

 

・・・リニューアル・オープンが待ち遠しいなあ。