言葉の力 | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・ユヴァル・ノア・ハラリさんの緊急対談を拝聴し、以下の部分が一番納得でした。

 

《オープンで迅速な情報公開と、それにもとづく相互の信頼によって、国家による監視と統制に対抗していくこと。それがアフターコロナの世界で「戦争に反対する」ということになるのかもしれない。すでに、この状況を「第三次世界大戦」になぞらえる人も出てきている。けれど、僕は、★感染症との戦いは「戦争」ではないと考える。最前線の現場で働いている医療関係者たちの頑張りには誠心誠意の感謝と応援の気持ちを持っているけれど、★それは「奮闘(=fight)」であって、国が争う「戦争(=war)」ではない。僕はそんなふうに考えている。我々にとって最大の敵はウイルスではない。★敵は心の中にある悪魔です。憎しみ、強欲さ、無知。この悪魔に心を乗っ取られると、人々は互いを憎み合い、感染をめぐって外国人や少数者を非難し始める。》

 

・・・「心の中の悪魔」は、平気で相手を傷つける言葉をはきます。ついつい興奮して不適切な表現をしてしまう(クチは災い)ことがママあります。とても後悔します。文字・文章は、読み直して吟味できますから、注意しながらできるだけ書き直すようにしています。ブログは気楽ですが、何をどのように書いてもいいということではありません。互いに注意し、本当に楽しく意義のあるブログにしていければと願っています。

 

 

《NEWS》2020.4.26スポーツ報知より

■KENTA★「言葉の力」で新型コロナと激闘も「別に届く人に届けばいいと思ってやっているだけだよ」…単独インタビュー全文(1)

拡大する新型コロナウイルスの脅威と「言葉力」で戦い続けているプロレスラーがいる。新日本プロレス参戦中のKENTA(39)は自宅のある米フロリダ州オーランドからSNSを駆使して、注意喚起のつぶやきを続けざまに発信。外出自粛要請の中、出歩く若者を「バカか!さっさと家に帰るんだ」と★一喝する一方で「自覚ある行動を!生きてこそだぞ」と熱い言葉を投げかけ続けている。ファンからも「言動がヒールじゃない。ヒーローだよ」という絶賛の声が集まっている米WWE帰りのスターが、このほど「スポーツ報知」の国際電話での単独インタビューに本音で答えた。

-新型コロナとの戦いの中、心に刺さる言葉の数々が評判になっている-

「アメリカではニューヨークとかが大変な状態になっていて、こちらでは今の日本の状態を『数週間前のニューヨークを見ているようだ』と言う人もいる。早い段階でなんとか、手遅れにならないうちにみんなが(危険性に)気づいて(感染を)食い止めて欲しいなという思いからだよね」

-WWE入りした2014年からオーランドに住んでいることで危険性に敏感になる点が?

「実際はオーランドは、というか俺が住んでいる辺りはニューヨークほど緊迫はしていないんだけど、フロリダ州でも南のマイアミとか中心に感染者が増えているよね。ソーシャル・ディスタンスはこちらもみんなとっているし、普段はマスクをしないようなアメリカ人でもしている。手袋も。普段、のんきなアメリカ人ですら、一応みんな意識しているよ」

-日本には「バカか!さっさと家に帰るんだ」と一喝しても外出してしまうファンがまだいる-

「意識がどうしても浅い部分があると思う。日本の人は。日本は平和だからかね。素晴らしい国だよ。日本はキレイだし、普段から手も洗う文化だしね。ハグとかもしないし。ただ、人と人が密集する事が多いでしょ?それが一番心配だよ。アメリカはソーシャル・ディスタンス取るのはそんなに難しくないもんね。ただ、ニューヨークは公共交通機関が発達しているから人との距離がどうしても近くなるよ。この辺じゃ犬の散歩に行っても、人と近くになることもないもんね。やっぱり個人的には人との距離が一番問題なんじゃないかと思っているから」

-そんな危険性を指摘して、短い言葉で共感を呼ぶ自身の言葉をどう見ている-

「全然、意識してないよ、そんなの。俺はここ数年はずっとアメリカでやっていて、最近、日本に戻ってきたから、日本でも知らない人の方が多いからね。別に届く人に届けばいいと思ってやっているだけだよ」

-自分の言葉を磨く努力はしてきたのでは?

「ないね。自分では全く意識してない」

-マイクパフォーマンスなど「言葉の力」で人気となるレスラーもいる-

「確かに昔からプロレスが好きな人やファンには自分の憧れのプロレスラーが言う言葉というのは少なからず、時として何かしらの力になったりするとは思うから、(自分の言葉も)何かになればいいとは思うけど、それは受け取る側の解釈だから」

-自分自身が影響を受けたレスラーの言葉は?

「言葉ではないけど、小橋(健太)さんの影響というのは大きいよね。そこからプロレスに入って、小橋さんの付き人をさせてもらってたしね」

-そんな小橋さんの言葉で突き刺さったものは?

「ご存じのように小橋さんは言葉でどうこうよりも試合で見せるという感じだから。間近で見ながら試合に対する姿勢なんかを学んだ感じかな。試合後のコメントなんかは小橋さんは基本的には活字にすると、ほぼほぼ同じことしか言ってないと思うよ(笑)。★それが逆に人の心に刺さるんだから不思議なものだよ。でもあれは、小橋さんにしか出来ない事。だから、俺は小橋さんとは違うやり方で、という考え方にはなったと思う。それは言葉でも人の興味を引くっていうね」

-では、言葉への意識は20年以上前からあった?

「そうなのかもね。それプラスWWEに行って、カメラに向かって話す。1人で話すというのに慣れたのも良かったとは思う」

 

 

■KENTA、「言葉の力」で新型コロナと戦うファンを応援「乗り切って、また会場に来て、ブーイングして来い」…単独インタビュー全文(2)

―新日のリングにあがってからは内藤哲也選手との“舌戦”など「言葉力」を全開に―
「新日本に上がってからのことは話したくないな。それは見ている人が決めればいい」
―そこで新型コロナによる大会中止が襲ってきた―
「これはある意味、仕方ないことだと思うよ、今は。そりゃ、俺たちだって試合したいし、ファンも早く見たいだろうけどね」
―それでも、ファンに安全第一を訴えている―
「お互い安心して楽しめる状態になるのが一番良いに決まっているんだから」
―レスラーとしてリングに上がれない今、どう体調を維持している?
「まぁ、でも俺は、WWEの時もこんな感じだったよ(笑)。月に1回とか2回しか試合しない事なんてよくあった。だから、無駄に慣れている。それにWWEを辞めてからG1に行くまでに半年、試合してなかったからね。それに比べれば特に不安はないよ。ただ、ジムとかも全部、クローズしちゃってるから、自宅でできることをやるしかなくて、そういう面では不便だね。でも、こういう機会だからヨガをやってみたりしてるよ」
―この逆境を生かしてしまおうという狙い?
「そんな大袈裟なものでもないけど、体の柔軟性とかにフォーカスを置いてみようって感じで。こういう機会だから、筋トレだけでなく、いろいろ見つめ直すいい機会かなって」
―自身が自分を見つめ直しながらの言葉だからこそ「優しさ」がファンに響く?
「だから!!響く響かないは受け取る側の問題だから意識してないって言ってるだろ!(笑)。そもそも本来、そんなにSNSとかに向いてない人間なんだから。この仕事をやってなかったら、やってないよ」
―世間では「プロレス界一のSNSの使い手」という評価もある―
「全く余計なイメージだよ!」
―それは意外―
「この仕事しているから、見る人がいるんだろうから、やっている間は続けると思うけど、特別、なんの意識もこだわりもないな。★ツイッターにくだらん事を呟いているアホなオッサンたちみたいにはなりたくない」
―著名人がコロナ感染との戦い方を提言することに意味があるという見方も―
「もちろん、それはあるだろうね。何かを言って、そういう(前向きな)風に受け取ってもらえるなら、言った甲斐があるじゃない」
―「ヒールじゃない。ヒーローだ」というファンの言葉はどう思う?
「今、ヒールがどうとかベビーフェイスがどうとか言ってる場合じゃない。(感染の)状況が状況だし。それにプロレスファンほどいい加減な生き物はないよ(笑)。今、『応援してます』って言ってくれるヤツらだって、こないだ(1・5東京)まで俺に帰れ!って言っていた人でしょ(笑)でも、★それがプロレスのいいとこだよ。ガンガン手のひら返すから。プロレスファンは手首が柔らかくないとね(笑)。まぁ、でも、そんなヤツらだとは言え、今、こういう状況だからね。みんな、安全第一で。ブーイング一つだって、一人いなくなったら寂しくなるわけだし…」
―ブーイング上等だけど、「元気ではいろよ!」ってこと?
「そう。だから、結局、俺が何を言いたいかって言うと…。本当にしっかり、これ(感染拡大)を乗り切って、★誰1人欠ける事なく、また会場に来て、ブーイングして来いって事!」

 

 

【KENTA(ケンタ)】本名・小林健太。1981年3月12日、埼玉・草加市生まれ。39歳。東京・修徳高時代にプロレスラーを目指す。99年、全日本プロレス初の一般公募オーディションに合格。00年、デビューも同年、三沢光晴氏らが旗揚げしたノアに移籍。丸藤正道とのライバル関係などで人気を呼ぶ。14年、米WWEと契約。ヒデオ・イタミのリングネームで活躍後の19年6月、盟友関係にあった柴田勝頼とともに新日のリングに登場。同年のG1クライマックスに参戦。8月、ヒールユニット・バレットクラブ入りを表明。同月の英国大会で石井智宏を下し、NEVER無差別級王座を奪取も今年1月5日の東京ドーム大会で後藤洋央紀に敗れ陥落した。174センチ、85キロ。

 

・・・「言葉の力」とは「受け取る側の問題」だからこそ、「ガンガン手のひら返す」ことも受け止めつつ「誰1人欠ける事なく、また会場に来て、ブーイングして来い」、わかりやすい表現で、心が柔らかい・温かい・気持ちいい。

 

 

《参考》2020.4.21朝日新聞より

濃厚接触で何を連想する?哲学者が考えるコロナの言葉

「濃厚接触」「オーバーシュート」「ロックダウン」……。★耳慣れない言葉が、新型コロナウイルス危機に飛び交っている。新しく登場したカタカナ語は翻訳すべきか。それともカタカナ語のままで理解すべきか。ウィトゲンシュタインの哲学を手がかりに、言語や行為の問題を探究している哲学者・倫理学者で東京大学准教授★古田徹也さんに寄稿してもらった。「濃厚接触」と聞いて、何を思い浮かべるだろうか。たとえば「屋形船で濃厚接触」と聞いて。ふざけているわけではない。この言葉が容易にセクシャルな交わりや、キスやハグといったスキンシップを連想させることを確認したいだけだ。他方で、いまの新型コロナウイルスの流行にまつわる文脈では、実際に体が触れ合うことだけでなく、近距離で一定時間会話を交わすことすら、「濃厚接触」と言われている。この文脈における「濃厚接触」は、英語ではclose contactにあたる疫学上の専門用語であり、日常的な用法とはかけ離れたものだ。そしてこの★乖離(かいり)は、実際に害悪をもたらしてきた。「濃厚接触」という言葉と、食卓を囲んだりおしゃべりをしたりといった営みは結びつかない。それゆえ、全く危険と思わずにそうした営みを続けた人々が、少なくとも当初は多くいたことだろう。では、「濃厚接触」ではなく「クロースコンタクト」などと言えばよかったのか。しかし、そうした★カタカナ語の使用には別の問題もある。そもそも意味が分からないという問題だ。たとえば、実際にいま「オーバーシュート」という言葉が世間に躍っているが、これはもともと工学や疫学など多様な分野でそれぞれ特定の意味合いをもってきた言葉であり、一般には耳慣れないものだ。それを無視して、感染者数が指数関数的に増加することを殊更に「オーバーシュート」と呼ぶとすれば、その必要はどこにあるのだろう。「感染爆発」と言えばよいだけの話だ。しかしながら、すべてのカタカナ語をいわば機械的に日本語に置き換えれば済む、という話でもない。それこそ「濃厚接触」のように、かえって悪影響を生む場合もあるからだ。「ロックダウン」を「都市封鎖」に置き換えるのも同様である。「封鎖」という言葉で私たちがイメージする状況とは異なり、「ロックダウン」は広く住民の外出や都市の機能への制限をさす言葉であり、国や地域によって実施の形態はさまざまだ。したがって、★個々の国や地域が「ロックダウン」の名の下に具体的に何をしているのかを追い、その全体を見渡さなければ、この言葉の意味も見えてこない。肝心なのは、★私たちはいま新しい状況に直面しているということだ。それゆえ、★言葉を工夫し、ときに新しい言葉を学ぶ必要も出てくる。普段でも、たとえば小さな子どもは、言葉を学ぶとともに世界のあり方を学んでいく。「ビー玉」という言葉を教わりながら、ビー玉という存在を知り、「せつない」という言葉を学ぶことにおいて、この感情を学ぶ。そして、私たち大人も、新しい状況に臨む際には、★新しい言葉なしには済まない場合がある。「ロックダウン」はそのひとつかもしれない。★耳慣れない言葉をなじみの言葉に安易に置き換えるのはやめよう。それは誤った理解や行動へとつながりかねない。かといって、★賢(さか)しらに目新しい言葉を振り回すのもやめよう。それは人をけむに巻いているだけだ。とにかく、★状況をよく知ることを試みよう。そして、★どのような言葉がその状況にしっくりくるかを吟味していこう。その際には、新しい状況を比較的よく知る専門家の助けが要るが、★彼らにお任せにはできない。そもそも、「オーバーシュート」も「濃厚接触」も、あるいはsocial distanceの訳語としての「社会的距離」も、専門家による使用に由来し、伝播(でんぱ)した言葉だ。どの分野でも専門家はカタカナ語を多用しがちだし、また、★よく吟味されていない粗雑な訳語を平気で採用しがちだ。専門家自身は原語を前提に訳語を見ているから問題を感じにくい。しかし、「濃厚接触」も、それから「社会的距離」も、かなりミスリーディングである。たとえば後者は、貧富の差や差別といったものを連想させる。英文学者の木原善彦・大阪大学教授がSNS上で指摘しているように、これは「人との距離」「対人距離」などと訳し直すのが適当だろう。(ちなみに、海外ではいま、social distanceという言葉自体を★physical distanceという別の言葉に言い換える動きも出ている。以下の記事を参照されたい。瀬川茂子「ソーシャルディスタンシング 重要なのは「物理的距離」〈朝日新聞デジタル、4月19日〉https://www.asahi.com/articles/ASN4K64JVN47PLBJ001.html

いずれにせよ、生活のなかで実際に状況と言葉を理解し、その言葉を生活のなかで使うのは、私たち自身の仕事だ。★それは面倒だが、しかし必要な作業だ。新しい状況に対処し、★社会をかえるための最も重要な条件は、ほかでもない私たち自身がわかり、かわることだからである。

 

 

【古田徹也】1979年生まれ。東京大学、同大学院に学び、新潟大学准教授、専修大学准教授を経て現職。言葉や行為などの主題について、主にウィトゲンシュタインの哲学を手がかりに探究している。著書に昨年サントリー学芸賞を受賞した『言葉の魂の哲学』『不道徳的倫理学講義』『ウィトゲンシュタイン 論理哲学論考』など。

 

・・・新しい言葉とりわけ馴染みのない「カタカナ語」について、なるほどと納得できました。「それは面倒だが、しかし必要な作業だ。新しい状況に対処し、社会をかえるための最も重要な条件は、ほかでもない私たち自身がわかり、かわることだからである。」ですよね、それはアートの制作に通じることです。ふう。