・・・新型コロナウイルスを含め、その対応や情報に多くの「カタカナ語」が登場し、かなりの方々が困惑されているのではないかと思います。
《NEWS》2020。2。7河北新報「河北抄」より
●Evidence(証拠):その事実は確かかな?
●Source(情報源):誰が作ったのかな?
●Context(文脈):全体像はどうなっている?
●Audience(読者):誰向けに書いてあるの?
●Purpose(目的):なぜこの記事がつくられたの?
●Execution(完成度):情報はどのように提示されている?
この6項目を意識すれば、うそやデマの被害に遭う確率を減らせるという。名古屋大大学院講師の笹原和俊さんが著書『フェイクニュースを科学する』で紹介していた。「その事実は確かか」「誰が作ったのか、作った人は信頼できるか」「全体像は」「誰向けか」「なぜ作られたのか」「情報はどう提示されているか」。中でも2番目の情報源を確認する習慣が大事だと、笹原さんは指摘する。新型コロナウイルスの感染が世界規模で広がる中、人々の恐怖心を養分に悪質なデマがウイルス以上のスピードで拡散している。「中国が開発した生物兵器」「流行は計画されていた」など。証拠、情報源の段階で既に真偽は明白だ。6項目の英単語の頭文字は「ESCAPE(逃れる)」。誰もが情報の受信者にも発信者にもなれるソーシャルメディア時代、デマから逃れる知識に加え、加担しない良識も身に付けたい。「誤情報は事実よりも遠く、深く、速く、幅広く拡散する」(笹原さん)というから。
【笹原和俊】(1976~)
福島県生まれ。2005年東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。現在、名古屋大学大学院情報学研究科講師。科学技術振興機構さきがけ研究者(兼任)。専門は計算社会科学。
Webのソーシャル化や実空間での様々な行動センシングが進行している現在、人々の自発的な情報行動やコミュニケーションなどの詳細はデジタルに記録・蓄積されるようになりました。このような大規模社会データを情報技術によって取得・処理し、分析・モデル化して、人間行動や社会現象を定量的・理論的に理解しようとする学問が「計算社会科学」 (Computational Social Science)です。計算社会科学はその目的の達成の方法論として、大規模社会データ分析研究、社会シミュレーションによる理論的研究、バーチャルラボによる実験的研究などを用いています。
《NEWS》2019。3。10BuzzFeedより
なぜ、フェイクニュースは拡散するのか? 科学者が見た「装置としてのSNS」
なぜ、偽情報や誤情報は拡散していくのかーー?NPO団体「ファクトチェック・イニシアティブ(FIJ)」が3月10日、「フェイクニュース現象の本質は何か」と題したシンポジウムを開いた。シンポジウムには、『フェイクニュースを科学する』の著書を持つ、名古屋大大学院講師・笹原和俊氏(計算社会科学)が登壇。笹原氏は、アメリカでの研究結果を紹介しながら、「フェイクニュースは時に人の命を奪うこともあり、看過できないもの」「問題はSNSが情報拡散のための装置として機能してしまうことにあります」と、警鐘を鳴らした。
●フェイクニュースにある「グラデーション」
そもそも、フェイクニュース問題が注目されるようになったのは、2016年のアメリカ大統領選だった。BuzzFeed Newsの調査では、大統領選の最後の3カ月間、Facebook上では選挙に関して、主要メディアのニュースよりも、フェイクニュースの方が高いエンゲージメントを獲得していたことが判明している。笹原氏はこの調査結果に触れながら「トランプ大統領を誕生させることに寄与したかは意見が分かれる一方で、少なくとも社会を混乱させた」と指摘した。笹原氏は、フェイクニュースを程度に応じて分類する「グラデーション」を紹介。フェイクニュース対策に取り組む「ファースト・ドラフト・ニュース」のクレア・ウォードル氏が示した7つの類型だ。
風刺・パロディ:害を与える意図はないが、騙される可能性がある
誤った関連付け:見出し、画像、キャプションなどが内容と合っていない
ミスリーディング:誤解を与えるような情報の使い方
偽の文脈:正しい内容が間違った文脈で使われる
偽装:正しい情報源が偽装されている
操作:騙す目的で情報や画像が操作されている
捏造:騙したり害を与えるために作られた100%嘘の内容
●拡散の8割を担うのは…?
笹原氏は「フェイクニュースという言葉で全てまとめるべきではない」としながら、アメリカの先行研究を紹介した。特筆すべきはフェイクニュースの拡散速度だ。偽情報や誤情報は、そうでない情報と比べ★「速く、遠くまで伝わる性質」があることもわかっているという。拡散を加速させるのは「扇情的」な言葉だ。「単に道徳的な言葉よりも、道徳感情的な言葉であるほうが、その情報が拡散されやすい傾向にあります。扇情的であればあるほど、感情が伝染するということです」また、その共有の80%を全体の0。1%が担っているという研究結果もあるという。「中でも高齢者、極右が偽ニュースを共有しやすいという結果が出ている。たくさん拡散している一方で、加担者はごく少数なのかもしれません」
●拡散の背景にあるもの
偽情報や誤情報が広がる背景には様々な要因があると、笹原氏は説明する。そもそも、直感や先入観を元に物事を意識決定しようとする人の★「認知バイアス」(cognitive bias)も関わっているという。また、多くのニュースやSNS通知など、情報過多によって人が適切な意思決定ができなくなる★「情報オーバーロード」(information overload)もある。一方で技術の発展も影響を及ぼしている。SNSを通じて同じ意見の人々とつながり、似たような見方ばかりが増幅されてゆく「エコーチェンバー」(echo chamber)や、パーソナライゼーション(personalization)技術の発展により、興味関心がある情報ばかりに触れやすくなる「フィルターバブル」だ。こうした多くの要素が絡まり、情報が拡散すると、それは社会の分断にも繋がっていく。笹原氏は★「バックファイアー」(backfire effect)と呼ばれる現象にも言及した。「自分とは逆のイデオロギーの情報に接してもらうと、より固執するようになるという研究結果が出ています。訂正情報の拡散に影響を与える効果です」アメリカの研究結果によると、自らと違う意見にある一定期間触れると、その意見に感化されるわけではなく、自らの意見により固執するようになることが明らかになった。保守系が顕著であったものの、政治的立ち位置関わらず同じ傾向が見られたという。
《参考》「バックファイア効果」/錯思コレクションより
https://www.jumonji-u.ac.jp/sscs/ikeda/cognitive_bias/cate_d/d_26.html
裏目に出る/意見が対立しているグループに話し合いをさせたら、ますます頑なに自分の考えを信じるようになってしまった。
●社会に分断が生まれる前に
笹原氏はいう。「いとも簡単に社会は分断してしまう。日本はアメリカほどの政治的分断はないが、ヘイトをはじめとした対立構造もあり、同様のことが起こりうる。こうした研究から学ぶことはたくさんあるはずです」そのうえで、こうした情報が「拡散する仕組み」に問題点があると指摘。「フェイクニュースは、情報生態系の問題です。コンテンツの問題とだけするのではなく、★ネットワーク全体の問題として取り扱う必要がある」個人でできることと、プラットフォームができることがある、と述べた。「コンテンツひとつひとつを規制することは行き過ぎだが、メールのスパムフィルターと同じような”フェイクフィルタ”があっても良いのではないでしょうか」また、メディアリテラシーや社会基盤としてのファクトチェックも重要だという。「私自身、正しくフェイクニュースを怖がるために、なぜこうした情報が広がっていくのか、科学者として伝えていく活動を続けていきたいと思っています」
・・・たまげるほど「カタカナ語」が出てきますが、負けずに考えていきたいと思います。
《参考》「外来語」と「カタカナ語」の違い/文:神永暁(国語辞典編集者)
https://japanknowledge.com/articles/blognihongo/entry.html?entryid=413
諸説あるのだが、辞書にかかわっている人間としては、一応使い分けをしている。ただそれはあくまでも各辞書独自の考えなので、一般のかたには確かにわかりにくいかもしれない。この2語の違いは、2語とも項目のある『デジタル大辞泉』の解説がわかりやすい。
●外来語:他の言語から借用し、自国語と同様に使用するようになった語。借用語。日本語では、広義には漢語も含まれるが、狭義には、主として欧米諸国から入ってきた語をいう。現在では一般に片仮名で表記される。[補説]外来語と外国語との区別は主観的なもので、個人によって異なることがある。
●カタカナ語:片仮名で表記される語。主に外来語を指すが、和製英語についてもいう。
つまり、「外来語」と「カタカナ語」を比較して考えた場合、「外来語」は、主として欧米諸国から入ってきた語で、★自国語と同様に使用するようになった語ということがポイントである。これに対して、「カタカナ語」は現在の日本で、カタカナで表記される語をさす。「外来語」は「自国語と同様」、すなわち日本語の中に取り込まれて使われることばであるのに対して、「カタカナ語」は普通カタカナで表記される語で、それは★必ずしも日本語の中に同化して使われている語ではないということになる。この違いはけっこう大きく、それによって「外来語」「カタカナ語」の意味の違いもかなり鮮明になるのではないだろうか。この考え方からすれば、例えば、「ゴールイン」「スキンシップ」「バックミラー」などの「和製英語(日本で英語の単語をもとに、英語らしく作った語)」はカタカナ語ではあっても厳密な意味で外来語とは言えないことになる。また、今回の文化庁の調査にもあった「ガイドライン」「コンソーシアム」「インバウンド」といった語は、確かに日本語に同化しているかと聞かれると疑問である。私もそうであるが、それぞれ「指針」「共同事業体」「訪日外国人旅行者」と日本語で言われた方が理解しやすいのではないだろうか。あくまでも辞書編集者としての私の個人的な意見だが、これらの語は外来語ではなく、カタカナ語と考えられるのである。
《NEWS》2020.4.8東スポニュースより
デヴィ夫人が小池都知事のカタカナ語濫用に「なぜ??」
https://ameblo.jp/dewisukarno/entry-12587862053.html
タレントのデヴィ夫人(80)が8日のブログで、小池百合子都知事(67)のカタカナ語乱発に疑問を呈した。小池知事のカタカナ語にはかつて河野太郎防衛大臣(57)も「日本語で言えることをわざわざカタカナで言う必要があるのか」と訴えていた。「ロックダウン(都市封鎖)」「オーバーシュート(感染爆発)」「クラスター(集団感染)」などが主なカタカナ用語だが「専門的には日常的な言葉も一般人にはこうした言葉はなかなか馴染めないかもしれません」とクビをヒネった。さらに「小池氏がかつて使った言葉をご覧ください。アウフヘーベン=止場 ワイズ・スペンディング=買い支出 サスティナブル=持続可能性 ステークホルダー=利害関係 ビジネス・アズ・ユージュアル=いつも通りの仕事 ガバナンス=統治 レガシー=遺産 ソーシャルディスタンス=他者との距離を確保」と過去に使用したカタカナ語を列記し「わざわざ難しいカタカナ語を使って印象操作でもしているのでしょうか?!と勘ぐってしまいますね」とチクリ。最後には「“カイロ大卒”の小池知事、アラビア語のスピーチも聞きたいですね」と皮肉った。
・・・「週刊ポスト9月13日号掲載の特集『韓国なんて要らない!』は、混迷する日韓関係について様々な観点からシミュレーションしたものですが、多くのご意見、ご批判をいただきました。なかでも、『怒りを抑えられない「韓国人という病理」』記事に関しては、韓国で発表・報道された論文を基にしたものとはいえ、誤解を広めかねず、配慮に欠けておりました。お詫びするとともに、他のご意見と合わせ、真摯に受け止めて参ります」
https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20190930-00144835/
このような謝罪文を掲載した「週刊ポスト」、ちょっと抵抗もあるにはあるのですが参考にさせてもらいます。
《NEWS》文:呉智英/週刊ポスト2020年4月17日号より
首相や小池知事の「カタカナ語濫用」の根底にあるものは何か
東京都の小池百合子知事は、カタカナ語をよく使うことで知られている。イメージ戦略をともなう選挙では効果的だろうが、新型コロナウイルス対策のための記者会見で、老若男女、色々な人に言葉を届けるうえではどうだろうか。評論家の呉智英氏が、カタカナ語がやたら使われることの根底に何があるか、について考察する。3月23日付朝日新聞夕刊の「素粒子」欄に、こうあった。「カタカナ解説に戸惑う。オーバーシュート、ロックダウン、クラスターって、何だ。」全く同感だ。このうちクラスターだけは統計学や分子科学の用語でもあるので、これを使うのはやむをえないとして、あとの二つは何でこんなカタカナ語を使うのだろう。コロナ感染者の爆発的増加を表現する言葉が必要なら、オーバーシュート(度を越す)などと言わず「爆増」とでも造語すればいいではないか。ロックダウンも、これでは岩rockが落ちてくるみたいだ。錠lockを下ろすのだから「都市封鎖」でいいだろう。これらのカタカナ語を得意気に使ったのは小池百合子東京都知事と安倍晋三首相である。安倍首相はさらに27日の参院で、東京五輪を二年も長期延期すると「モメンタムが失われる」と発言している。各紙は「勢い」と説明を付けた。政治家はよほど英語が得意で、つい英語が口に出るらしい。では、日本語はどうか。小池知事は措くとして、安倍首相の国語力は高校生以下だ。『AERA』昨年5月20日号は、同4月30日の先帝「退位礼正殿の儀」での安倍大失言を報じている。「両陛下には末永くお健やかであらせられますことを願っていません」戦前なら政権崩壊だ。緊張のあまり舌がもつれたというわけではない。「国民代表の辞」を読んでの失態である。否、読めなかったのだ。当然、文書には「願って已みません」とあった。文書を作成した高級官僚は、真逆ここに振り仮名が必要だとは思わなかったのだろう。「真逆(まさか)」なら必要かもしれないが。ああ、已(や)んぬるかな。己・已・巳の違いは高校までに習う。「已」は「すでに」「やむ」と訓(よ)む。音(おん)なら「い」。已然形(いぜんけい)の「い」だ。むしろ「い」と読めただけエラいので、安倍首相には部分点を進呈したくなる。カタカナ語濫用の根底には、英語や仏・独語は高級な言語で日本語は劣った言語だという★卑屈で歪んだ欧米崇拝意識がある。★差別語認定された言葉をカタカナ語に言い換えるのは、その好例である。差別語認定されたらその愚を徹底的に批判してやるのが本筋だろう。同じ意味の英語に言い換えて「良い言葉でしょ」と得意がっても何の意味もない。3月23日付朝日新聞は、コロナ禍で静まり返ったニューヨークをこう描く。「警備員の男性が嘆くようにこうつぶやいた。クレージーだ」クレージーを日本語で表現できない方がクレージーだろう。2018年9月5日付産経新聞は、ゲームクリエーター田尻智を紹介する連載記事の見出しを「フリークが集まった」とし、本文中で「フリーク(心酔者)」と説明している。ゲームクリエーターには説明がないのもおかしいが、フリークを「心酔者」とするのももっとおかしい。私が説明したいが、残念、もう字数が足りないや。
《フリーク(Freak)》
ある事柄に対して異常に心酔する者をさす。日本においては「マニア」と同義で用いられることも少なくない。ただし原義は「異形のもの、奇形」(話・軽蔑的:変わり者、変人、奇人)であるため、英語圏などで「Freak」という言葉を用いると、日本で想像するよりも★遙かに強烈な意味合いに取られる場合もある。
《ゲームクリエイター(game creator)》
ゲームの企画や制作を行う、主にコンピュータゲームの開発者全般の呼称。一般的にはクリエイター(creator) は、芸術家、作家、楽曲制作者など創作活動に携わる芸術家を示すが、ゲーム分野では企画やプログラミングなどの職も含まれており、特にプロデューサーやディレクター、メインプログラマー・デザイナーなど中心的な役割を果たす開発スタッフに用いられることが多い。★和製英語であり、英語ではゲームデベロッパー (game developer) と呼称される。
《参考》文:呉智英/週刊ポスト2019年9月6日号より
慰安婦少女像のどこが「表現の不自由」なのか、呉智英氏疑問
あいちトリエンナーレの企画展「表現の不自由展・その後」の中止騒動は、なかなか収束の気配を見せない。評論家の呉智英氏が、表現の自由・不自由とは本来、どういったものなのか、事例をあげながら解説する。八月一日から始まったあいちトリエンナーレの企画展「表現の不自由展」騒動が今も続いている。
議論の中心にあるのは慰安婦を象徴する「少女像」だが、これ、いつ表現が不自由になったのか。少女像はソウルの日本大使館前に二〇一一年から堂々と設置されている。しかも公道にである。これ以外にも韓国各地に、さらにアメリカやドイツにもいくつか設置されている。日本でも、公道や公有地は当然駄目だが、韓国大使館の玄関や会議室なら設置は自由である。個人の家でも全く自由だ。二〇一二年に東京都美術館で開催された国際交流展だけが、特定の政治思想に関連するとして、これを撤去した。国際交流の本義にも反するはずだ。要するに、趣旨が違うから撤去したのである。こうした少女像のどこが「表現の不自由」なのか。津田大介ら破廉恥な運動家連中がわざわざここで表現の不自由を作り出したのだ。ありもしない交通事故を作り出す「当り屋」商売と同じである。本当の「表現の不自由展」なら、是非やってもらいたい。
https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/20354
本欄でも指摘してきたように、戦後七十余年一貫して表現が不自由になっているからだ。いくつか例を挙げる。舟越保武(ふなこしやすたけ)は二十世紀日本の美術界を代表する彫刻家である。子息の舟越桂も著名な彫刻家だ。その舟越保武の最高傑作★『病醜のダミアン』が、これを所有する埼玉県立近代美術館で公開展示できなくなった。一九八四年のことである。その後、鑑賞希望申請者のみ別室で鑑賞できるようになった。十五年後に『ダミアン神父像』と改題してやっと公開展示が可能になる。これは病気への偏見を助長し差別しているという声が出たからである。舟越の制作意図とは正反対の“抗議”に屈服したのだ。最近「戦争絵画」に関心が集まっている。先鞭をつけたのは「芸術新潮」一九九五年八月号だ。私はそこで小早川秋聲(しゅうせい)★『国之楯(くにのたて)』を見て衝撃を受けた。ページを開いたまま五分ほどじっと見つめていた。軍服姿の戦死者の遺体の顔が日の丸で覆われている。荘厳と悲哀が見る者を圧する傑作であった。昭和十九年作のこの名品は「天覧を拒絶された」と説明にある。むろん反戦平和主義者たちも戦争絵画を忌避し『国之楯』を知らなかった。右からも左からも表現の不自由が続いた。マンガは今や日本を代表する芸術となっている。文化庁も一九九七年、マンガやアニメを「メディア芸術」と位置づけ支援を開始した。海外の著名な美術館でもしばしば日本マンガ展が開催される。こうした中、国内はもとより海外でも人気が高いのが、勇壮な筆致と激しい作劇法を特徴とする平田弘史である。しかし、その初期代表作★『血だるま剣法』は一九六二年刊行後“封印作品”となり、実に四十二年後の二〇〇四年まで日の目を見ることがなかった。自慢ではないが、私が詳細な解説を付けて復刊にこぎつけた。表現の不自由と戦ったことがない奴らが当り屋稼業をやっている。
★『ダミアン神父像』
https://kurume-catholic.jp/blogs/blog_entries/view/11/8a6204cdc8d7b7e9b8d72df5d1c540ff?frame_id=16
1975年舟越保武62才の作品。19世紀後半、ハンセン病の患者達の支援を自らも同じ病にかかる中で続けたベルギー神父をモデルにしています。現在では、ハンセン病は、薬で完治し感染も発病もほとんどありませんが、長い間、ハンセン病の正しい知識が知られておらず患者や家族は、隔離され差別を受けていました。神父は、同じ病気にかかり患者と同じ立場になって喜んだといわれ亡くなるまで献身的な活動を続けました。
舟越保武さんは翌年書いた随筆「病醜のダミアン」に《私はこの病醜の顔に、恐ろしい程の気高い美しさが見えてならない。このことは私の心の中だけのことであって、人には美しく見える筈(はず)がない。それでも私は★これを作らずにはいられなかった。私はこの像が私の作ったものの中で、いちばん気に入っている》。1983年4月からこの作品を常設展示していた埼玉県立近代美術館に、ハンセン病の元患者たちが「病気への誤解と偏見を生むから公開を差し控えてほしい」と申し入れたのだ。確かに予備知識なしにこの像と対面すれば、ハンセン病への恐怖心がかき立てられる可能性はある。長い期間★偏見と差別にさらされてきた元患者たちが危惧するのは当然かもしれない。話し合いの結果、像は84年1月、美術館の応接室に移され、鑑賞を希望する人だけに公開するという形で一応の決着を見た。話し合いはその後も続けられ、像の脇にハンセン病に対する誤解や偏見を解く文章を配し、「病醜のダミアン」を「ダミアン神父」と変更することなどを条件に99年8月、像は元の場所に戻された。舟越さんも納得したという。
《巨岩と花びら》舟越保武画文集/筑摩書房1998
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480870544/
「長崎26殉教者記念像」「病醜のダミアン」「聖クララ」などの端正で崇高なまでに美しい石像彫刻とデッサンで知られる彫刻家の初めての滋味あふれるエッセイ集。彫琢された詩的な筆致で、芸術と人生をめぐる思索を描いた本書により、日本エッセイストクラブ賞を受賞。彫刻・デッサンを10点収録。また、外国絵画・彫刻などの鑑賞も収める。
●美醜を超える芸術の力についてOn Leprosy and Fine Arts/文:池田光穂
http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/leprosy_and_art.html
舟越保武(1912~2002)「病醜のダミアン(1975)Father Damian in Leprosy」(現在のタイトルは「ダミアン神父像」)である。ハンセン病の「東京退所者の会」の★冬敏之(1933~2002)との間で、公開非公開との様々な議論があったそうだ。時代というものは、この芸術作品を宗教的な聖像のような神々しさなものまで聖別——もちろん実際の神父も列聖されている——してしまった。この論争の教訓を我々は我が身のように受け入れたら、「少女像の展示の是非」をめぐる政治的圧力をかけたあの醜悪な為政者の愚行は、一笑に付されたかもしれない。私たちは、まだ★歴史に向き合う勇気を持ち合わせていないようである(2019年8月)。
【冬敏之】(1935~)
http://www.kiron21.org/pickup.php?27
本名・深津錡(かなえ)、愛知県生まれ。7歳のとき父とふたりの兄とともに★多磨全生園に入所。草津の栗生楽泉園へ移り、栗生楽泉園患者自治会誌『高原』に発表した「埋もれる日々」が『民主文学』年9月号に転載され、作家デビュー。その後、社会復帰をはたして埼玉県富士見市職員として22年間勤める。短編小説集『埋もれる日々』『風花』(以上、東邦出版社)、『ハンセン病療養所』(第34回多喜二・百合子賞受賞)『風花』など。
《参考》小説・映画『あん』原作:ドリアン助川
https://www.tokyo-jinken.or.jp/publication/tj_66_interview.html
https://www.huffingtonpost.jp/2015/07/13/an-sukegawa-interview_n_7790076.html
初版の発行部数は小規模ながら、数々のメディアに取り上げられ、第25回読書感想画中央コンクールで指定図書(中学校・高等学校の部)に選定。感動が人から人へ伝わり、少しずつ増刷を重ねて部数が積みあがっていき、10刷のロングセラーに(2015年3月現在)。作者のドリアン助川さんが深夜放送のパーソナリティーとして若者たちの悩みを聞き続けていたときに、「人の役に立つことが、生きる意味なんだろうか」と覚えた違和感が小説を書くきっかけに。構想十数年を経て、その間のすべてが昇華して『あん』が生み出されました。
《NEWS》多磨全生園、映画「あん」のぜんざい再現/2018.3.17毎日新聞より
映画「あん」ゆかりのぜんざいを楽しんで--。東京都東村山市の国立ハンセン病療養所「多磨全生園」内の食堂「なごみ」で、全生園などが舞台となった映画「あん」に登場するぜんざいとお汁粉を再現したメニュー「旅する小豆たち」が人気だ。2015年12月に食堂がリニューアルオープンした際、スタッフが「映画にちなんだ目玉商品を」と考案。映画の原作者の作家、ドリアン助川さん(55)が命名した。ドリアンさんは、らい予防法廃止(1996年)を機にハンセン病への理解を深め「本当の命の意味を書きたい」と考えた。自分のライブに来ていた全生園の入所者と知り合い、13年に小説「あん」を出版。15年、河瀬直美監督によって映画化された。
・・・大学時代、バイト先の画材店(鷹の台)から絵具の配達で訪問したのが「多摩全生園」(東村山)でした。その頃は十分な知識がなく緊張しましたが、唯一、映画「パピヨン」が支えになりました。部屋に入り、出してくださったお茶をすすりながら、短時間お話しました。、話の内容はすっかり飛んでしまっていますが、この貴重な体験をもとに、様々な場面で「ハンセン病」について考えるようになりました。そして、樹木希林さんが亡くなられ、志村けんさんが亡くなられ、そして私たちは何をどう考えどう生きていけばいいのでしょうか?くだらないデマやフェイクに踊らされている場合ではない、わけです。