ころな・こまる・こもる(15) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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《山賊の歌》/作詞:(一番~三番)田島弘/作曲:小島祐嘉1968

http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/sanzokunouta.html

雨(雨)が降れば(が降れば)小川(小川)ができ(ができ)

風が(風が)吹けば(吹けば)山が(山が)できる(できる)

ヤッホ(ヤッホ)ヤッホホホ(ヤッホホホ)さびしい(さびしい)ところ(ところ)

ヤッホ(ヤッホ)ヤッホホホ(ヤッホホホ)さびしい(さびしい)ところ(ところ)

 

・・・「輪唱」がまるで「こだま」のようで、キャンプが盛り上がりますよね。

 

 

《旅人よ》/作詞:岩谷時子/作曲:弾厚作/歌:加山雄三1965

風にふるえる 緑の草原 たどる瞳かがやく 若き旅人よ おききはるかな 空に鐘がなる 遠いふるさとにいる 母の歌に似て やがて 冬がつめたい 雪をはこぶだろう 君の 若い足あと 胸に燃える恋も 埋めて 草は枯れても いのち果てるまで 君よ 夢をこころに 若き旅人よ

 

・・・この曲もコーラス部分が「輪唱」のようになるので、盛り上がります。

 

 

《参考》「新しい音楽教科書の誕生」/文:池田小百合2009

http://www.ne.jp/asahi/sayuri/home/doyobook/doyo00sengo22.htm

昭和二十二年(1947年)になると、3月31日には教育基本法が公布され、学校教育法も公布されて、従来の国民学校は廃止され、六三制が始まりました。5月3日には日本国憲法が公布されます。文部省は新主旨に基づく編集による音楽教科書を編集し、5月に発行しました。これが、最後の文部省編の国定教科書になります。新教科書の編集委員は岡本敏明、平井保喜(康三郎)が作曲を担当、小林つやえ、勝承夫が作詞を担当しました。戦争中の国民学校の唱歌編纂に関わった委員はひとりも含まれていません。文部省は既に唱歌教材選択の一般方針として次の三項目に該当する教材を排除することを示していました。(1)軍国主義的なもの、(2)超国家主義的なもの、(3)神道に関係あるもの。そして、集められた教材は次のような教材でした。(1)従来の文部省唱歌にあって歌曲ともにすぐれたもの、(2)わらべうたのなかで特にすぐれたもの、(3)民間の作詞作曲家の手になった童謡ですぐれたもの、(4)新作したもの。また、このとき初めて作詞者・作曲者が明記されました。上記の記述は、堀内敬三・井上武士(編)『日本唱歌集』(岩波文庫、1958年)によっていますが、戦争中に戦意昂揚のための少国民唱歌ばかりを教科書に掲載してきたこともあって、各学年22曲をそろえることは大変だったと思われます。特に上級生用の曲は上記の規準で削除したら、残らなくなってしまいました。いきおい、外国曲に歌詞をあてはめた曲が多くなりました。4年生は9曲(41%)、5年生は14曲(64%)、6年生は15曲(68%)。昭和二十二年版の特徴のひとつは、みんなで「音楽を楽しむ」事を目的にしていることです。優れた童謡(しょうじょうじのたぬきばやし)・唱歌(村のかじや)、新作の曲(歌のおけいこ)などを掲載し、子どもたちに楽しい音楽を与えようとしました。また、斉唱から合唱に導入するために★輪唱教材が重視されました。「かえるの合唱」(かえるのうたが きこえてくるよ。クワ クワ クワ クワ、ケケケケ、ケケケケ、クワクワクワ。)などの輪唱曲も積極的に紹介しました。このことは後の合唱ブームの先がけとなりました。

【池田小百合】(1951~)

http://www.ne.jp/asahi/sayuri/home/groups.htm

神奈川県足柄上郡大井町生まれ。国立音楽大学卒業。長年にわたり童謡や唱歌の成り立ちや歌唱について調査、発表をしている。「あしがら童謡の会はとぽっぽ」「童謡を歌う会青い鳥」「童謡を歌う会赤い鳥」「童謡を歌う会玉手箱」などを指導。童謡の分野だけでなく、現代の子育て、親子関係のあり方を提言する本も多い。

 

 

・・・音楽の話から美術の方にもどりましょう。

 

《マルク・シャガール》Marc Chagall(1887~1985)

●「空飛ぶアトラージュ」1945油彩・画布105.3cm×72.9cm/蔵:福岡市美術館

https://www.fukuoka-art-museum.jp/collection_highlight/2659/

帝政ロシアのヴィテブスク(現ベラルーシ共和国)のユダヤ人家庭に生まれたマルク・シャガールは、1910年にフランスに移りエコール・ド・パリの画家として活躍しました。しかし第2次世界大戦が始まるとナチスの迫害を逃れてアメリカへの亡命を余儀なくされ、ナチスが故郷へ侵攻したことを知り、さらに終戦の前年に最愛の妻ベラを病気で失います。故郷の街と妻ベラというたびたび作品にも登場するかけがえのない存在を失ったシャガールは、悲しみに暮れ、しばし制作から離れたといいます。終戦の1945年に制作された本作は、シャガールが絶望の淵から再起を期した一作です。アトラージュとはそりのこと。空高く翔けるそりに乗っているのはシャガールと亡き妻、そして娘のイダでしょうか。眼下に広がる雪に覆われた街並みはシャガールの故郷を思わせます。夢と現実が混ざったようなシャガールらしい幻想的な情景のなかに、戦火に苦しんだ故郷の人々や亡き妻への鎮魂の想いと、平和への希望が込められた一作です。

 

・・・人が飛んでいる、衝撃でした。ある程度「シュール」は知っているつもりでしたが、独特な「シャガール」の世界に惹き込まれてしまいました。

 

 

【ベラ・ローゼンフェルド・シャガール】Bella Rosenfeld Chagall(1895~1944)

ユダヤ系ベラルーシの著述家。マルク・シャガールの最初の妻。1917年の『白襟のベラ』をはじめ、多くのシャガールの作品のモデルになっている。ベラは1895年、現在のベラルーシの都市であるヴィーツェプスクの裕福なユダヤ人家庭で生まれた。父シュミエル・ノアと母オルタ・ローズフェルドの8人の子ども末っ子だった。両親は宝石商だった。1909年にサンクトペテルブルクに友人を訪ねた際にマルク・シャガールと出会う。当時シャガールはロシアの画家レオン・バクストのもとで学ぶ赤貧の見習い画家だった。二人は出会ってすぐにひきあい、付き合い始めた。二人はともに同じヴィーツェプスク出身だったけれども、社会的階層が異なっていたため、ベラの両親は結婚に反対。1915年頃からシャガールが画家として成功するようになると、二人はついに結婚し、サンクトペテルブルクへ移る。翌年の1916年に一人娘のイーダを出産。1922年にリトアニアへ移り、その後ドイツ、1924年にパリへ。ナチスドイツがフランスに侵入すると1939年に南フランスへ避難。1941年にマルセイユで逮捕されたあと、二人はアメリカのニューヨークへ亡命。しかしベラは★ウイルス感染にかかる。戦時中であったこともあり薬が不足し、ベラは治療を受けることができず、1944年にアメリカで死去。彼女の最も有名な作品『バーニング・ライト』は、1939年にフランスでイーディッシュ語で出版された。1946年、ベラの死後にシャガールが英語版を出版。この本はもともと1931年にパレスチナのユダヤ人地区を訪れたときに、彼女にイーディッシュ語で書くようにすすめたものだという。

 

・・・ベラが亡くなったのはウイルスの感染、薬が不足し治療を受けることができずに。

 

 

《参考》世界の窓・シャガールの家 / A window of the world – Dom Chagalla (TBS)

あの高名なフランスの画家マルク・シャガールは、現ベラルーシの出身と知っている人は多くないだろう。ヴィテプスクという街にはシャガールが幼少時代を過ごしたレンガ造りの家屋が残っている。

Czy wiedzieliście, że znany francuski malarz Marc Chagall pochodzi z obszaru dzisiejszej Białorusi? W mieście Vitebsk nadal stoi dom, w którym wychował się malarz.

窓辺でよく絵を描いていたシャガールは、窓を絵の具で汚し、よく家族に怒られていたという。若き日のシャガールにとって、★窓はキャンパスそのものだった。

Jako dziecko Chagall często malował przy oknie, przy okazji je brudząc, z czego rodzice nie byli zbyt zadowoleni. Dla młodego artysty, okno było niczym półtno.

※愛の画家マルク・シャガールの故郷ヴィテプスク(ベラルーシ)

https://ai-am.net/chagall

 

《おまけ》「ウィンドウ (window) 」

★windowは北欧(スカンジナビア)語由来の「合成語」。「wind(風)+auga(目)」に分解でき、gaが消失したということです。

●窓、窓際、窓のところ、(商店の)飾り窓、陳列窓、ショーウインドー、(銀行・切符売り場などの)窓口、窓枠、窓ガラス、外に開くもの。

●「その間に何かができる(何かをしなくてはならない)」

都合のよい時間帯、(予定表の)あき、好機、機会(リーダーズ・プラス)

(限定された)期間;(予定表の)空白時間a window of opportunity 瞬時の好機launch window (ロケット・人工衛星などの)打ち上げ可能時間帯(ジーニアス英和大辞典)

●ウィンドウシステムにおいて、ディスプレイなどデバイス上で、アプリケーションに与えられる領域のことである。窓からアプリケーションを覗いているような様子からこの名前が付けられた。マルチタスクオペレーティングシステムでは複数のアプリケーションが同時に動作するため、ウィンドウでそれぞれのアプリケーションに画面領域を割り当て、ユーザの操作で切り替えることができる必要がある。選択されている状態のウィンドウをアクティブウィンドウ、それ以外の全てのウィンドウは非アクティブウィンドウと呼ぶ。 なお、工業界、コンピュータ業界では用語を片仮名表記する際、最後の長音符は省略するという慣例があり、「ウィンド」(wind = 風)となることを防ぐため、「ウィンドー」ではなく「ウィンドウ」と表記することが多い。日本語では英語から借用して「ウィンドウ」と言うが、他の言語では「窓」を意味する固有語が用いられるのがほとんどである。なお、日本語でも複合語に限っては「窓」(例:別窓、対話窓)を用いることもある。