ころな・こまる・こもる(14) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・「風の彫刻」が「ファッション(衣)」とコラボしたのですから、ジャンルを超えてさらに「風」を追うことにします。やはり「音楽」です。オリンピックつながりから、

 

《風が吹いている》歌:いきものがかり2012/詞・作曲:水野良樹/編曲:亀田誠治

NHK★ロンドンオリンピック・パラリンピック放送テーマソング。当シングル発売当時いきものがかりで最も演奏時間の長い曲だったが、2020年3月現在に至るまでもそうであり、デモテープを作った水野自身が「気合が入りすぎて暑苦しい」と感じるほどの力作となっている。また、吉岡は歌詞の最初の「時代はいま 変わっていく」の部分に今までにない「重さ」を感じたといい、題名の候補も当初は『時代』であった。また、いきものがかりの曲で出だしがBメロとなっているのはこれが初めてである。この曲を制作するに当たっては★アテネオリンピック (2004年)のNHK放送テーマソングであった「栄光の架橋」 (ゆず)をかなり意識したとのことで、水野は「五輪はその時代の象徴。二度と訪れない一瞬を、その時代に生きる人たちで共有できればとの思いを込めた」と語っている。

時代はいま 変わっていく 僕たちには願いがある この涙も その笑顔も すべてをつないでいく ★風が吹いている 僕はここで生きていく 晴れわたる空に 誰かが叫んだ ここに明日はある ここに希望はある 君と笑えたら 夢をつなぎあえたなら 信じあえるだろう 想いあえるだろう この時代を 僕らを この瞬間を

 

 

・・・聖火台は「トーマス・ヘザウィック」の設計で、この年のゲームで競合する国を表す204枚の銅の花びらで構成されています。

【Thomas Heatherwick】

http://www.heatherwick.com/

1970年、ロンドン生まれ。 1994年にHeatherwickスタジオを設立。建築家、デザイナー、エンジニアなどを含む彼のチームは、複合施設やビル、橋梁、スケールの大きなパブリックアートやモニュメントなど、幅広いプロジェクトに携わっている。 2004年にはPrince Philip Designers 賞を受賞。Sheffield Hallam、Dundee、Manchester Metropolitanの三つの英国大学の名誉博士号を有する。王室に任命された最も若い工業デザイナーでもある。

 

 

・・いきものがかり「風が吹いている」、そしてボブ・ディラン「風に吹かれて」へ。

 

《Blowin’ in the Wind(風に吹かれて)》Bob Dylan1963

How many roads must a man walk down
(男はどれほどの道筋を歩いていかなければならないのか)

Before you call him a man?
(人ととして認めてもらうまでに)

How many seas must a white dove sail
(白い鳩はいくつの海を渡らなければいけないのか)

Before she sleeps in the sand?
(砂浜で眠るまでに)

Yes, and how many times must the cannonballs fly
(砲弾はどれほど飛ばし合わなくてはいけないのか)

Before they’re forever banned?
(永遠になくなるまでに)

The answer, my friend, is blowing in the wind
(友よ、その答えは風に吹かれているのだ)

The answer is blowing in the wind
そう、答えは風に吹かれている

 

この歌についてあまり言えることはない。答えは本にもテレビ、映画など見ても分からない。皆、ここに答えがあると言うけれど俺は信用しない。答えは紙切れのようであり、それは風に乗っている。だけど、その紙切れが地上に下りてきても皆見ようとしないんだ。世の中で一番悪い奴というのは間違っているものを見て、それが間違っていると分かっていながら目を背ける奴なんだ。俺はまだ21歳だけど、世の中そんな奴等だらけなんだ。/1962音楽雑誌「Sing Out!」より

 

《参考》No More Auction Block/Odetta

https://www.youtube.com/watch?v=AHVWpcJsZBw

 

 

《NEWS》ボブ・ディランは4月に予定されていた来日公演が中止となることが発表されている。これは新型コロナウイルス感染症拡大の状況、及び政府によるコンサート・イベントの自粛要請を受けてのもので、新たなスケジュールでの来日公演の実現に向けてアーティスト側と調整中だが、現時点では日程の調整に時間がかかることが予想されるため、チケットはすべて払い戻しとなる。

 

・・・そう、答えは風に吹かれている。そして吉田拓郎へ。

 

《やせっぽちのブルース》歌・作詞作曲:吉田拓郎1970

風が吹いてきたよ 心の中を吹きぬけていく お前さんどこからとんできたの 知らない街で恋をして ふられてこの街へ来たって 言うのかい

風が吹いているよ かわいい娘が笑った お前さんの住んでたその街にゃ ひとりでしんみり酒をのむ やすくていい店はなかったって 言うのかい

 

・・・ボブ・ディラン「やせっぽちのバラ-ド」1965にインスパイアされたのかも?

http://nagi1995.hatenablog.com/entry/532

 

 

●「シャボン玉」作詞:野口雨情/作曲:中山晋平1923

シャボン玉飛んだ 屋根まで飛んだ 屋根まで飛んで こわれて消えた

シャボン玉消えた 飛ばずに消えた 産まれてすぐに こわれて消えた

風、風、吹くな シャボン玉飛ばそ

童謡としては1923年(大正12年)に中山晋平の譜面集「童謡小曲」に発表されたが、 詩自体が最初に発表されたのは1922年(大正11年)のことである。 仏教児童雑誌『金の塔』にて発表。昭和11年には野口雨情によって「シャボン玉」の3・4番の詩が追加された。1908年、雨情は後に協議離婚に至った妻のひろとの間に、長女「みどり」をもうけた。人形のように愛らしい赤ん坊であったが、産まれて7日目に死んでしまった。当時は、乳幼児が死ぬのはさほど珍しいことではなく、2~3割の子供が学齢前に死亡していた。そのため、夫婦は子供を何人も産み、一所懸命育てた。雨情もその後何人かの子供を授かっているが、長女の死を後々まで悔やんでいたという。雨情は後に生まれた娘・恒子も亡くしている。当時、2歳。1924年(大正13年)9月のことである。 そしてある日、村(茨城県多賀郡磯原村)の少女たちがシャボン玉を飛ばして遊んでいるのを見た雨情が、娘が生きていれば今頃はこの子たちと一緒に遊んでいただろうと思いながら書いた詩が、この「シャボン玉」だというのが最もよく知られる説である。しかし、これを裏付けるような決定的事実は無く、説の段階を越えていないとも言われている。

●「風」/作詩:北山修/作曲:端田宣彦/編曲:青木望/歌:はしだのりひことシューベルツ1969

1969年にフォークルが解散した後に杉田二郎らと結成した『はしだのりひことシューベルツ』のレコードデビュー第1作として製作。

●「風をあつめて」/Lyrics: 松本隆/Music: 細野晴臣/歌:はっぴいえんど1971

街のはずれの 背のびした路次を 散歩してたら 汚点だらけの 靄ごしに 起きぬけの路面電車が 海を渡るのが 見えたんです それで ぼくも 風をあつめて 風をあつめて 風をあつめて 蒼空をかけたいんです 蒼空を

 

 

●「北風小僧の寒太郎」作詞:井出隆夫/作曲・編曲:福田和禾子/歌:田中星児1973

元々は1972年にNHKの『おかあさんといっしょ』の「うたのえほん」のコーナーで担当者から「子供向け演歌もあってもいいんでは?」と水を向けられた井出隆夫が、その当時のヒットドラマだった★『木枯し紋次郎』(フジテレビ)のパロディーのつもりと、自身が幼少時代を過ごした長野県南佐久郡小海町の松原湖の冬の風景を思い出しながら作詞し、福田和禾子が作曲したものであった。この曲を『おかあさんといっしょ』の番組中で最初に歌ったのは田中星児であった。田中星児が歌う音源は1973年発売のLP『NHK「うたのえほん」より うたのおにいさん 第2集』(ビクター JBX-24)などに収録されている。

●「22才の別れ」/作詞・作曲:伊勢正三/歌:風1975

「風」というデュオ名は伊勢が名付け、「空気のように留まらず、音楽的に常に進化していくことをめざす」という意味が込められている。

●「風になりたい」/作詞・作曲:宮沢和史/歌:THE BOOM1995

大きな帆を立てて あなたの手を引いて 荒れ狂う波にもまれ 今すぐ 風になりたい 天国じゃなくても 楽園じゃなくても あなたに会えた幸せ感じて 風になりたい 何ひとついいこと なかったこの町に 沈みゆく太陽 追い越してみたい 生まれてきたことを 幸せに感じる カッコ悪くたっていい あなたと 風になりたい

 

・・・好きな曲ばかりで枚挙にいとまがない。そして、「風を描きたい」。