震災9年 | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・震災9年、俳句で振り返ってみることにした。

 

《NEWS》2020.2.10産経新聞より

東日本大震災から9年 4万7737人が今も避難生活

東日本大震災は11日、発生から9年を迎える。警察庁のまとめでは岩手、宮城、福島の3県を中心に、死者は1万5899人で、行方不明者も2529人に上る(10日現在)。今年も発生時刻の午後2時46分に合わせ、鎮魂の祈りが犠牲者にささげられる。11日は全国各地で追悼行事が行われる予定だったが、★新型コロナウイルスの影響で政府主催の追悼式が中止になるなど、多くの自治体で式典の中止や規模の縮小が相次いだ。復興庁などの調べでは、津波や東京電力福島第1原発事故により避難生活を続けている人はピーク時の約47万人から減ったものの、全国でいまなお4万7737人に上る。長引く避難生活から体調を崩すなどしたことによる震災関連死も3739人となり、現在も増え続けている。福島県では、原発事故による避難指示の解除が進むが、依然として第1原発が立地する双葉、大熊両町と、5市町村の一部で避難指示が続いている。

 

 

《河北新報「河北俳壇」》2011.5.1掲載

泣きはらす子にひかりあれ卒業歌/上郡長彦

 

《東日本大震災復興支援俳句コンクール》主宰:小熊座

http://www.kogumaza.jp/1109onifusahaikutaikainyusenku.html

泥の遺影泥の卒業証書かな/曽根新五郎

草笛よ卒業式は海の中/高橋きよ子

みちのくの瓦礫の中の卒業歌/杉良介

 

・・・「卒業」をとりあげた句、答辞「天を恨まず」を思い出しました。

 

 

★「答辞」/宮城県気仙沼市立階上中学校

今日は未曾有の大震災の傷も癒えないさなか私たちのために卒業式を挙行して頂き有難うございま す。 ちょうど10日前の3月12日、春を思わせる暖かな日でした。 私たちは、そのキラキラ光る日差しの中を希望に胸を膨らませ、通いなれたこの学舎を57名揃っ て巣立つはずでした。

前日の11日 一足早く渡された思い出の詰まったアルバムを開き、10数時間後の卒業式に思いをはせた友もいた ことでしょう。 「東日本大震災」と名付けられる天変地異が起こるとも知らず……

はしかみ 階上中学といえば「防災教育」といわれ、内外から高く評価され、十分な訓練もしていた私たちで した。 しかし 自然の猛威の前には人間の力はあまりにも無力で、私たちから大切な物を容赦なく奪っていきまし た。 天が与えた試練というにはむご過ぎるものでした。 辛くて、悔しくてたまりません。

時計の針は14時46分を指したままです。 でも時は確実に流れています。 生かされた者として顔を上げ 常に思いやりの心を持ち 強く正しくたくましく生きて行かなければなりません。 命の重さを知るには 大き過ぎる代償でした。

しかし 苦境にあっても 天を恨まず 運命に耐え 助け合って生きていくことが これからの私たちの使命です。

私たちは今 それぞれの新しい人生の一歩を踏み出します。

どこにいても 何をしていようとも この地で仲間と共有した時を忘れず 宝物として生きていきます。

後輩の皆さん はしかみ 階上中学校で過ごす「あたりまえ」に思える日々や友達が如何に貴重なものかを考え いとおしんで過ごしてください。

先生方、 親身のご指導有難うございました。 先生方が如何に私たちを思って下さっていたか、今になって良く分かります。

地域の皆さん、 これまで様々なご支援を頂き有難うございました。 これからも宜しくお願いいたします。

お父さん お母さん 家族の皆さん これから私たちが歩んでいく姿を見守っていてください。 必ず良き社会人になります。

私は この階上中学校の生徒でいられたことを誇りに思います。 最後に 本当に 本当に 有難うございました。

平成二十三年 三月二十二日 第六十四回卒業生代表 梶原裕太

 

・・・泥にまみれたランドセルを見て心痛めたことも、蘇りました。

 

 

五月雨や御霊となりしランドセル/圡居ノ内寛子

旱星瓦礫の中のランドセル/宮川夏

 

喉奥の泥は乾かずランドセル/照井翠

https://gendaihaiku.gr.jp/about/award/association_award/page-3458/

 

《遠足プロジェクト》

http://fieldtrip.info/?fbclid=IwAR14z43vyzg4lum_HSoWuYCi-PFdgqZs89MPYCuYccX61DvJbh5KSZp3edQ

http://anpoap.org/?page_id=1792

アートを通して新しい町を考える学習システムです。被災地を歩き、見て、食べて、町の人と話し、そこで生まれたアイディアを実行しながら、ゆっくりと復興のプロセスを楽しんでいくことをめざしています。被災地でランドセルを失った小学生にと支援物資として寄附された中古のランドセル。そのランドセルが大量に余って処遇に困っているのを見かねたアーティスト・武谷大介が、カナダのアーティスト35名とともに、被災地への思いを馳せながらランドセルをアート作品に生まれ変わらせました。ランドセル+アートを背負い、仮設住宅や仮設商店街などを舞台に、作品を展示したり、パレードをしたりしながら、思い思いに作品を鑑賞し、コミュニケーションを深める場をつくっています。

 

・・・素敵な「玉手箱」となって、生まれ変わりました。

 

 

《語り継ぐいのちの俳句》/著:高野ムツオ/刊:朔出版2018

https://www.saku-shuppan.com/blank-39

戦争は、俳句はいかに人間を表現すべきかという命題を突きつけた事件だった。それはそれまでの自然に投影された人間や、自然の一節として自然に生かされている人間という視座からは、とうてい捉えることができない次元であったからだ。戦争とは四季という時間の巡りとはまた別の時空とし捉えるべき出来事であった。「もし新興季俳句が、こんどの戦争をとりあげ得なかったら、それはつひに神から見放されるときだ」とは山口誓子の言葉である。これは新興俳句の意義に重点を置いた物言いだが、俳句自体の存在意義と読むことも可能であろう。戦争を詠むとは、とりもなおかず人間そのものを表現することであり、季題や季語を詠むことが第一義ではなくなる。さらには季題や季語を詠むことが自己矛盾を引き起こす。(中略)

俳句は、自然との共生を大事にする日本人ならではの文芸であるとか、俳句には森羅万象に神が宿るとする日本的アニミズムの思想が込められているとか、これまでもよく言及されてきた。そうしたこともまた、私は否定しない。いや、むしろ積極的に肯定する立場にいるつもりだ。ただ、それが俳句形式という文芸の特権であるとか、守るべき堡塁であるといった硬直的な考え方に終始してはならない。もう、芭蕉の時代のように自然の悠久さやその恩恵を受容するだけでは生きがたい時代を生きているのである。俳句もまた、自然の運行にただ従うだけでは、時代を捉え、その時々の人間を表現する文芸として、この先も生き続けるとは思えない。俳句が本来の意味で自然とともに在り続けるためには、俳句も俳人も未来を見据えた世界観、自然観を模索していかなければならない。

【高野ムツオ】

http://www.kogumaza.jp/

1947宮城県生まれ。阿部みどり女、金子兜太、佐藤鬼房に俳句指導を受ける。

2002鬼房の意を受けて俳誌「小熊座」主宰を継承。

2014第五句集『萬の翅』により第65回読売文学賞(詩歌俳句賞)、第48回蛇笏賞、第6回小野市詩歌文学賞を受賞。その他の句集に『陽炎の家』『鳥柱』『雲雀の血』『蟲の王』『片翅』、著書に『時代を生きた名句』がある。現在、蛇笏賞選考委員、河北俳壇選者。宮城県多賀城市在住。

 

・・・さらに調べていると、「復興災害」という言葉にでくわしてショックを受けました。

 

 

『復興〈災害〉/阪神・淡路大震災と東日本大震災』著:塩崎賢明/風「新書で考えるいま」より

http://kaze.shinshomap.info/review/88.html

災害を乗り越え、生活再建をめざす「復興」という言葉に、人々は希望をもち、期待をかけてきた。しかし、災害で運良く一命をとりとめたにもかかわらず、その後の長い過程で亡くなったり、健康を害したり、家庭が崩壊したり、と苦しむ人々が実は大勢いる。これは災害後の復興政策や事業が、被災者の実情に合っていないからではないか。阪神・淡路大震災から10年後、被災地の住宅環境調査を通じて多数目の当たりにした、そのような人災ともいえる状況を「復興災害」と名付けたのが、『復興〈災害〉/阪神・淡路大震災と東日本大震災』(岩波新書)の著者、塩崎賢明氏である。阪神・淡路大震災の復興は、当時の貝原俊民兵庫県知事が用いた、「創造的復興」というスローガンのもと、神戸空港建設(建設費2496億円)、地下鉄海岸線建設(2350億円)といった巨大プロジェクト、大規模なインフラ整備が進められた。被災地の復興に直接は関係しない事業にも多額の予算が投入され、被災者の生活再建は後回しとなった。また、地域の実情にあわない過大な再開発は、従来あったコミュニティを分断し、被災者を孤立させ、孤独死を招くことになった。「復興災害」はなぜ起きるのか。阪神・淡路大震災の教訓は、東日本大震災の被災地で生かされているのだろうか。東日本大震災から間もなく4年。阪神・淡路大震災から20年という節目の年でもある。さらなる巨大災害に備えるためにも、阪神・淡路大震災がもたらした「復興災害」のさまざまな事例と現状を本書でいま一度知っておきたい。東日本大震災の被災地では、震災1ヵ月後の4月中頃からプレハブ仮設住宅が完成し始め、10月頃までには完了したという。一刻も早く避難所生活から抜け出したい、という被災者の要求に応えたものだが、スピード最優先の掛け声で、寒冷地仕様でない建物が建設され、暑さ・寒さ・騒音などさまざまな問題が生じた。冬場の厳しい寒さに耐えうるように、窓を二重ガラスに、水道管の凍結防止をする、断熱材をいれるといった追加工事が何度も繰り返されたという。結露によるカビがひどい場所では、喘息などの健康被害も報告されている。新潟県中越地震の経験からも、積雪に耐えうる構造、寒さ対策の必要性は十分理解されていたはずだが、寒冷地仕様の仮設住宅がなぜ供給されなかったのか、著者は「全く理解しがたい」と憤りを隠さない。

阪神・淡路大震災を機に、劣悪なプレハブ仮設住宅を少しでも人間的な生活にするためのさまざまな要求運動があり、その結果各室にエアコンをつける、仮設団地に集会所や医療施設を設けるなどの改善がされたという。20年前から、被災者の生活の質を重視すべきという指摘はあり、その後避難所、仮設住宅の改善についての研究は積み重ねられていたはず。なぜ、東北地域に寒冷地仕様でないプレハブ住宅を建てたのか。災害復興の施策に、不幸な者を「一時的に」救ってやればよい、少々のことは我慢すべきという「上から目線」の姿勢がまだあるのではないかと指摘し、加えて縦割り行政の限界にも言及する。一方、林業が盛んな東北地方ならではの選択肢として、地元木材を使用した木造仮設住宅が大量に供給されたことは「今回の大きな前進である」と評価している。居住性も高く、場合によっては鉄骨プレハブ住宅より安く建設できる。さらに、民間賃貸住宅を仮設住宅として提供する「みなし仮設住宅」も大々的に行われた。著者は、今後の大災害に備え、仮設住宅供給を、従来のようにプレハブ建築協会に依存する方式を見直すべきだと主張する。住宅の構造は、木造仮設住宅を含め多様化することを他の地域でも検討し、それに合わせて供給の体制を整えておくことが重要だと指摘する。地域ごとに気候の特性(積雪、雨量、風など)にあわせた仮設住宅の仕様をあらかじめ想定しておけば、不要な追加工事をすることも減る。日本各地で、引き続き巨大災害の発生リスクが高まっている。著者は、「火事に備えて消防組織や消防庁があり、戦争をしない国でありながらそれに備えて自衛隊や防衛省があるように」災害に備えるため「災害・復興省」といった組織を平時から立ち上げ、専門的な人材を蓄える必要性を強くうったえている。

 

・・・マスクをネットオークションに出品した某県会議員がいたりして、あきれていると

 

《NEWS》2020.3.9NHK鳥取ニュースより

旧マスク工場で生産開始へ

新型コロナウイルスの感染拡大に伴うマスク不足を少しでも解消しようと、鳥取市で中古農機具などを取り扱う会社が、倉庫として使っているかつてのマスク工場を活用し、生産に乗り出すことになりました。マスクの生産を始めるのは、鳥取市で中古農機具の整備や販売などを手がける会社「大志」です。

http://www.nokigu.jp/

この会社は、倉庫として利用するため、3年前に鳥取市用瀬町のマスク工場だった建物を取得しましたが、感染症の拡大に備えてマスクの生産設備や、原料などを保管していたということです。会社では今週中にも本格的に生産ラインを稼働させ、1日あたり最大10万枚のマスクの供給を目指すとしています。また生産したマスクは、鳥取市やその周辺の地域に優先的に供給する方針で、鳥取市も、物流に必要な費用を補助するなど支援を行うことにしています。谷口健二社長は「工場を取得した際に前のオーナーから★『大規模な感染症は、10年ほどの周期で発生する』と言われ、もしものために一応、設備を保管していた。まさかこんなことになるとは思わなかったが、地元の人たちを感染症から守りたい」と話しています。

●2020.3.10産経新聞デジタルより

新型コロナウイルスの感染拡大でマスクの品不足が続く中、中古農機具整備販売を手掛ける「大志」(鳥取市)は、抗ウイルスマスクを製造すると発表した。かつてマスクを製造していた業者から取得した工場を活用。今月中旬に製造を始め、当面は鳥取市とその周辺に優先的に販売するという。製造するマスクは、鳥取大とマスク製造業者が共同で開発し、4層構造でウイルスの働きを不活性化させるとされる天然鉱物「ドロマイト」の粉末が入っている。製造業者が事業を休止したが、同社が平成29年に工場を取得していた。谷口健二社長は「工場を購入する際に感染症の流行は周期的に来ると聞いていたので、原料を保管するなど備えはしていた」と説明する。旧工場の関係者らの協力を得て約1カ月かけて準備。原材料は500万~600万枚分を保管しており、当初は1日あたり2万~2万5千枚を製造。その後、7万5千~10万枚に増やす計画で、価格は1枚300円(税別)を想定。需要がある限り製造を続けるという。市は同社への財政支援を検討している。深沢義彦市長は「店頭でマスクを購入できない状況が続いており朗報だ。多くの人に活用されると期待している」と話した。

 

・・・★大規模な感染症は10年ほどの周期で発生する、それを伝えた人もエライし、受け止めた人もエライ。