《参考》2017.9.15アートスケープより
日本の「アーティスト・イン・レジデンス」隆盛のなかでの課題/菅野幸子(アーツ・プランナー/リサーチャー)
https://artscape.jp/focus/10138877_1635.html
現在、日本国内には60以上のアーティスト・イン・レジデンス(以下、AIR)の拠点がある。規模も場所、分野、活動内容もさまざまな多様性があるが、この★多様性こそAIRの最大の特長でもあり、面白さでもある。日本では、常に★地域振興や住民とのコミュニケーションがプログラムに組み込まれているが、最も重要なのは、AIRとは、アーティストが★国境を越えて創作活動を行なう国際的な移動と武者修行を支えるシステムであるということである。AIRとは、アーティストが異なる文化環境に一定期間滞在し創作活動を行なうための国際的移動を支えるシステムと定義できよう。現在、世界各地で盛んに行なわれている。アーティストたちにとっても、AIRでの創作活動体験は、美術館やギャラリーでの個展や作品の買い上げといった評価に加えて、どのレジデンスに滞在したか、招へいされたかという実績も、キャリア形成にとって大きな意味を持つようになっている。
AIRの原点は、ローマにあるヴィラ・メディチに遡ると言われる。ヴィラ・メディチは、その名の通り、ルネッサンスを代表するフィレンツェの名家メディチ家のローマでの別荘だが、フランス王立アカデミーが買い取り、フランス・アカデミーとしたのである。1666年より、「ローマ賞」を受賞した新進気鋭のアーティストがヴィラ・メディチに滞在し、当時ヨーロッパで最も洗練された芸術の都のローマで最高の芸術を見聞し、最先端の技術を習得したのである。ローマには、ヨーロッパ中から知識人や教養人、アーティスト、そして上流階級の子女がグランド・ツアーと称して見聞を広めに集まってきていた。新進アーティストに最も必要な★パトロンや人脈を広げる上でも最適な場所であったが、このローマ賞は現在も継続して運営されている。さて、現代におけるAIRのシステムを確立したと言われているのが、ベルリンにあるクンストラーハウス・ベタ二エン(以下、「ベタ二エン」)である。ベタ二エンは、現在は移転したが、最初は、1847年に建設された教会経営の病院だった建物の一部をアートセンターとして活用することから始まっている。1970年頃には、建物が老朽化し、存廃が取りざたされたが、当時、ベルリン芸術院長だったミヒャエル・ヘルターらは、この建物を国際的なアートセンターとして再利用することをベルリン市に提案し、2年もの間交渉した末、1974年、スタジオと居住空間、多目的ホールを併設したアートセンターとして開館させることに成功した。1970年代当時、芸術と社会の関係性を問い直す「コミュニティ・アート」、「ソーシャリー・エンゲージド・アート」などの萌芽がみられるようになっていたが、ヘルターらは、完成した作品よりも、むしろ★創作プロセスを重視し、世界各地から時代の先端を走るアーティストたちをベルリンに招き、★交流と対話を重ねたのである。現在のベタ二エンでは、世界各国の文化機関と協定を結び、それぞれの国から派遣されたアーティストを受け入れており、アーティストの国際的移動と創作活動を支える近代的なシステムを作り上げている。他方、フランスでは、1980年代よりフランス政府が現代アートの普及と地域振興のために国内各地にアーティストを派遣し、各自治体でも積極的にAIRを運営し、地域のアートセンターが生まれていた。この自治体が運営するAIRのあり方は、後に日本でも積極的に紹介されたため、これをモデルとして日本でも★自治体主導型のAIRが誕生したのである。
日本のAIRは、1980年代後半よりオーストラリア・カウンシルやヴィラ九条山など海外の政府が日本にアーティストを派遣したり、あるいは前述のとおりフランスをモデルにした自治体やNPOが実験的に開始したことから徐々に全国に広まった。1990年代後半には、国際交流基金や文化庁などの公的支援も行なわれるようになり、さまざまな団体が取り組むようになり、その数も増加している。AIRの特長として、多種多様な運営主体とプログラムが挙げられるが、目的と条件の組み合わせにより多様なAIRの展開が可能となる。日本でも、運営主体としては、自治体系、NPOなどのインディペンデント系、大学系、美術館系、国際フェスティバル系、海外文化機関系などがあり、分野も現代アートから演劇やダンス、パフォーマンスなどの舞台芸術、伝統工芸まで幅広く行なわれている。ただし、日本の場合、自治体が運営主体となっている場合、★住民への還元ということから、地域振興や住民との交流がプログラムに組み込まれていることが多いが、これも日本のAIRの特長にもなっている。(中略)
近年、訪日観光客の急増がマスメディアを賑わしているが、日本のAIRも海外のアーティストたちにとって非常に人気が高い。特に、渡航費、滞在費、制作費などが提供されるフルカバーのプログラムであれば、なおさらである。残念ながら、各AIRでは年間2~3名の招へい枠しかないため、約100倍から200倍の狭き門となっている。
日本にAIRプログラムが定着して約30年経過したものの、まだまだ課題は多く、次の3点に集約されよう。第一に、★評価の問題である。AIRは創作の成果としての作品ではなく創作プロセスを重視することから、事業としてのアカウンタビリティーと評価が難しいということである。美術館やコンサート・ホールならば入場者数、滞在期間中の作品数という数量的評価も可能だが、AIRの場合、プロセスやアーティストの将来性などをどう評価するかなど難しい要素が多い。第二に人材育成と雇用の課題がある。AIRのコーディネーターもしくはキュレーターには、キュレーター、バイリンガルのコミュニケーター、アート・マネジャーとしての能力の他に、多彩な人脈も必要ということで★高い能力が求められる。しかし、現状としてはその職能に対する理解や身分の保障はほとんど認知されておらず、有期の契約ベースの雇用である場合が多い。第三の課題として、★安定した運営財源の確保である。現在は、文化庁の助成プログラム「アーティスト・イン・レジデンス活動支援を通じた国際文化交流促進事業」が設けられているため、助成を受けることができた団体に関しては安定した財源を確保できるようになったが、助成が受けられなければAIRだけで自主財源を得ることは難しく、事業の継続が難しい。日本では芸術文化に対する助成団体や企業からの支援の数が極めて限られており、これは、AIRに限らず、多くの文化団体に共通する課題でもある。
http://www.bunka.go.jp/seisaku/kokusaibunka/air/index.html
・・・この★「西川邸」に泊まり込んでアーティストたちは意欲的に制作を進めてきたのです。
・・・難しいことはさておいて、再度★「霜月祭」に訪問させていただくことにしました。その「プログラム」の豊かさは「WSMA」がかすんでしまうほど、特に「町屋ミュージアム」は圧巻です。