はじめに | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・「竹内街道」「葛城アート」「風の王国」などなど、これまでも「奈良」に関わるアートの数々を掲載してきました。さらに「御所(ごせ)」に深く興味を抱く出来事もあり、新テーマ「ならアート」を設けて紹介していくことにしました。

 

《参考》「奈良カエデの郷ひらら」

633-2226奈良県宇陀市菟田野古市場135-2/0745-84-2888

http://udakaedenosato.main.jp/

現代アートの芸術家たちが木造校舎に集い、タイトルを「WSMA(ワズマ)」~Wood School Museum of Art~と称し、それぞれの作品を制作し、その創作過程を一般公開し作品などを展示しました。

 

 

・・・「赤丸ポスト」を発見しただけで、御所に来て良かったと思います。

 

 

・・・木造校舎に惹かれて宇陀市で開催された「WSMA(ワズマ)」に行きました。以来、ご無沙汰していましたが、開催地が近い「御所市」になったということで、久しぶりに行ってきました。御所市と言えば「水平社」、いくつかの神社は訪問させていただきましたが、町中を巡ったことは一度もありませんでした。

 

《御所市》

https://www.city.gose.nara.jp/

都市名の由来は諸説あり、確定はされていない。奈良県内で一番★人口が少ない市である。古代の大和国葛上郡の地で、古瀬付近は高市郡巨瀬郷に属した。市名の由来は、市内を流れている葛城川に5つの瀬があったとする説や、孝昭天皇の御諸が「御所」に変わったとする説がある。鴨都波神社、一言主神社、名柄神社、高鴨神社、葛木御歳神社など数多くの延喜式内社を残し、室大墓をはじめ古代遺跡も豊富。古代豪族★葛城氏の本拠地であり、近年も2004年に極楽寺ヒビキ遺跡が、2009年には秋津遺跡が発見された。★水平社運動発祥の地である。

https://www.asukanet.gr.jp/katuragi/gose.html

 

 

《正栄寺》

639-2238 奈良県御所市大橋通り1丁目1442/0745-65-2670

浄土宗・知恩院末本尊・阿弥陀如来(立像)創建不明:天正5(1577)年再建

 

《WSMA~REBIRTH~》(11月2日~10日)を開催します

http://www.pref.nara.jp/item/217540.htm

今年度で6回目を迎える『WSMA』の開催が決定いたしました。今年の会場は、昨年に引き続き★御所市『ごせまち』周辺です。今なお古い町並みが残る『ごせまち』で、非日常的な空間を皆様にご提供いたします。

●WSMA(ワズマ)とは国内外の現代アートの芸術家9組が集って作品の制作活動を行い、日々かたちになっていく様を公開します。普段見ることのない、アーティストの制作の現場をご覧いただけます。

https://wsma.jp/

 

 

《NEWS》2018.11.14朝日新聞デジタルより

奈良)御所市の青果市場跡地/現代アートで再生

御所市に国内外10組の芸術家が集まり、旧市街「御所まち」にある御所中央青果市場跡をにぎわいの場によみがえらせる――。廃屋などを再利用して現代アートをつくり、地域交流の場を生み出す企画「WSMA(ワズマ)」が18日まで市場跡で開催中だ。現代芸術に触れられる場となっている。WSMA(Wood School Museum of Art)は、「木造校舎をまるごと現代美術館に」をコンセプトに東吉野村の現代芸術家、坂本和之さん(75)らが2015年に始め、自治体と協力して進めてきた。宇陀市★旧宇太小学校の木造校舎を改修する試みを皮切りに、天川村の旧天川西小学校でも開催。それぞれ「奈良カエデの郷ひらら」と「てんかわ天和の里」という交流施設に生まれ変わった。今回の御所市では、4年前まで青果市場だった建物を選び、地元住民らと協力して掃除や改修を進めた。参加する芸術家は御所まちの町家「西川邸」に滞在し、作品を制作。地域に住み込んで住民との交流から創作のヒントを得る「アーティストインレジデンス」という方法をとった。

 

 

《岸本邸元酒蔵》2019.11.2毎日新聞より

639-2200奈良県御所市大橋通り2-1543 岸本酒造/0745-62-2027

御所市中心部の元酒蔵などで2日、現代アートの制作過程を見せることも展示の一部にしたアートイベント「WSMA(ワズマ)」が始まる。会期中も巨大な絵画やオブジェを制作し、交流や芸術に関わるきっかけ作りを目指す。作家らは先月中旬から現地で制作を始めており、イベント最終日の10日には参加作家9人による座談会も行われる。

 

 

《円照寺》

639-2238奈良県御所市大橋通り2丁目東向町1490/0745-62-2833

https://www.city.gose.nara.jp/kankou/0000001401.html

浄土真宗大和五ヶ所御坊のひとつに数えられる円照寺は、天文15年(1546)桑山源吾(釋笑雲)によって、常徳寺として建立されました。後に、慶長15年3月、本山准如上人より懸所坊舎を命ぜられ、円照寺と改称されました。旧本堂が多くの人を収容するのには手狭となりましたので、文政の中頃から天保初め(1820年代)にかけて、本堂の建替えが行われました。十一間四面の総ケヤキ造りの今の本堂を建てるには、その足場が八方にめぐらされていたらしく、例えば西へは代官町を越えて、葛城川の堤近くまで、斜めに延びていたと伝えられています。この足場の上を牛にそり形の運搬具をつけ、その上に瓦や土を乗せて、物を運び上げたといわれています。こうして出来た円照寺を中心に、その足場を取り外した後へ、町づくり、道筋づくりの計画がなされ、それが★「寺内町」の姿です。寺を中心とする門前町の典型とされ、原型が残されている姿は全国でもめずらしいものです。また、境内には近世御所の生んだ偉人「浅田松堂」のお墓があります。彼は衣服界の大革命といわれる、御所絣を発明しました。これは、後に当時の御所を代表する産業になりました。久留米絣、伊予絣等を生み出す発端となるもので、今日の奈良県の繊維産業の礎とも言えます。

※浄土真宗大和五ヶ所御坊/円照寺(御所市)、専立寺(現大和高田市)、教行寺(現北葛城郡広陵町)、称念寺(橿原市今井町)、信光寺(現橿原市御坊町)