《大林組歴史館》
540-0031大阪市中央区北浜東6-9ルポンドシエルビル3F (大林組旧本店ビル)/06-6946-4626
https://www.obayashi.co.jp/company/rekishi/
この歴史館は、平成13年(2001)10月、大林組創業110年を機に開設しました。当社は、明治25年(1892)1月、創業社主の★大林芳五郎によってその歩みを開始しています。明治維新後の日本の近代化への方向が定まり、あらゆる近代産業が始まろうとする時代でした。以来、山も谷もあった足掛け三世紀にまたがる当社の歴史を再確認する場を設けることで、大林組社員がその潮流の先頭波にあることをあらためて自覚し、同時に社外の多くの皆さまに、当社の伝統に培われた仕事が、創業以来の「志」と「責任感」と「未来指向」を出自としていることを、知っていただく機会としたいと願うものです。 すべては、以前があって現在こそが未来を創るものであることを体感する場でありたいとも期待するものです。
※「筑波建築設計工房」
http://chikuba-net.com/works/146/
創業110周年を迎える大林組の社史を『観て、感じて、過去・現在・未来へと時間を辿ることのできる場として企画しました。構成は、大林組の歴史を建設・土木施工技術の進歩とともに振り返り、未来技術まで展望する「時のプロムナード」、関連図書や社史、映像資料などをデータベースから検索できる「情報ライブラリー」、大林組の歴史のみにとらわれず「都市大阪の大建設時代」などさらに大きなテーマを建設・土木技術史の観点から掘り下げる「企画展示」といった3つの要素から組み立てています。大阪大林ビルディングが持つ黒を基調とした外観、白を基調とした内観のモノトーンの色彩構成を明確に示すことで「場」の持つ記憶を呼び起こし、家具や備品・パンフレット・サインに至るまで、そのデザインを徹底することで、歴史館という社史を紐解く「場」に、新しい物語をつくりだしています。
《NEWS》2018.11.1
フランス料理店★LE PONT DE CIEL「ルポンドシエル」が10年連続でミシュランの星を獲得
540-0031大阪市中央区北浜東6-9ルポンドシエルビル1F/06-6947-0888
https://www.pont-de-ciel.co.jp/index.php
大林組グループのルポンドシエル株式会社が運営するフランス料理店「ルポンドシエル」(大阪市中央区)が、ミシュランガイドにて10年連続で星を獲得しました。1900年にフランスで創刊されたミシュランガイドでは素材の質、調理技術の高さと味付けの完成度、独創性、コストパフォーマンス、安定した料理全体の一貫性を基準に厳選したレストランや飲食店を評価しています。ルポンドシエルは今年も高い評価を受け、今年度版『ミシュランガイド京都・大阪+鳥取2019』に掲載されています。今年で創業から45周年を迎えたルポンドシエルは、1973年大阪大林ビル(現・北浜 NEXU BUILD)の最上階に本格的フレンチレストランとして誕生。2007年に土佐堀通りを挟んだ向かい側の歴史的建物(1926年完成★大林組旧本店ビル)に拠点を移しました。2010年からはフランスのミシュランガイド2つ星レストラン「ギィ・ラソゼ」と提携し、伝統と進化をテーマにした独創的で新しいフランス料理を発信しています。
《参考》「大林芳五郎展」~近代大阪の礎を築いた偉人~
2018年10月2日(火)~11月26日(月)於★中之島図書館
明治から大正にかけて活躍した大林芳五郎は、元治(げんじ)元年9月14日大阪に生まれる。呉服商から一転、建設業に身を投じ、明治25年大阪で「大林店」を独立開業。大阪築港工事、大阪と奈良を結ぶ大阪電気軌道生駒隧道の難工事などを完成させた。近代土木建築業の基盤を築きながらも、大正5年1月24日、52歳というで若さで亡くなる。『大林芳五郎』が、どのように近代大阪の礎を築いたのか、熱意や苦労も踏まえ、ご紹介いたします。
・・・気になるので大林芳五郎さんと吉原治良さんの関係を調べてみますと、
《参考》「松本武(1931~)オーラル・ヒストリー」より一部抜粋
画商。松本氏は1958年に東京画廊に入社、その後1983年に株式会社まつもとを設立して独立するまで、画廊主の山本孝の右腕として活躍した。京都国立近代美術館主任研究員の平井章一氏を聞き手に迎え、第一回目の聞き取りでは、大橋嘉一氏や山村徳太郎氏など、関西圏のコレクターの担当として働いた経験や、海外の作家・学芸員たちとのつきあいなどについてお聞きした。第二回目では、具体美術協会の作家たちや、もの派の作家たちとの交流や展覧会について、また独立後の活動についても詳しく語っていただいた。
★2013年5月29日
http://www.oralarthistory.org/archives/matsumoto_takeshi/interview_01.php
その頃、あれはライオンズ・クラブ、ロータリー・クラブかな、大林芳郎さん、大林組のオーナー社長がこの辺(注:聞き取りを行った国立新美術館がある六本木界隈)に住んでいた。その人のロータリー・クラブの会員の中に岡本太郎さんという人がいた。すぐそばですからね。同じ町内なの。ロータリー・クラブで毎週会ってて、吉原さんが岡本さんに尋ねたんだそうですよ。「まともな画商さんは日本にいないのか」って。そうしたら太郎さんが、「ううんいるよ、変わりもんだけど。山本孝というのがいるよ。あいつは変わってるけどね、国際的だよ」と言ったらしい。そしたら吉原治良さんが「それは面白いね、会おうじゃないか」って。それで山本さんと吉原さんと大林芳郎さんの友情みたいなものがそこで生まれるんですよ。それがまた面白いんだな。それで普通の人だったら、オーナー社長だから、山本孝が全部仕切るじゃない。それはやんない。「松ちゃん担当な、お前」。吉原もお前がやれ、大林芳郎んとこもお前がやれよって(笑)。
★2013年6月26日
http://www.oralarthistory.org/archives/matsumoto_takeshi/interview_02.php
※日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴは、美術の分野に携わってきた方々にインタヴューを行い、口述史料として収集・保存している団体で、2006年に美術史の研究者や学芸員によって設立されました。以来、継続的にインタヴューを行い、口述史料として収集しています。このサイトでは、そのインタヴューを書き起こした文章をオーラル・ヒストリーとして公開しています。このサイトで公開されているオーラル・ヒストリーは、あくまでも語り手が個々の記憶に基づいて口述した歴史です。掲載にあたっては、注を入れるなど細心の注意を払っていますが、時として、客観的な事実に反する記述や、立場や価値観などの違いによって意見が分かれる事柄についての発言が含まれることがあります。このようなオーラル・ヒストリーの特徴をご理解いただいた上でご利用下さい。
・・・是非みなさんにも読んでいただきたい「貴重な証言」の数々、もちろん上記のことについて留意は必要ですが、その時代の空気を読むための重要な記録(アーカイヴ)だと思います。これまで様々な「探偵アートスクープ」してきましたが、こんな素晴らしい資料に出会ったことはありません。今回調べたの大林さんと吉原さんの関係も明快な証言があり、もう嬉しくて嬉しくて、です。本題にもどって、次は「東畑建築事務所」へ。
《東畑建築事務所本部・本社オフィス大阪》(新高麗橋ビル)
541-0043大阪市中央区高麗橋 2-6-10/06-6202-0391
★「清林文庫」展&オープンサロン2019
http://www.tohata.co.jp/memorial/bunko.html
「清林文庫」展:東畑謙三が蒐集した世界有数の稀覯本展示、特別展示 伊能忠敬「東三拾三國沿海測量之圖」…日本東半部の沿海地図(写本:2m×3m)を初公開
オープンサロン: 東畑謙三が50年前に思い描いた大阪の未来
ご来場の皆さまには、弊社のお客様でもある井村屋様の★招福羊羹をお配りさせて頂きました。
・・・昨年もいただきました、嬉しいお土産ですね。さて、やっぱり流政之さんの作品を観たくて「竹中工務店」へ。
《御堂ビル》(竹中工務店大阪本店)
541-0053大阪市中央区本町4-1-13/06-6252-1201
1階ホール特別公開と展示「生きた建築・伝える心と技」展
ワークショップ 大工さんとカンナ削り・お箸作り体験/未来と遊ぼう!も同時開催。
★竹中のデザイン「16人の建築家」~藤井厚二
竹中工務店初の帝大卒の建築家として入社し、黎明期の設計部に7年ほど在籍しました。入社早々、「朝日新聞大阪本社(1916年)」及び「村山龍平邸和館(1917年)」、そして「橋本汽船ビル(1917年)」などの設計を担当。退社後、京都帝国大学で教鞭をとりながら自邸を実験住宅として建てていき、その研究成果のまとめとして、真に日本の気候風土に適合した住宅の在り方を科学的に環境工学の点から考察した「日本の住宅(1928年)」を著しています。竹中時代と京大時代の現存する藤井の作品のもつ「繊細なプロポーション」「隅々までデザインし洗練されたディテール」「デザインとテクノロジー(主に環境配慮)の融合」等の特徴は、現在の設計部に脈々と受け継がれています。京都府大山崎町に現存し、環境共生住宅の原点として近年注目を集める第5回目の実験住宅★「聴竹居(1928年)」の設計者として有名な藤井厚二は、黎明期の当社設計部の基礎を築いた人物のひとりなのです。
★「南御堂」 真宗大谷派難波別院(大阪市中央区:代表役員 宮浦一郎)の「御堂会館」建替事業として、積和不動産関西株式会社(大阪市北区:代表取締役社長 北田康)が開発事業者として建築中の「積和不動産関西南御堂ビル」が、2019年11月1日にグランドオープンします。本ビルは、難波別院(南御堂)の山門を兼ねた17階建ての建物で、山門北側1~4階は難波別院(南御堂)が「御堂会館」として貸会議室・店舗などを運営。山門南側1~4階は積和不動産関西が飲食・物販店舗・医療など7テナントに賃貸します。5~17階には、株式会社東急ホテルズ(東京都渋谷区:取締役社長 小林昭人)による、日本初の寺院山門と一体となったホテル「大阪エクセルホテル東急」を開業。同ブランドでの関西出店は初となります。5~16階に客室(全364室)、16階にフロント・バーラウンジ、17階にはレストラン・ジムを設けます。ホテルの開業に先立ち、5月15日よりWEBサイトを公開し、宿泊予約を開始いたします。